不謹慎な読書

影津

不謹慎な読書

 普段、自分は闘病記は読まないし、不幸の安売りをしているような寄付金を募るバラエティ番組は見ない。病気と聞くだけで気が重くなるし、自分の生活で精いっぱいなのに何故他人の苦労まで背負わなければならないのか。同じ理由で涙なしには読めない感動のラストなどと帯が謳っている本や、全米が泣いたなどという映画の宣伝も自分にはマイナスにしか働かない。


 日々感動とは無縁の本好きである自分が、本屋で本を探しているとき暗い表紙に「死」の文字が書かれている本を手に取った。取っただけで買う気はない。


 『死の貝―日本住血吸虫症との闘い』小林照幸著と書かれている本だった。人の不幸をエンタメとして楽しもうと思って図書館で予約してみる。


 そもそも、毒針を持つ貝の話と勘違いしていたのだが、読んでみると戦前の日本の地方病の話のようだった。見開きのところにモノクロの写真があって、説明書きがある。男性が年齢順に並んで立っている写真なのだが、一番背の低い子供と思われた人物の年齢が一番年上だった。腹も異様に飛び出ている。衝撃だ。小人症かと思ったが、どうやら日本住血吸虫症にかかると発育が悪くなり、腹が膨れるらしい。


 写真から興味を引き付けられた自分は、そもそも日本住血吸虫症が何なのかウィキペディアで概要だけ把握してみた。寄生虫のようである。寄生虫といえばカタツムリやカマキリに寄生する虫がいたなと思い当たる。人間に寄生するのは魚についているアニサキスぐらいしか知らなかったのでがぜん興味が湧いてきた。


 本に登場する人物たちは、医師であったり研究者であったりするのだが、入れ代わり立ち代わりしつつも、主に山梨県で蔓延するこの病の原因を探っていく。その解明する工程がまず面白い。病の原因を探ることは犯人捜しのミステリーのように読めてしまうのだ。今までにない体験だった。この本の場合犯人は『病』であり『虫』であり『貝』である。


 日本住血吸虫症が人間に寄生するプロセスも謎に満ちていた。人体の中から寄生虫を発見しても、それがどのように人に寄生するのか分かっていなかったのだから、先人達の努力には脱帽する。寄生虫は貝に入り、貝から出たあと人に寄生していたようだった。また、予防という観点にまで話は進んで行く。貝の住んでいる場所の水を飲むのではなく、その水に接触すると足や手の皮膚から体内に入り込むというのだから恐ろしい。ぞわぞわしてくる恐怖はホラー小説のように楽しいと感じてしまう。不謹慎にもほどがある。このころには最後まで一気読みが確定する。


 貝の撲滅作戦がはじまる。寄生虫そのものではなく、寄生虫が人に寄生しなければいいのだから、中間宿主となる貝を全滅させようというのだ。これは、未知の生命体と戦うエイリアンSFホラーの様相を帯びて来た。真面目なノンフィクションなのに、頭を下げて謝りたいが、これは間違いなくエイリアン殲滅作戦の楽しさがある。


 しかし、白熱しながら読み終えてみると、空しさを感じた。日本は『日本住血吸虫症』を完膚なきまでに打ち倒してしまったのだ。誇らしいと同時に、風化しているのではと疑問に思った。自分は少なくとも、日本住血吸虫症の存在そのものを知らなかった。小学生のころギョウチュウ検査で大便を調べることが必須だったように思う。今の小学生には検査義務がない。日本住血吸虫症はギョウチュウ検査と関係がないが、糞尿が原因であったり、上下水道が整備されていない時代のことを、後世に伝えるべきではないだろうか? くだらないバラエティ番組より、特番でも組んでかつてこんな病がありましたと放送してもらいたい。


 不謹慎な動機ではじめた読書だったが、結果的に素晴らしい読書体験となった。風化と言う言葉があるが、風化とは事件を知っている者が使える言葉だ。自分は風化したあとにはじめて事件を知ってしまった。なんだかひどく悔しい気持である。



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