オルテンシアの魔法博物館

雪嶺さとり

第1話 魔法使いの再就職


 帰ってきてしまった。

 二度と戻らないと思っていた、この世界に。

 駅のホームで遠のいていく蒸気機関車の音を背景に、オルテンシアは重いため息をつく。

 

 魔法学院の卒業式当日、式典も記念パーティーもなにもかもから逃げ出して、遠く離れた街で暮らすこと数年。

 オルテンシアが学んだことはただひとつ。

 結局、魔法使いは魔法使いの世界でしか生きられない――――それだけだった。


(違う国に行けば、新しい自分に生まれ変われるなんて。馬鹿みたい)

 

 魔法使いのいない街で、魔法使いを知らない人々の間で生活する。

 それがどれだけ困難なことか、当時のオルテンシアは知らなかった。

 この世界には遠い昔から魔法使いや妖精、魔族といった人とは異なる者たちが存在する。

 かつては人々に広く認知されていたが、時代が経つにつれ彼らは人々との関わりをやめ、独自の社会を築くようになった。

 

 やがて生まれたこの国の名を、クラヴィスと言う。

 

 オルテンシアが生まれた国であり、世界の半分の人間しか知らない国だ。

 もちろん、人間社会に紛れて生活する魔法使いも数多くいる。

 単に人ならざる者たちの共同体があるというだけであって、必ず属さなければならないという規則はない。

 人里離れた山の中、あるいは大都会の雑踏の中、魔法使いはどこへでも隠れている。

 だからこそ、オルテンシアもクラヴィスを出て新しい生き方を探そうと思い立ったわけなのだが、思い描いたようにはいかなかった。

 

(仕事を探さないと……それから、今日泊まる宿と、明日の食事と……)


 ほとんど中身のない旅行鞄を手に、オルテンシアは駅の中を進む。

 オルテンシアが降りた駅はレステ。かつて通っていた国立魔法学院がある地方都市だ。

 首都ほど栄えてはいないが、働き口も多い。オルテンシアのような独り身の魔法使いが暮らすのにもうってつけだ。


(もっと田舎へ行こうかとも思ったけれど、ここで正解だった)


 忙しなく行き交う人々は、オルテンシアを気にもとめない。

 勤め先で好奇の目に晒され続けたオルテンシアにとっては、今はそれが心地よかった。


 オルテンシアが仕事を辞めクラヴィスに帰ってきたのは、ほんの些細な出来事がきっかけだった。


 窓から落ちた子どもを助けた、それも魔法を使って。


 運が悪かったのだ。子どもが落ちたのは七階の窓で、下には大勢の通行人がいた。

 オルテンシアが魔法で止めなければ悲惨なことになっていただろう。

 浮遊魔法で子どもを浮かせたところに、飛行魔法で接近し受け止める。

 数十秒にも満たない時間だったが、オルテンシアが注目を集めるには十分すぎる時間だ。


 困ったことに数人の同僚に目撃された挙句、タブロイド紙にも載ってしまった。

 さらに運の悪いことに、この国ではかつて王妃を魔女として処刑した歴史があり、オルテンシアの勤める商工会のすぐ近くが処刑場の跡地だった。

 数世紀前の魔女狩りが発端となった事件であり、今の時代では半ばおとぎ話のように語られているらしく、知らない国民はいないぐらい。


 その話がオルテンシアと結び付けられるのはあっという間だった。


『オルテンシアさんって、人間じゃないんだって』


 おかげでオルテンシアは、魔女の末裔だとか亡霊に取り憑かれているだとか噂されるようになり、勤め先の商工会の評判にも影響するようになってしまった。

 魔法なんて信じないと言う人もいるが、立地の悪さも後押しとなって噂はどんどん広がっていきそのうち手に負えなくなっていく。

 優しかった商会長でさえぎこちない態度で接してくるようになり、とうとう辞める決心が付いた。

 要は、人助けで身を滅ぼしたわけだ。


「そこのお客さん、身分証を」


 憂鬱な気分で歩いていれば、警吏隊の男性に声をかけられる。

 

「検問なんてありましたっけ……?」


 知らぬ間に治安が悪化していたのかと不安に思ったのだが、どうも違うらしい。


「ああいや、臨時でね。例の密輸事件だよ」


 オルテンシアの呟きを聞いた警官は肩をすくめて苦笑する。

 

