最後の手紙

もっちー

最後の手紙


 珍しく雲で覆われた夏の空。引き戸の窓ガラスを小雨が撫でている。

 江坂孝太郎は郵便受けに一通の封筒を見つける。初めは役所か保険会社からかと思ったが、少し湿った簡素な白い封筒だった。

 宛名は確かに私の名前だ。

「誰からだろう……」

 裏を見ると「田中誠一」と書かれた名前に目を見開いた。

 40年前、疎遠となった旧友からだった。

 早まる鼓動。震える手。

 突然の出来事に動揺し、私は玄関の床に腰を落とした。

 手紙を開くと、ボールペンで書かれた誠一の字が並んでいる。一見落ち着いた字に見えるが、一文字一文字に力強さが籠っている。


『久しぶり、孝太郎。元気だったか?

 突然の手紙に驚かせてしまい申し訳ない。チャットかメール、電話でもよかったんだけど、なんだか手紙の方が伝わるかなって思って書いてみたんだ。

 お前と疎遠になって40年くらいになるか? 

 俺の頭はすっかり更地になっちまったが、お前もそうか? 石頭みたいに頑固だっったお前は一本も残ってなさそうだな——』


 ここで改行されていたので、私も一度読むのを止めた。

 というかツッコミたくなったからだ。

「俺はハゲてない。生憎、毛根も頑固みたいで白髪になっただけだ」

 手紙に向かって、私は呟いた。

 相変わらずの生意気な口調。手紙でもその誠一らしさに私は口角が上がった。

 大学生だった頃の、誠一との想い出が鮮明に沸き上がってくる。

 川辺で酒を飲んだこと。東南アジアをバック一つに渡り歩いたこと。締切寸前まで実験レポートを書いていたこと。飲まされ、連れ回され、手伝わされ、と誠一に振り回されてばかりの日々だった。

 だが、せっかく浮かび上がった記憶の泡が雨の音でかき消される。気づけば雨模様が変わり、平戸の窓を叩きつけるような大雨に変わっていた。

 私は手紙の続きを読むことにした。


『癌なんだ。俺は長くはない。病院のベッドでこうして今、手紙を書いている——』


「…………」

 手紙を胸に押し当てて、天井の木目を見上げる。誠一の突然の告白に、私はどう考えたらいいかわからなかった。

 わからなかったが、手紙に視線を向き直した。


『これを読んでいる頃には、俺はこの世にはいないだろう——』


「っ!? お、おい! 誠一!」


 手紙のはずなのに、今度は唾が紙に飛ぶ。

 だが、次の一文でずっこけた。


『というのはないから安心してくれ。生きている笑

 一度、こういうのを言ってみたかったんだ。どうだ? びっくりしたか? 石頭のお前は意外とひっかかるからな——』


 ふざけんなよ。マジで。

 つい血圧が上がってしまい、呼吸が乱れる。

 額から汗が垂れると、40年も疎遠になった過去を思い出した。

 ——民間に就職するって本気で言ってるのか!?

 あの日も雨音の激しい夏の日だった。大きな窓ガラスを横目に大学のラウンジで、誠一は怒鳴った。四年間一緒に過ごしてきて初めて見る親友の険しい表情。

 私たちは常に一緒だった。

 だからこそ、私は離れたくなったのだ。

 進路を選択させられるまでは、私も誠一と共に研究者を志していた。

 だがどんなに努力しても、頑固で石頭な私では誠一と肩を並べることができなかった。ちゃらけているが柔軟な発想を持つ誠一は学内でも注目を浴びていた反面、教科書をそのまま模倣するような私は、その影に埋もれてしまったのだ。

 ——ああ。本気だ。しばらくインターンとか面接で忙しくなるから話かけないでくれ。

 誠一が何か言いそうになる前に、彼を背にして私は離れた。

 それ以降、卒業式ですら誠一とは顔を合わせることはなかった。

 

 手で汗を拭った。

 それから場所を移そうと玄関から立ち上がり、庭側に面した窓を開けて淵側に座る。湿っぽい草の甘い匂いが鼻腔に入り、屋根を叩く雨音が心を落ち着かせてくれた。

 ようやく手紙の続きを読む気になった。


『大丈夫か? 怒ってないか? ここまで読んでるってことは破ったりしてないと思うけど。いや、すまなかった。許してくれ。人生最大のジョークだったんだ。

 笑えただろ? いや、嘘。しっかり反省してます。これ本当。信じてくれ。

 癌のこともそうだ。もう末期なんだ。本当に長くはない。

 だから、ワガママを聞いてほしい。

 ——孝太郎。最後にもう一度会って話がしたい』


「………………」

 最後の文字を読み終わった時、強かった雨音がただの背景の一部となって聞こえなくなった。

 私は手紙を握りしめて立ち上がり、玄関へと向かった。

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最後の手紙 もっちー @momochi1029

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