第四章
第32話 行き遅れの令嬢 (Side:アルヴィン)
身を切る冷気を切り裂くように、汽笛が長く鳴り響く。
発車の揺れに備えて座席に掛けると、重たい車体を引きずるようにして漆黒の汽車が動き出した。
「さすが、一等車両は造りが違うな。どこの応接室かと思うくらい内装に拘ってやがる」
ふかふかの座面を確かめるように手で押しながらカルロが皮肉げに頬を歪める。
「あの……カルロ。さすがに、こんな――高かったんじゃないの?」
「お前が気にすることじゃない。どう頑張っても車中泊しなきゃならない旅程なんだ。金をケチって一般車両で寝泊まりなんかして、お前に何かあったらどうする。寝込みを襲われでもしたら堪らない」
「ぅ……で、でも」
カルロの心配性はありがたいが、貴族御用達の豪華な車両に気後れしてしまう。
皮張りの客席。カーテンのついた大きな窓。ふかふかのマットレスが敷かれた広い寝台。部屋中にふんだんに使われた、豪奢な装飾。途中で見かけた一等車両専用の食堂車も、高級レストランと見紛う造りだった。
とても、傭兵が使う車両ではない。元の身分がどうであれ、今の僕たちは傭兵なのに――
「金を出したのは俺だが、席を予約したのはレーヴ家だ。アイツらも同じ考えなんだろ」
「ぅぅ……お願いだから、全部終わったら、一緒に旅をした期間にかかった金額を必ずフロスト家に請求してくれ」
思わず顔を覆って懇願する。カルロはフンと鼻を鳴らしただけで、返事をしてはくれなかった。
王都に到着すれば、間もなく社交シーズンが始まるだろう。
そうなれば、カルロとの旅も終わりだ。――最初に両親と約束した『一年』が終わる。
一年前、僕はカルロと一緒に王都の学園を卒業している。つまり、本来であれば去年、僕はフロスト家を継ぐ準備に入るはずだった。
ただ、社交シーズンが始まる直前であんな事件があり、僕の家――いや、国中の貴族たちが、社交どころではなくなった。未曽有の危機を前に、領地を放り出して王都で優雅に夜会やお茶会に興じる馬鹿はいない。
不幸中の幸いというべきか。シャロンの安否もわからないあの状況で、僕に家を背負った社交など出来るはずもなかった。
だからこそ、一年という期限をつけて、両親を説得することが出来たのだ。
次の社交シーズンには、必ずフロスト家の嫡男としての働きをするから、それまでは――と。
時に貴族らしく冷酷な顔を持つ父だが、家族の前ではただのお人好しの甘い男だ。僕の懇願に、困った顔をしながら、最後は了承してくれた。
だから僕とカルロの旅は、結末がどうであれ――あと少しで、終わる。
「そう言えば、ベアトリス嬢との話はどうなったの?」
「どうなったもクソもあるか。最後まで突っぱねたに決まってるだろ」
「……もったない」
不機嫌になるカルロに、呆れて嘆息する。
今朝、屋敷を発つときにわざわざ見送りに出てきてくれたトビアス氏とベアトリス嬢を思い出す。カルロを家門に引き入れたいという思惑があったとはいえ、滞在中は本当によくしてくれた。僕が家に戻れば、それなりの恩返しをしなければいけないだろう。
「お前こそ、なんであのクソガキと仲良くなってるんだ」
「クソガ――……もしかして、ベアトリス嬢のこと?」
この国で女性を権力順に並べたら、上から数えた方が圧倒的に早い位置にいる少女にそんな物言いが出来るこの男は、やはりただ者ではない。悪い意味で。
「せっかく縁談を結ぼうって言ってくれている高貴な女性に、そんな――」
「クソガキだろ。五つも下の子供に興味はねぇ」
窘める僕に、カルロは嫌そうな顔で吐き捨てる。
確かに、恋愛結婚が当たり前の庶民の平均初婚年齢と比べれば、貴族は圧倒的に早い。
高位貴族の令嬢は、十歳くらいから相手の候補が複数いることが当たり前で、十二、三歳になるころには社交デビューと共に正式な婚約を発表する。そして、十五になるころまでに結婚式を挙げて、相手の家に入るのが一般的だ。