(例の? こっちの新聞を読んでないから分からないわ……)


 大きな事件でもあったのだろう。

 気になるが、あれこれ警吏隊に聞くよりここを通ってから売店で新聞を買えばいい。

 そう思いながら鞄を開けたその時だ。

 

「あっ!」

 

 びゅうっと強い風が吹き抜けて、カバンの中から書類が飛んでいく。

 履歴書だ。不備がないか汽車の中で見返した時に奥にしまい忘れたのだった。

 オルテンシアの指先をかすめて、軽やかに飛んでいってしまう。


「待って!」


 慌てて追いかけようとするが、それより先に履歴書を掴んだ人物がいた。


「――――学院卒か。エリートじゃないか」


 背の高い青年がオルテンシアの履歴書を手に、そう呟いた。

 文面を一瞥してからこちらへ歩いてくる。

 まぶしいほどに鮮やかな赤紫の瞳と視線が重なった。

 

「どうぞ、オルテンシア・リオーネさん」

「どうも、ありがとうございます……」


 なんて美しい人なのだろう。まるで精巧な人形のように整った顔立ちだ。

 肩の辺りで黒髪を結い、すらりとした手足は見とれてしまいそう。

 どこか気だるげな雰囲気を漂わせながらも、その微笑みは甘く優雅で、舞台役者がそのまま舞台から降りてきたと言われても頷けそうだ。

 オルテンシアはこの美青年にすっかり見とれてしまった。


「俺の顔に何か?」

「あっ、い、いえ! 失礼しました」

 

 彼の表情に変化はなかったが、初対面なのにまじまじと見つめてしまうなんて気を悪くしてしまったに違いない。

 慌てて頭を下げ、逃げるように警官の元へ戻る。


「身分証です。もう行っていいですか?」

「どうぞ、お気を付けて」


 改札を出て、駅から出ると交差点の前で立ち止まる。

 時刻は正午前、曇り空の多いこの国では珍しく快晴だ。

 煉瓦作りの建物が建ち並び、遠くには高くそびえ立つ魔法学院の時計塔が見える。

 まずは今晩の宿を確保してから、求人を探しにいかなければ。

 心臓がまだ落ち着かないが、手帳のメモを頼りに進もうとする。

 あらかじめ泊まるホテルや街の地図などリサーチは済ませておいた。ついて早々につまずくわけにはいかない。


「お嬢さん、これからどちらへ?」

「わっ!?」


 背後から声をかけられて飛び上がる。

 聞き覚えのある声だ。すぐさま振り向けば、再び赤紫色と目が合う。

 

「あなたはさっきの……!」


 ひらひらと手を振りながら、美青年が微笑んでいる。


「レステの街には、仕事を探してかな? ノクトレアから来るとは珍しい。その様子では、まだ泊まるところも決めていないと」

「そうですが……」


 先ほどの履歴書でそう思ったのだろう。オルテンシアがかつて住んでいたノクトレア共和国は、地理的にはさほど遠くは無いものの、魔法使いがほとんどいない国だった。

 

「君さえ良ければ案内しようか」

「ありがとうございます。ですが、ホテルの目星はついているので」


 やんわりと断ろうとする。気持ちはありがたいが、こんなに綺麗な人が隣にいたら目立って仕方がないし、なにより落ち着かない。


「残念だが、ホテル・クランは昨日から臨時休業中だ」

「えっ!?」

「雨漏りで改装工事だそうだよ。安くて良い宿だが、建物がなかなかに古いものだから」

「そ、そんなぁ」


 女性の一人旅でも安心して泊まれると紹介されていたが、改装中だったとは。

 

「宿泊先は俺が紹介しよう」

「いえ、そこまでして頂くわけには。他に探してみますので、お気になさらず」


 まったく知らない街というわけでもないのだから、きっとなんとかなると言いたいが、学生時代は寮暮らしで街へ遊びに行くことはほとんどなかった。


 頼れる知人さえいない現状では、彼の申し出はとても助かるが、いきなりそうも親切にされる理由がわからない。

 単に彼がお人好しという可能性もあるが、一人の女性を狙ったその手の輩でないとも言い切れない。

 

