第二話 回想 side:七瀬華

 私は、今年、大城大学大学院の修士課程を修了し、この私立献栄学園高等学校に生物教師として就職した。六月ごろから旧校舎の踊り場に黒い影のような怪異が出るという噂が聞かれるようになり、九月の末ごろに二年二組の鈴木朔太郎君と佐藤栞里さんの三人でその怪異を調査した。そこから前校長の犬飼司郎先生や用務員の佐々木さん、天文サークルの顧問の天野美月あまのみつき先生、そして、大山先生など様々な人の協力のもと、何とか原因と考えられるユスリカの一種である覚虫さとりむしを捕獲することに成功した。そして、前任の生物教師で、覚虫を飼育していたと考えられる犬飼誠司先生のラボを突き止め、覚虫の駆除に成功したのだった。

 しかしながら、怪異自体はもう一つ存在し、私は、住んでいるアパート近くで顔の溶けた黒猫を目撃したのだ。その後、その猫は二度と私の前には現れなかった。

 手がかりとなるのは、犬飼誠司先生の凶行の原因となった三年前に亡くなった松井美弥という女子生徒、そして、彼の指導の下、生物部で行われていた海綿動物の研究だ。

 私は久々に高校の頃の友人、結城唯ゆうきゆいに連絡を取ることにした。北海道旅行のお土産としてシマエナガ柄のロングソックスを送ってくれた親友だ。


 私は黒のロングスカートにブーツ、ニットの白のタートルネック、ロングヘアをハーフアップにしてバレッタでまとめた出で立ちで、駅中の百貨店の大きな柱前で待ち合わせをしていた。私の手には薄いピンクのスマートフォンが握られていた。もともと折りたたみ型の携帯電話を持っていたが、つい最近、スマートフォンに乗り換えたのだった。理由は、天野珠紀先生からの勧めで、写真の共有が便利というのと、SNSで病院でもリアルタイムで連絡がとれるというところだ。私があっさりとスマートフォンに変えたのを見て、大山先生は少し驚いたようであった。私は、そんなに拘りが強い方なのだろうか。

「華。お待たせ。待った?」

 はきはきとしゃべる彼女は今、医学部の六年生で、今日は彼氏も連れてきてくれている。

「初めまして。雨宮辰馬あめみやたつまと言います。今日はよろしくお願いします」

 丁寧にお辞儀をしてくれた。

 私達は軽い自己紹介を済ませて、予約していた個室居酒屋に移動した。お酒やおつまみ、ご飯ものをいくつか頼んで、話をする。

「今日は、ありがとうございます。ここでは、Mちゃんの話ということで、話せる範囲でお話を伺えれば幸いです」

 私は、そう言って切り出す。亡くなった松井美弥さんには、ほとんど身寄りがないが、医師には守秘義務があるので、個室居酒屋を選び、匿名で会話することにした。

「そうですね。僕が研修医の頃、救命救急科をローテーションしていた時にMちゃんを担当しました。ビルの五階相当の高さから転落した高エネルギー外傷ということで、かなり厳しい状態だったと思います。運ばれてきたとき、指導医の先生は、事前情報よりも意外と外傷が軽いから助かるかもしれないと言って、緊急CTで内臓が損傷していないことや骨盤底骨折を確認して、緊急の輸血をしました。今でも後悔がありますが、これが判断ミスだったのかも知れません」

 そう言って、雨宮さんはチューハイを少し飲む。

「輸血のとき、適合するかどうかの検査をするのですが、緊急時はO型の血液を用います。標準的な医療ではあるのですが、Mちゃんは特殊で、溶血反応が起こってしまったのです。後から返ってきた検査結果では、全ての血液型に不適合でした。結局、輸血自体が実施できないということで、無輸血で粘ったのですが、溶血の影響で両足が壊疽して緊急で切断することになりました。もちろん、遠縁でしたが親戚の方に同意を得た上でです」

 美弥さんの足が切断されていたというのは、初耳だった。雨宮さんは続ける。

「足を切断して一日も経たないうちに、何故か救命科の教授が転院させると言いました。指導医の先生も、術後すぐの転院は危ないのではないかと進言したのですが、もう話がついていたようで、ヘリでMちゃんの故郷の高木町に近い県立の総合病院に送ることになりました。転院後、Mちゃんはすぐに亡くなったと聞きます。身体には複数の切り傷や打ち身の跡があって、虐待も疑われたので、その子を地元に戻すのはどうなのかと、救命科のベテランの先生が転院後に漏らしていたのが印象的でした」

「貴重なお話、ありがとうございます。その高木町というのは、どちらにあるのでしょう。それと、切断された足はどうなったのですか」

 高木町。そこに松井美弥に関する手がかりがあるはずだ。それに切断された足の行方が気になる。もしかすると、あの猫の怪異、シェイプシフターと関連しているのかもしれない。私は内なる興奮を抑えつつ、トーンを落として質問した。

「高木町は、日本海沿いの港町で、ここです。それと、足ですが、言いにくいのですが、医療廃棄物として廃棄されてしまったということになっています。しかし、実際は行方不明です。遠縁の親戚の方に確認して、切断した足は返還しなくて良いとなったので、大事にならなかったのですが、明らかなアクシデントです。このことは、他言無用でお願いします」

 雨宮さんはスマートフォンで高木町の位置を示した後、声をひそめて足の行方を教えてくれた。私は、彼のお願いに静かに頷いた。

 私たちは、おつまみやご飯を食べながら、お互いの近況報告をした。唯は今年、医師国家試験なので、勉強で忙しいという。私はハードな教師生活を伝えた。

 ある程度、頼んでいたおつまみがなくなった頃、唐突に唯の口が開いた。

「ねぇ、華。今、付き合っている人、いる?いないなら、紹介したい人がいるんだけど」

 それを聞いた瞬間、私の脳裏に大山先生の顔がふと浮かんだが、あれは付き合っているうちに入らないと思い直し、

「いや、いないよ」

 と答えた。

 唯は「良かった」と言い、雨宮さんはスマートフォンをみせて

「この人なんですが、感染症が専門で蚊媒介感染症について研究しています。いかがでしょうか。一度、会ってもらえますか」

 と男性を紹介した。眼鏡をかけた優しそうな人だ。

 私は少しためらった。しかし、貴重な情報のお礼もあるので、ひとまず引き受けることにした。

「いいですよ。年明けなら時間を作れると思います」

 そう答えた後、今日得た情報を反芻する。

 高木町。そこに一度足を運ぶ必要がありそうだ。

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