第33話 もしもの話 (Side:アルヴィン)

 とっぷりと日が暮れて、窓の外には深い闇が広がっている。

 部屋に備え付けの小さなシャワールームでさっぱりして部屋に戻ると、カルロは寝台に腰掛けて何かを読みふけっていた。


「カルロ……?」

「あぁ、出たか」


 パタン、と閉じられたのは手記のようだった。

 情緒も何もないこの男が日記など付けるとも思えない。きっと、レーヴ領で見た魔方陣や壁画について考察していたんだろう。


「早く髪乾かせ。こんな季節じゃ風邪ひくぞ。温風の魔道具がそこの引き出しに入ってた」


 指された引き出しを開けると、カルロが発明して社会現象にまでなった髪を乾かす魔道具が入っていた。さすが、貴族御用達の客車だ。

 開発当初は、黒魔法が使える召使たちの仕事を奪うと問題視されたが、今はその便利さから貴族階級なら殆ど常備している。庶民には高価だが、一般階級にも少しずつ普及しているようだ。


 髪を乾かす間、カルロが入れ替わりでシャワールームに向かう。彼はいつも烏の行水だ。僕の長い髪が乾き終わるころには、欠伸をかみ殺しながら出てきた。

 

「カルロも使う?」

「いや、いい」


 カルロが軽く指を振ると、ふわっと彼の周囲に魔法の風が巻き起こる。周辺の家具には一切影響を与えず、髪の雫だけを蒸発させる絶妙なコントロールは流石だ。

 僕は魔道具を引き出しにしまいながら話しかける。


「三日後には王都に着くんだよね?」

「あぁ。王都ではフロスト家のタウンハウスに泊まれるのか?」

「うん。すぐに社交シーズンだし、いつでも滞在できるようになってる。本家の使用人も数人、僕たちの到着に合わせて送ってくれるって。両親が来るのは少し後――社交シーズン開始に合わせてだと思うけれど」

「そうか。……意外と時間が足りないな」


 カルロが難しい顔をして自分の寝台に腰掛けると、スプリングがきしんだ。 

 時間――というのは、両親が提示した、竜を元に戻す方法を探す期限のことだろう。


「まぁ……仕方ないね。僕も社交をしないといけない。学園も卒業したんだし、シャロンのことを心配してる場合じゃないと言われれば、その通りだ」


 僕の言葉に、カルロはさらに険しい顔をして黙った。

 カルロがレーヴ領から僕の実家に送った手紙には、すぐに返事が来たようだった。


 曰く――カルロの熱意に免じて社交シーズン開始までは待つが、それ以上は了承できない、と。


「お前の両親の気持ちはわかる。いくら貴族社会に疎い俺にだって、アルヴィンがいつまでも不在にしている今の状況は、フロスト家にとって危機的だとわかってる。最悪の事態を考えて、領地運営の今後もあらゆる手段を考えてるんだろう」

「?……まぁ……そう、だね……?」


 少し気にかかる言い回しだが、おおむね間違ってはいない。

 十八になる嫡男が、社交をおろそかにして傭兵の真似事をしているなんて許されない。家督を継ぐためにも、早く父に教えを乞いながら、領地運営の実践をしていく必要があるのだ。


「アルヴィン。……一つ、聞いてもいいか」

「ぅん?なんだい?」

「もし――もしも、だ。もしも今回、竜になったのが、シャロンじゃなくアルヴィンだったら――今頃、お前の家の問題はどうなっていたと思う」

「へ……?」


 予期せぬ問いに、僕は思わずぽかんと口を開いた。

 しかし、難しい顔をしているカルロは、どこまでも真剣な様子だ。

 

