シーン2 最初の接触

 ​アスファルトの照り返しが強い、初夏の昼下がり。西見中央公園は、子供たちの歓声と、それを遠巻きに見守る母親たちの気だるいおしゃべりに満ちていた。その中で、一つのベンチだけが、まるでスポットライトを浴びた舞台装置のように静まり返っていた。


 ​中島秀行(68)が、SNSで見た動画と寸分違わぬ姿でそこに座っていた。薄手のカーディガンを羽織り、膝に置いた手は固く組まれている。その視線は、高く澄んだ空の一点に向けられていた。


 ​宮沢茜は、公園の入り口からその姿を認めると、ハンドバッグからスマートフォンを静かに取り出した。録画ボタンを押し、画面に赤いランプが灯ったのを確認してから、彼女はゆっくりと歩き出す。靴音を立てないように、まるで獲物に忍び寄る肉食獣のような、しなやかな足取りで。


 ​中島のすぐそばまで来ると、茜は満面の笑みを浮かべた。人懐っこく、警戒心を抱かせない、彼女が取材で常に使う「武器」だ。


​「こんにちは! Junction NEWSの宮沢と申します!」


 ​突然の声に、中島の肩がわずかに揺れた。彼の視線がゆっくりと空から下ろされ、怪訝そうな表情で茜に向けられる。


​「今、SNSでとっても話題なの、ご存じですか?」


 ​茜はスマートフォンの画面を中島に向けながら言った。そこには、例の動画が再生されている。中島は驚き、困惑した表情で「はあ……」と、かろうじて声を漏らした。それは肯定でも否定でもない、ただの戸惑いの音だった。


 ​茜は畳み掛ける。その声は、相手の反応など意に介さない、一方的な明るさに満ちていた。


​「皆さんが『ベンチの哲学者』って呼んでるんですよ! 一体、空に何を語りかけてるんですか? 何か深いメッセージがあるんでしょうか?」


 ​矢継ぎ早の質問に、中島は完全に気圧されていた。彼は再び視線を落とし、膝の上で組んだ自分の手を見つめた。そして、消え入りそうな声で呟く。


​「いや、別に……独り言です」


 ​それが、彼の精一杯の返答だった。しかし茜は、その答えに満足するはずもなかった。「なるほど、独り言ですか……」と意味ありげに頷くと、彼女はスマートフォンのカメラを中島の横顔に向けた。そして、彼の返事を待つことなく、公園の遊具や、遠くで遊ぶ子供たちの姿、流れる雲などを、まるでドキュメンタリー映画のワンシーンのように丁寧に撮影し続ける。


 ​中島が口を閉ざした沈黙さえも、彼女にとっては最高の「素材」でしかなかった。


 ◇


 ​取材から数日後の昼下がり。茜は編集部の自席で、書き上げたばかりの記事の最終チェックをしていた。指先で軽くスクロールし、言葉のリズムと写真の配置を確認する。我ながら、完璧な仕上がりだ。彼女はためらうことなく、画面上の「公開」ボタンをクリックした。


 ​記事が世に放たれた瞬間、茜はリアルタイムPVカウンターの画面に切り替えた。最初は数十だった数字が、数百、数千へと勢いを増していく。まるで生き物のように脈動する数字を、彼女は無感情に見つめていた。


 ​数時間後、記事は「Junction NEWS」のトップページに掲載された。




​【現場ルポ】SNSで話題沸騰! 公園に座り続ける「ベンチの哲学者」の謎に迫る

​(写真キャプション:我々の問いかけに、困惑した表情で俯く男性。彼の視線の先には何があるのだろうか)

[困惑した表情で俯く中島のバストアップ写真。背景の公園の緑は、彼を孤立させるかのようにぼかされている]


 ​初夏の強い日差しが照りつける昼下がり、その男性は今日もベンチに座っていた。SNS上で「ベンチの哲学者」として密かな話題を呼ぶ彼に、我々は直撃を試みた。

 ​現代社会に背を向けるかのように、彼は今日も空を見つめる。我々の問いかけに、彼は重い口を開いた。


「独り言です」


 ​その一言に隠された真意とは何か。我々は引き続き、彼の心の内に迫りたい。



 ​PV数は5万を超え、ランキングの中ほどに安定して食い込んでいる。まずまずの滑り出しだ。茜はX(旧Twitter)を開き、記事のURLで検索をかける。案の定、無数の感想が目に飛び込んできた。


​「ベンチの哲学者www ネーミングセンス秀逸すぎでしょ」


​「Junction NEWSの記事、面白いとこ突いてくるよなー。この記者のグイグイ感が好きw 続編はよ!」


​「こういう人いるいるw うちの近所にも似たようなお爺さんいるけど、何考えてるんだろうね」


​「写真、なんか可哀想じゃない…? 許可取ってんのかな。ほっといてあげればいいのに」


​「↑こういうマジレスする奴なんなの。どうせすぐ忘れられるんだからいいじゃん。メディアの仕事だろ」


 ​茜は賛否両論のコメントを無表情でスクロールし、「よし、掴みはOK」と小さく呟いた。人々の好奇心という火種に、最初の薪はくべられた。あとは、この火をどう大きくしていくかだ。


​「おい宮沢、いい感じじゃねえか」


 ​いつの間にか背後に立っていた佐々木が、PCの画面を覗き込んで言った。


「いい感じに『謎』を提示できてる。読者が飽きないうちに、さっさと次を当てろよ」


​「分かってます」


 ​茜は短く答えると、すでに次の取材計画と質問リストが書き込まれたメモ帳ファイルを開く。彼女の頭は、もう次のステップへと切り替わっていた。

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