「なに、怪しい身分のものではないよ。安心してくれ」


 オルテンシアの警戒を感じたのか、彼はコートのポケットから折りたたまれた紙を差し出した。

 さては怪しげな団体の勧誘かと怪訝な顔で開く。

 

「博物館の、求人広告……」


 『グレイナーシャ魔法博物館 学芸員募集中』とある。

 初めて見る名前だった。グレイナーシャというのは創設者の名前だろうか。

 あまりこの国では聞かない響きだ。

 

「ここの学芸員をしている。と言っても、まだ開館すらしていないんだ。人手不足なもので、スタッフを探しているところだよ」

「ですが私は、学芸員なんて」

「俺は君のような人材を探していた。資格もある上に魔法薬学も言語学も修めている。履歴書を見た限りでも、魔法学院卒であれほどの資格があれば仕事なんて選びたい放題だろう」

「そんな。好きでやっていただけの趣味みたいなもので、結局はただの器用貧乏ですよ。特技もなければ、大した長所もありませんし」 


 昔からそうだった。習い事も学業も様々なものをやってきたが、一番の特技と言えるようなものはなく、優秀な人物だと勝手に期待をされてはがっかりされることばかり。


 平均的になんでもこなせる、ということが有能であることの証明にはならない。

 書類上の肩書きなんて所詮オルテンシア自身には何の意味をもたらさないものだった。


「では、趣味でわざわざ魔法文化財管理資格なんてマニアックなもの習得したと」

「それは……実家に古い魔道具や魔法書がいくつかあったので、いつか役に立つかと思ったでけです」


 噓ではない。履修のきっかけは実家が理由だが、魔法使いのいない国では使いどころがなかっただけだ。

 

「ほう。では今こそが役に立つ時だな。どうかな、一度博物館を見学していかないか。働くかどうかはそれから検討してくれればいいだろう」


 美青年は迷うオルテンシアに手を差し伸べる。

 面食いというわけではないが、彼の美しい顔でお願いされると頷きたくなってしまう。


「魔法博物館って、どんなものを展示しているんですか?」

「魔道具や魔石の標本、魔法書だったり、色々さ。元はある魔法使いの個人的なコレクションで、私設の博物館として展示する予定だ。規模は小さいが、なかなかに貴重な品もある」


 国立や公立の博物館はいくつもあるが、魔法使いのコレクションを集めた展示室というのは面白そうだ。


 元々博物館や美術館は好きだった。ここ数年はそんな時間もなかったから、久々にゆっくり鑑賞するのも悪くないかもしれない。

 

「では、その魔法使いの方がグレイナーシャさんですか?」

「そうだ。とは言っても、俺は会ったことすらないんだ。管理も経営も他の人間に任せきりで、こうして俺が求人広告を持って回らされている」

「まあ、それは大変ですね。でも、だからって、私みたいなのにいきなり声をかけなくても」

「君だから、だ。手当たり次第声をかけてるわけじゃない。君に可能性を感じたからに決まっている」

 

 急に真面目な顔でそう言われて、なんだか気恥ずかしくなってしまう。

 

 (あの一瞬で、そんなに期待されても……)


 どうせまたすぐがっかりされるだけだと、心の中で割り切ろうとする。


「そうだ。あなたのお名前は?」

「俺はシグルズ・ヴィルヘルム・ファールクランツ。シグルズでも、ヴィルヘルムでも好きに呼んでくれ」


 これまたなかなか珍しい名前だ。北方諸国で聞くような響きだと言える。

 話し方の割に口調は軽やかだった。

 

「ええと、では、シグルズさんと」

「ああ、では行こうか。案内しよう。それと、これは俺が持とう」

「あっ」


 シグルズはオルテンシアの鞄を断るまもなく奪ってしまう。

 荷物持ちなんてさせるわけにはと思う反面、ここまでずっと重い鞄を持ち歩いて疲れていたのも事実。


(今だけなら、預けてもいいかな……)

 

 普段なら自分の荷物を他人に預けるなんてこと、絶対にしないのに。

 会ったばかりで、こんなに親切なんて、いくら職員のスカウトのためと言えど、かえって警戒しそうになる。


(でも、どうせ職場探しはやらなきゃいけないんだし、これも縁ね)


 自分らしくないが、一人で気落ちしたまま求職に時間を費やすより、よっぽど素敵に思えた。

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