無核戦記:第三次世界大戦(1959–1964)
幻彗 / gensui
プロローグ(Shadow over the Century) 前編
世界は、原子の火を知らない。十九世紀末、実験室の火事で記録は灰になり、二十世紀初め、若い理論家の鞄は路面電車の下に消え、三十年代の地下室では計器が跳ねる前に人だけが止まった。鍵は失われ、扉だけが残った。触れられぬまま、蝶番だけが冷えた。
抑止は別の道具に割り振られる。軍律は天候を読む学に厚みを持ち、風配図は砲術と同格になった。化学弾頭は「開けぬ函」として倉庫に眠り、その前に置かれるのは白布と赤い判である。使わずに見せ、見せて退かせる。士官学校の最初の黒板に書かれる作法である。
第一次の泥濘は塹壕と毒で街を曇らせ、第二次は空母打撃群が夜の海に曳光を縫った。勝つより負けない。負けないまま、相手の計算を摩耗させる。紙と印で境界を引き直し、宣誓と検査で互いの喉元を撫でる。世紀の習いである。
海の現場は、もっと素朴だ。甲板の風は頬を刺し、舌に霧の冷たさが乗る。甲板員の手袋は潮で硬くなる。乾いた塩が布に白粉のように残り、指の節が軋む。整列、合図、発艦。曳索が鳴り、車輪が白線を越える。示すこと、引かせること、耐えること。その三つの歯車が、主砲塔より重い。
港の市場では白布が回廊の合図となり、教師は避難路をチョークで描く。看護所には薬品の苦味と呼気の湿りが混じり、港務所では判が乾いた音を打つ。暮らしは重い。重いものは、戦術の隙間から落ちやすい。
私はここを〈無核世界〉とだけ名づける。人はその名を知らず、手の届く刃と旗で均衡を繕う。扉は閉じたまま、均衡だけが往復する。もし扉が開いていれば、恐怖は簡潔で、均衡は脆かったかもしれない。ここでは、恐怖は手数で、均衡は多数の手で支えられる。重く、遅く、しかし確かである。
一九五九年、ベルリン。曇天の監視線が街の上空で交わる。無線は乾いた子音を弾き、翻訳の一拍が遅れる。観測塔の上、睫毛に雨の粒が止まる。彼は瞬く。ほんの一度。――その一度が、時代を一分だけ早送りするクリックになる。
時刻は狂う。監視は、その狂いを補正しようと加速する。
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ご読了ありがとうございます。
はじめまして、幻彗(gensui)です。
映画『空母いぶき』に触発され、「艦と艦が正面からぶつかる艦隊戦」を見たい――その妄想から生まれた戦記です。読みやすさ重視の短いプロローグから始めます。
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