第5話 夜の出来事

 

 レオハルトが旅立ってから、3日目。

 空が淡い紫色を帯び、やわらかな風が頬を撫でる春の夕暮れ。


 リディアは、庭の木の下にしゃがみ込んで、置いてある巣箱をながめていた。

 小さなミツバチたちが、外から帰って来ては箱の中に入って行く。



「ふふ、お帰りなさい」



 レオハルトが出てからすぐ、春先に置いた巣箱にミツバチたちが出入りし始めた。

 数がどんどん増え、忙しそうに庭に咲く花の蜜を集めている。


 ミツバチたちをながめながら、リディアは微笑んだ。



「今年はたくさん花を植えないとね」



 そして立ち上がると、ググ―ッと伸びをしながら周囲を見回した。

 夕日に照らされた庭はどこか寂しそうで、ときおり吹く風が妙に冷たく感じる。


 リディアは門をチラリと見ると、軽くため息をついた。



「今日は帰って来なさそうね」



 彼女は、ミツバチたちに「また明日ね」とつぶやくと、足元にいたリスやハリネズミ、ウサギたちに「帰ろう」と声を掛けて、一緒に家に入った。


 台所で卵と野菜を使った簡単な料理を作ると、ウサギとハリネズミには野菜、リスにはナッツをあげて、ランプの下で一緒に食事をする。


 そして、片付けを終わらせると、彼女は窓の外に目をやった。

 外はすでに暗く、空に星が瞬いているのが見える。



(きれいね。レオハルトがいたら、一緒に庭に出るんだけど)



 今ごろどうしているかしら、と思いながら、彼女は寝る準備を始めた。

 お風呂に入って着替えると、戸締りを確認して、自室に戻る。


 そして、「今日はもう寝ましょう」と、ベッドに潜り込むと、ランプを消して暗い天井を見上げた。



「おやすみなさい、レオハルト」



 そうつぶやきながら、目をつぶる。





 ――――どれくらい経ったか。


 リディアがふと目を覚ますと、ドアをカリカリとひっかく音がした。



(あら?)



 ガウンを着てそっとドアを開けると、そこにはリス2匹とウサギ2匹がいた。



(どうしたのかしら、起こされるなんて初めてだわ)



 しゃがみ込んで「どうしたの?」と尋ねると、4匹が1階へと下りて行く。

 リディアもランプを持って下りると、ウサギが玄関のドアをカリカリとひっかいた。


 何か訴えるような目でリディアを見上げる。



「もしかして、外に出たいのかしら?」



 リディアはそっとドアを開けた。

 うさぎとリスが飛び出して、時々リディアを振り向きながら、庭の隅の方へと走っていく。



「ついてきてってこと?」



 リディアはスリッパから靴に履き替えると、ガウンを手繰り寄せながら、動物たちの後について歩き出した。

 空は曇っており、普段の夜よりも更に暗い気がする。


 そんな中、動物たちは、庭の隅の壁の前で止まった。

 しきりに壁をカリカリとする。



(もしかして、何かあるのかしら?)



 リディアは壁をランプで照らした。

 一定間隔で壁に開けられているのぞき穴から、そっと外を見る。


 外は暗く、ほとんど何も見えない。



(見えないけど、何もない……気がするわ)



 そして、首をかしげながら壁から立ち去ろうとした、そのとき。

 雲が流れ、空に満月が現われた。


 地上が明るい光で照らされる。



(あら、明るくなったわね)



 そう思いながら、リディアが何気なく穴から外を見て、



「……っ!!!!」



 彼女は思わず両手で口元を押さえながら息を飲んだ。

 月明かりに照らされたそこには、1人の男性がぐったりと倒れていた。

 ボロボロの真っ黒な服を着ており、頭にも髪の毛を隠すように黒い帽子をかぶっている。


 その見覚えのある風貌に、リディアは凍り付いた。



(これは、エルフ国の暗部だわ!)



 エルフ国の暗部とは、エルフ王室直轄の陰の組織で、物探しから暗殺まで全てを担う隠密集団だ。

 彼らが来たということは、王族の誰かが秘密裏にリディアを連れ去ろうとしていることになる。


 リディアは急いでうさぎとリスを抱えると、家の中に駆け込んだ。

 鍵を閉めて、カーテンを閉める。


 そして、震える手でお茶を淹れると、ランプの灯をながめながら考え込んだ。



(つまり、わたしを追ってきたということよね)



 ボロボロになってあそこに倒れていたということは、この家に入ろうとして、守りの魔法に引っかかって電撃を浴びたのだろう。



(どうしましょう)



 リディアは不安になった。

 レオハルトがいてくれればと思うものの、彼女はブンブンと首を横に振った。


 今自分の身を守れるのは、自分しかいない。

 とりあえず、この家に籠って、万が一侵入されたら、精一杯戦おう。



(や、やるわよ!)



 彼女は気合を入れると、魔法の杖を取り出した。

 薬の棚から、目潰しに使える薬剤を持ってきて、窓際に並べる。



(後は……何をすればいいかしら)



 彼女は考えた末、とりあえず腹ごしらえをすることにした。

 台所に行き、卵や牛乳、小麦粉を混ぜて、大量のパンケーキの種を作る。

 そして、



(好きなものを食べればきっと元気が出るわよね)



 と思いながら、パンケーキを焼き始めた。

 1枚、また1枚と、きつね色のパンケーキがお皿の上に積み上がっていく。


 家の中は静かで、時計のカチカチという音と、パンケーキを焼く音だけが聞こえてくる。


 そして、無心にパンケーキを焼くこと、しばし。

 全ての種を焼き終わって顔を上げると、窓の外が明るくなっていた。


 そっとカーテンを開けると、遠くの空がぼうっと銀色に光り始めている。


 朝の気配に、リディアは安堵の息を漏らした。


 うさぎを胸に抱えながら、そっと壁際に行ってのぞくと、すでに男の姿はなく、焼け焦げた跡だけが残っていた。



(……諦めたのかしら)



 リディアは息を吐いた。

 たった数時間しか経っていないのに、数週間経ったような気分だ。


 巣箱のミツバチが、朝露に濡れる花の蜜を集め始めた。


 リディアは「おはよう」と挨拶すると、家に戻った。

 ぼんやりとしながら、うさぎとリスに「ありがとうね」とナッツや野菜をあげると、自分もうず高く積み上がったパンケーキから1枚取ると、シロップをかけてもぐもぐと食べる。


 そして、大量のパンケーキを見て、「なんでわたし、こんなに作ったのかしら」と途方にくれていた、そのとき。



 キィィ



 門の開く音が聞こえて来た。

 驚いて窓の外を見ると、門が開いてレオハルトが入ってくるのが目に入る。



「……っ!!!!」



 リディアは思わず駆け出した。

 スリッパのまま外に飛び出すと、歩いてくるレオハルトに飛びつく。



「リディア!」



 レオハルトが驚いた顔をしながら、リディアをしっかりと受け止めた。






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