そう考えれば、ベアトリス嬢が今、カルロと婚約を結んで次の社交デビューで正式に発表したいというのも、僕から見れば違和感はない。時には親子ほど年が離れた有力貴族の後妻に入ることもある貴族社会で、歳の差についてなど考えたこともなかったが、彼にとっては違うらしい。
「シャロンだって年下じゃないか」
「二つくらいなら許容範囲だ」
「でも……貴族社会では、シャロンはもう『行き遅れ』と言ってもいい。仮に今後、僕たちの仮説が証明されて、竜と恐化は関係ないと周知され、シャロンがフロスト家に残れることになっても……やっぱり、今更君と結婚したところで、君にとっては――」
「なおの事いいだろ。もらい手がないとしても、俺が貰う。何が不満だ?」
行儀悪く窓枠に肘をついて、頑なに言い放つカルロに、困り切って口を閉ざす。
どうして彼は、こんなに意固地になるのだろうか。
シャロンは、今年十六になる。本来なら、昨年社交デビューを果たして婚約期間を経た後、今年には結婚式を挙げるはずだったのだ。
だが、今シャロンが戻って来ても、十六を過ぎても相手がいない『行き遅れ』令嬢だ。まともな縁談を探すのは苦労するだろう。
シャロンが竜から人に戻れるとしたら、きっとカルロの功績に違いない。カルロは、世界的にも竜の脅威から世界を救った英雄になる。
『行き遅れ』の女でありながら、英雄と結婚できるなど、奇跡だ。しかもシャロンは、これから世の羨望を集め活躍するカルロにとって足手まといにしかならないだろう。
カルロの才能に嫉妬し、彼を貶めようとする卑劣な人間にとっての格好の的になるだけだ。
危険に巻き込まれやすい上に出世の弱点になり得る厄介な女のお守りを、大義名分と共に手放せる好機だというのに、なぜカルロはそんなにもシャロンに固執するのか。
「不満とか、そういうのじゃなくて……ベアトリス嬢、とても可愛らしい令嬢じゃないか。少し気が強い所もありそうだけど、強がっているだけだと思うし、正式に結婚するころには成熟して良妻になると思うけれど」
「だから、なんでお前たちが仲良くなってるんだ。お前の立場なら、人のモンに手を出すなと抗議してもいいところだろう」
カルロは顔を覆ってイライラとため息を吐く。僕は答えに困って、車窓へと視線を移した。
「シャロンからすれば、恋敵だぞ。敵だ、敵。昔のお前なら、『シャロンの敵は僕の敵』とか言って徹底的に排除しようとしただろ」
「そんなまさか……あんな可愛くて良い子に、そんなことは思えないよ。シャロンだって、同じ高位貴族の家に生まれた令嬢同士、分かり合えることも多いだろう。最初は人見知りを発揮するだろうけれど、妹が出来たみたいで嬉しいって言うんじゃないかな」
「まぁ……シャロンが交友関係を広げること自体は悪いことじゃないが」
ぶすっとした顔で認めてくれるカルロは、やはり優しい男だと思う。
返す返すも、シャロンには勿体ない相手だ。
「まぁ、今はそんなのはどうでもいい。とにかく、俺は竜の魔法の解明を目指す。それが出来なきゃ、山頂の竜に会いに行くこともできない」
「不思議な魔法障壁の解除法、だよね」
「あぁ。王都に着いたら、すぐに竜神教の禁術についても調べないとな。長年研究しているアーノルドに会えれば、シャロンが巻き込まれた魂移しの儀式についても、新しい何かがわかるかもしれない。あれが本当に魔法の一種なら、必ず原理原則がある。竜を召喚し、魂を移す――魔法の詳細がわかれば、元に戻す方法もわかるかもしれないだろ」
「……うん。そうだね」
僕は、窓の外に遠ざかっていく高い山脈を眺める。
正直、そんなに簡単に行くとは思えないが、今は、一年かけて掴んだ微かな希望に水を差したくはない。
凍えるような寒さの中で、人々に影響を及ぼさないよう最低限の生命活動に抑え眠っているであろうシャロンを想い、僕は静かに目を閉じた。
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