「なんで、そんなこと――」

「いいから、教えてくれ。最後の最後、お前の両親に土下座をするとしても、だ。俺は貴族社会に疎い。物事の深刻さが、本当の意味ではわかっていない可能性がある」

「えぇ……?」

「頼む、アルヴィン。何も言わず、竜になったのがお前で、シャロンが助かっていた場合を考えてみてくれ」


 あまりにも深刻な顔で頼み込むので、困惑しながらも考えてみる。

 もしも、竜の器にされたのが僕で、フロスト家にシャロンだけが残されたなら――


「まず、跡取りの問題が出るよね。今年の社交シーズンは、両親は質問攻めじゃないかな。竜を人間に戻すなんて非現実的だし」

「具体的にどうするんだ。よく聞くのは、分家から養子を迎えるとか――」

「うぅん……今から養子に迎えて当主として育成するのに丁度良い男児はいないから、それはないんじゃないかな」


 親戚の顔ぶれを思い浮かべながら答える。

 通常、跡取りに養子を迎えるなら幼い子供を迎える。なるべく血が近いところから迎え入れ、幼少期から跡取りとしての教育を徹底的に施すのだ。

 しかし今、幼い男児は親戚にいない。分家の男性たちは僕と同年代か年上で、既に結婚している者も多い。

 かなり遠い分家筋まで広げれば候補もあるだろうが、父はそれを嫌がるだろう。

 なぜなら――


「そんなことしなくても、シャロンがいる。過去のフロスト家にも、直系の女性が女当主として立った例がある。それにシャロンは、カルロと婚約するまで、貴族と縁を結ぶ前提で教育されてきた。社交が苦手なシャロンに女当主を任せる不安は大きいけれど、領地運営の基本は叩きこまれてる」

「なっ……!?」

「フロスト家の『利』になる貴族の次男坊以下で、領地運営も任せられそうな優秀な男を選んで、婿に入ってもらうんじゃないかな。シャロンは今年で十六歳――その年で結婚していないどころか婚約者もいないなんて、縁談先に足元を見られて良縁が遠ざかる。とにかく急いで探す必要があるね」


 なぜか絶望的な顔をするカルロに、見解を説明する。カルロは可哀想になるくらい大袈裟に顔を青ざめさせていた。


「探すったって、どうやって……!社交デビューは婚約者と迎えるものなんだろう!?」

「力がある貴族の慣習では、ね。高位貴族になればなるほど、縁談には莫大な利権が絡む。偶然の出会いなんか許されない。親同士が冷静に計算をして結ばれる。特に令嬢は、変な相手を見つけたりしないよう、社交界に出るまで徹底的に交友関係を管理される。……でも、力を持たない貴族は違う」


 弱小貴族と最初から積極的に縁を結びたい相手などいない。事前に婚約相手を探すことは出来ないことが殆どだ。


「そういう家の令嬢は、十二歳くらいになったら男性の家族をエスコート役にして、最大限に着飾って夜会の中で相手を探す。己の美貌と社交力で、家のための結婚をもぎ取るんだ」


 子供を産むことが何よりの役割とされる貴族令嬢は、『行き遅れ』を最も嫌う。

 彼女たちにとって、十五を過ぎて結婚相手がいないなど、美貌と社交力のどちらかに決定的な欠点があると吹聴するのと同じだからだ。


「シャロンが女当主として立つのなら、領地運営に長けた貴族を選ぶ必要がある。君との婚約は破棄せざるを得ないだろうね。でも、今更相手を探し直そうにも、シャロンは客観的に見れば『行き遅れ』令嬢だ。両親は焦るだろうね。嫡男の僕が竜になっているとなれば、貴族たちには敬遠されるはずだし」

「じゃ、じゃぁ――」

「家格を考えれば異例だとしても、婚約者なしで社交デビューさせて、夜会で相手を探させるんじゃないかな」


 見知らぬ男性を怖がるシャロンにそんなことが出来るかは疑問だが、家のことを考えれば背に腹は代えられない。

 真っ先に犠牲にするのは、シャロン自身の幸福だ。

 

