シーン3 予期せぬ邪魔者

 ​第一弾の記事が投下した波紋など気にも留めず、茜は連日、西見中央公園周辺に足を運んでいた。今日の彼女の目的は、中島本人ではなく、彼の「外堀」を埋めることだ。


 ​公園近くの古びたタバコ屋。店番をしていた老婆に、茜は人懐っこい笑顔で話しかけた。スマートフォンの画面に映した中島の写真を見せる。


​「すみません、ちょっとお伺いしたいんですけど、この方をご存じないですか?」


 ​老婆は写真に目を細め、「ああ、中島さんね」とすぐに頷いた。


「昔からのお客さんだよ。奥さんを亡くされてからは、めっきり口数が減っちゃってねえ……。でも、真面目な良い人だよ」


 茜の口角が、気づかれない程度にわずかに上がった。


「奥さんを……。そうなんですね。ちなみに、ご家族とかは……」


​「さあ……。娘さんが一人、いたかねえ。でも、あまりプライベートなことは話さないからねえ」


 老婆は少し迷惑そうに言葉を濁した。


​「そうですよね、失礼しました! ありがとうございました」


 ​茜は当たり障りのない礼を言って店を出た。「奥さんを亡くした」「娘がいる」。キーワードが揃っていく。ジグソーパズルのピースが一つ、また一つと手に入る感覚に、彼女は軽い興奮を覚えていた。


 ​聞き込みを終えて公園に向かうと、果たして、中島はいつものベンチに座っていた。だが、彼もまた、茜の姿をすぐに見つけた。中島の表情がかすかに強張り、次の瞬間、彼はゆっくりと、しかし確固たる意志を持って立ち上がる。


 ​茜が声をかける間もなく、中島は何も言わずに公園の出口へと歩き始めた。一度も振り返らず、茜の方に視線を向けようともしない。それは静かだが、明確な拒絶だった。


 ​茜は追いかけなかった。むしろ、その光景を絶好のシャッターチャンスと捉えた。


 ​彼女はバッグからスマートフォンを取り出すと、遠ざかっていく中島の孤独な背中に、そっとピントを合わせた。シャッター音を消したカメラが、その姿を無音で切り取る。彼が完全に去った後、主を失った空っぽのベンチにもレンズを向けた。


 ​彼女の頭の中で、新しい記事のフレーズが自動的に生成されていく。


 ​──取材拒否。それは、彼の心の壁の高さを象徴している。なぜ彼はここまで頑なに心を閉ざすのか。その孤独な背中が、雄弁に何かを物語っている……。


 ​これもまた一つの「画」になる。最高の「フリ」だ。


 ​撮影を終えた茜は、スマートフォンの画面を確認した。そこには、見る者の同情を巧みに誘うであろう、寂しげな背中と空虚なベンチの写真が完璧な構図で保存されている。彼女は満足げに頷くと、次の聞き込み先を探すため、再び迷いのない足取りで歩き始めた。


 ◇


 ​蝉の声が豪雨のように降り注ぐ、八月の午後。アスファルトの熱気が陽炎のように立ち上っていた。数日間の周辺取材で得たピースを手に、茜は再び中島本人への直接接触を試みていた。今日も彼は、いつものベンチで、季節の移ろいなど意に介さない様子で空を見上げている。


​「中島さん、少しだけ……」


 ​茜が、計算された距離まで近づき、声をかけたその時だった。


​「あの、すみません」


 ​涼やかで、しかし凛とした芯のある声が、二人の間に滑り込んだ。茜が視線を向けると、白いブラウスに身を包んだ、三十代半ばほどの女性が立っていた。彼女は中島をかばうように、茜の前に立ちはだかる。その顔立ちに、中島の面影があった。娘の美咲だった。


 ​美咲は、茜の目をまっすぐに見つめると、次の瞬間、その場で深々と頭を下げた。


​「お願いです。父の取材はやめてください」


 ​再び顔を上げた彼女の声は、抑えようもなく震えていた。だが、潤んだ瞳は強い光を宿し、茜から逸らされることはない。


​「父は、静かに過ごしたいだけなんです。ネットの記事も見ました。面白がって人の生活を晒すようなことは、本当に……やめていただけませんか」


 ​傍らで、中島は娘の突然の登場に狼狽し、ただ申し訳なさそうに俯いている。その姿は、まるで叱られる子供のようだった。


 ​予期せぬ「邪魔者」の登場に、茜の表情がほんの一瞬、凍り付く。計画を乱されたことへの、温度のない苛立ちがよぎる。


 ​しかし、それも束の間。彼女はすぐに、すべてを包み込むような柔和な笑みを顔に貼り付けた。その表情の切り替えは、ほとんど機械的ですらあった。ハンドバッグの持ち手を握り直し、さりげなくスマートフォンのレンズが美咲と中島、二人を捉えるように角度を調整する。


​「まあ……。あなたが娘さんでしたか」


 ​茜は、心から同情しているかのように眉を下げてみせた。


​「お父様のこと、ご心配なんですね。お気持ち、痛いほど分かります。私たちも、決して面白がっているわけではないんですよ。ただ、お父様のことを、もっと深く知りたいだけで……」


 ​その言葉は優しく、配慮に満ちているように聞こえた。しかし、彼女の指はスマートフォンの録画ボタンを止めることなく、この「感動的な親子のシーン」を、貴重なデータとして着実に記録し続けていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る