第5話 映美の成長
英子が奈央と初めて会った海岸の近くに建つ公立保育園は、小中学校と隣接している。英子は設楽法律事務所から四キロほど離れたその地区に奈央親子と共に移住することにした。そして、映美と颯士は無事新しい保育園へと入園することができた。これで颯士が中学校を卒業するまでは、映美は穏やかに過ごせると英子は安堵する。
結婚前に企業の受け付けをしていたという奈央は、英子が思っていたよりずっと優秀であった。当初は家政婦として雇う算段であったが、奈央の能力を考慮して、英子は設楽法律事務所の受付事務と映美の保育園への送迎をお願いすることにした。
奈央も法律事務所の事務にやりがいを感じており、生き生きと仕事に取り組んでいる。
こうして、英子親子と奈央親子はとても良い関係を築き、楽しく暮らしていた。
しかし、英子は将来颯士と映美が結婚する可能性も視野に入れ、二人が兄妹のような関係にならないように適度に距離を取りながら、時を重ねていった。
そして、映美は小学六年生になる。颯士は中学三年生。進路を決めなくてはならない時期だ。
「映美。あなたに話さなければならないことがあるの」
「お母さん、改まって何?」
不思議そうに首を傾げて英子を見る映美。いつの間にか英子と同じくらいの身長に成長した我が子を愛おしそうに見つめる英子。しかし、告げなくてはならないのは、残酷な事実だ。
「私たちは人の考えていることを聞いてしまう、そんな能力を持って生まれてしまったの。そして、その能力を打ち消すことができるのは颯士君だけ」
「知っているわ。だって、颯士さんが遠足や修学旅行で遠くへ行ったとき、色々な声を聞いたもの」
颯士が不在の時は、なるべく人気のないところへ映美を連れていき、ずっとあなたを愛していると強く思い続けていた英子だったが、はやり映美は気づいていた。
「ごめんね。あなたにこの能力が遺伝するなんて思わなかったの。ただ、家族が欲しかった」
「お母さん。颯士さんと出会うまでどうしていたの?」
恵美は震える声で謝る母親を気遣った。
「物心ついた時から人の心の声が聞こえていた。優しさや感謝の気持ちより、憎しみや怒りの方がより大きく聞こえるのよね。心ではわかっているの。人は奇麗な心も醜い心も持っていることを。でも、親の心など知りたくなかった。嘘でもいいから、ただ優しさだけを受け取れたらどんなに幸せだっただろうと思ったわ。だから、結婚は諦めていたの。夫の心を知るのは怖かったから。でも……」
「お父さんのことを聞いてもいい?」
恵美は言い淀んだ英子の言葉から、今まで一度も聞いたことがない父親に興味を持った。
「あなたのお父さんはね、頭が良くて、背も高くて、スポーツマンで、とても素敵な人なの。本当にごめんね、彼はあなたが生まれたことを知らない」
「お母さん、私を産んでくれてありがとう」
映美には英子の幼少時代がとても辛かったことが理解できた。たった数日でも、颯士がいない日々は辛かったから。そして、結婚せずに自分を産んだことも納得した。仲の良い夫婦に見せかけて、パートナーを裏切っている人たちなんて教師の中にもいることを、映美は知っていたので。
「颯士君の力は半径千五百メートル程度。彼が中学を卒業してしまうと、地元の中学は圏外になってしまうの。私学の中学校もすべて遠いのよね」
颯士が県立高校への進学を希望していると英子は奈央から聞いていた。
「颯士さんは県立高校を受験するらしいので、私もそこの中高一貫校を目指す」
毎日他人の心の声を聞きながら中学校に通うことが耐えられないと映美は思った。
「わかった。塾にはそう伝えましょう」
颯士と同じ塾に通っている映美は、英子のようにずるをしていないのに、それでも成績は優秀だった。塾では私立中学への進学を勧められていたが、県立中高一貫校の受験にも対応しているようなので大丈夫だろうと英子は考えていた。
そして、春。無事に志望校に合格した颯士と映美は同じ敷地にある高校と中高一貫校に通うことになった。映美にとって、三年間の猶予を得たのである。
どうしても必要な人 鈴元 香奈 @ssuuzzuu
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