 初めて愛した男との結婚を白紙に戻し、家のための結婚をする――どんなに性格が悪い相手だったとしても。

 領地運営の手腕と社交界の影響力があるなら、性格も年齢も容姿も関係ない。

 望まぬ相手と結婚し、子供を産み、育て、苦手な社交に取り組みながら、女当主として必死に先祖代々継承してきた領地を守るのだ。


「こうして考えてみると、僕が竜になった時の方が、実家の問題は深刻だね。でもまぁ、こんな仮定の話に意味なんか――カルロ?」


 ふと目をやると、カルロは項垂れ、顔色が青を通り越して緑になっている。脂汗がびっしりと浮かんでいて、誰が見ても様子が尋常ではない。


「ど、どうしたんだい? 具合でも悪く――」

「嘘だろ……? こんな状況、どうしろと……?」


 この世の終わりのような顔をして、何やら呟いている。


「カルロ、あの、あくまで仮定の話だから――」

「っ――この状況で、シャロンが俺と結婚するとしたら、どうしたらいい!?」

「えぇぇ?この話、まだ続けるの?」


 思い切り呆れた顔で返すが、カルロはどこまでも本気らしい。


「うぅん……正直、その状況で、シャロンが君と結婚することは無いと思うけど――」

「そこを何とか!」


 親友の必死さに免じて、僕は顎に手を当て、仕方なく考え込んだ。


「まぁ……乗り越えなければいけない壁は二つ、だね」

「二つ?」

「もちろん、両親とシャロン本人だよ。両親を説得するには、カルロが結婚することでフロスト家が得る『利』を提示しなきゃいけない」

「昔みたいに、シャロンの安全を守るじゃだめ、ってことか」

「そりゃ、状況が違うからね。シャロンが女当主になって有力貴族の令息と結婚して得られる『利』と比べても、カルロと結婚する方が絶対に良い、って示さないと」


 ぐぅ……とカルロが小さく呻く。

 カルロがどれほど優秀な黒魔法使いだとしても、領地運営に関しては素人だ。さらに平民の彼は、社交界での影響力もない。

 両親を説得する材料は何もないと言っていい。


「……シャロンの説得は?」

「へ?」

「お前が言ったもう一つの壁、だ。シャロンを説得すれば、可能性はあるのか!?」

「えぇぇ……」


 いつまで不毛な仮説の話を続けるのか、げんなりしながら僕は考えてみる。

 

「君が奇跡的に両親を説得することが出来たとしても、シャロン本人が嫌だっていうなら、両親は許可しないだろうからね。僕の家族は、皆、シャロンに甘いんだ」

「じゃあシャロン自身に、俺と結婚したいって言わせればいいんだな!?」


 カルロは僕に歩み寄り、ガッと肩を両手でつかむ。

 大きな手で力強く握られ、ドキリと心臓が音を立てた。


「いや、それは最低限の条件ってことで――シャロンが君と結婚したいと言っても、両親を説得できないなら、どちらにせよ意味はないよ?」

「わかってる……!でも、シャロンを説得できれば、検討の土台には乗るってことだろ!?」

「う、うぅん……まぁ、そうとも言えるけど……」


 困った顔で僕はカルロから視線を外す。

 もしそうなったとき、シャロンがカルロとの結婚を望むかと言われると、わからない。

 シャロンも貴族の娘だ。家のためには自分の気持ちを優先することは出来ないことくらい、わかってる。


 それに、カルロ自身の将来のこともある。

 魔法に関しては天才であるカルロを、国の要職に就かせることなく、一領地に縛り付け、不得手な領地運営に縛り付けるなど出来ないと、シャロンは考えるはずだ。


 しかしカルロは僕を気にすることなく、ぐっと手を握り込む。


「っし、やるべきことは分かった!」

「か、カルロ……?」

「まずは最短で竜問題解決するためにアーノルドを探す。脅迫してでも知ってること全部白状させて、竜の魔法の秘密を解明し、対抗策を考える。その過程で竜が危険ではないことを立証し、フロスト家の名誉を挽回する。最低でもこれを、社交シーズン開幕前に終わらせる!」

「う、うん……」


 そんなにうまくいくかなぁ?と半信半疑で頷く。


「跡継ぎ問題なんて言っても、結局、アルヴィンが継げば何の問題もないんだろう!?」

「そうだって最初から言ってるよ……?」


 そもそも、今までの話は全部、カルロが言い出した『もしも』の話だというのに。


「竜は脅威じゃない――荒唐無稽な魔法を使うとしても対抗策があると証明し、竜神教の儀式が竜の魔法を人間が使う手法だという仮説が明らかになれば、器の儀式についても仕組みがわかる可能性が高い!どうやって人間が竜になるかもわかって――元に戻す方法も、わかるかもしれない!」

「か、かもしれない……ね。うん」


 瞳に炎を宿して燃え盛るカルロに、気圧されるように頷く。


「ってことは、社交シーズンまでに人間に戻った本人を連れて来られなくても、『元に戻せる』って証明を武器に交渉できるってことだろう!」

「こ、交渉……?」


 誰に、どんな交渉を持ちかけるつもりなのか。


「その後はもう、シャロンを口説いて、五体投地で土下座だろ……!額地面に擦り付けて精一杯同情を買う!これだ!」

「な、なんの話をしているんだい!?」


 明後日の方を向いて何やら後ろ向きな決意を力いっぱい宣言した相棒に、僕はただ戸惑うばかりだった。

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