第30話 竜神教の禁術② (Side:アルヴィン)

 洞窟の中は、風がない分少し暖かい。


「足元、濡れてる。滑るから気を付けろよ」


 カルロは魔法で光源を生み出すと、当然のように僕の手を引いて歩き出した。あまりにも自然に、遠慮する暇もない早業で手を取られ、思わず従ってしまう。

 

「広さは、お前が調べてくれた通りだな」

「う、うん」


 周囲を明かりで照らしながら真面目な話をするカルロに、平静を装って頷く。手袋をしていてよかった。緊張で手に汗が滲んでいるのを悟られない。

 ドキドキする心臓をごまかして歩いて行くと、集会が開かれていた広い空間に出る。

 

「うわ……荒れてんな。戦闘があったのか」

「みたい、だね。集会が開かれてるときに強制捜査に踏み込んで、その場で全員捕縛したらしいよ」


 カルロが光源を操り、空間全体をぐるりと照らす。

 邪教の集会場と呼ぶに相応しく、宗教的な壁画や、儀式に使われたらしき謎の物体が床に散乱している。一部には血痕らしき汚れも見受けられた。信者が逃げまどい、抵抗したのだろう。


「あれは――祭壇、か。シャロンのときもあったな」

「ぅ……」


 光源が照らす洞窟の最奥に設けられた祭壇に、すぅっと胃が冷える。嫌な記憶だ。

 

「奥の壁に掛かってるのは、なんだ?布?絵――いや、紋様、か?」

「竜神教の紋章らしいよ。既に他の捜査で押収されたものと同じだから残されたんじゃないかな。信者が集会をするときは、必ずこれを祭壇に掲げて、皆で祈りを捧げるみたい」

「なるほど、ねぇ?」


 正教すら信仰していないカルロは、宗教的な行為そのものには興味がないのだろう。呆れたようにつぶやいて、紋章へと光源を近づける。

 強制捜査の騒動のせいで、布を吊るしていた右上の紐が外れて傾いているが、これまで資料で何度も見た竜神教の紋章に間違いない。

 布に紋様が縫い込まれ、色とりどりの刺繍糸が複雑に使われている。

 同心円が互いに干渉し、三角、五角形が重なり、どこまで続くかわからない線の迷路が複雑に絡み合う。

 平面でありながら立体に見え、立体でありながら平面に収まっている――奥行と距離感が混乱していく錯覚。


 長時間眺めていると気分が悪くなりそうで、僕はそっと視線を外した。


「魔方陣、ってやつか。一つ一つは数学的に完璧な図形なのに、違和感が拭えない――黒魔法的には、とにかく気持ち悪い」

「僕もだよ……しかもコレは、色が複雑に絡んでいて、資料で見るよりずっと気分が悪い」

「……ぅん?」


 僕のつぶやきに、カルロは何か引っかかったようだった。顎に手を当て、軽く首を傾げる。


「お前が今まで資料で見たのは、白黒だったのか?」

「え?う、うん。紙にインクで写し取るわけだから、当然――」

「ってことは、過去に他の場所で押収された祭壇の紋章も、同じように色がついてたのか?」

「確か……うん。『複数の色で描かれた紋様』って描いてあった」


 僕は、過去に見た資料の記憶を引っ張り出す。

 カルロが気になっているということは、そこに、何か魔法的な意味があるのかもしれない。


「他の紋章も、布に刺繍されてたのか?」

「いや、壁に直接描かれてたものや、絵として額縁に収められてたものもあったはずだよ。でも、使われる色の数や配置はバラバラで、規則性はないと判断されたんだと思う」

「……どうだろうな」


 カルロは呟いて、傾いた紋章に近づき、手で触れる。


「禁教とされてる宗教だぞ。強制捜査が入って身一つで逃げるなら、次の集会場では新しい紋章を作る必要がある。それなのに、こんな複雑すぎる紋様を、わざわざ複数色で刺繍するか?」

「確かに……もっと、手軽なものにするよね……」


 祭壇に掲げられるからには、この紋章は信仰の対象として重要なもののはずだ。

 それならば、逃げた先でも手軽に用意できるように、一色で描く方が理に適っている。紋様だって、こんなに奇怪なものにする必要はないはずだ。

 そもそも、竜が存在したという太古の時代から、弾圧されながら密かに信仰されてきたのだから、時を経るうちに簡易になってもおかしくない。


「それなら、紋章の形と、複数の色を使うこと――この二つには、必ず意味があるはずだ。苛烈な宗教弾圧の中でも譲れなかった、奴らにとって重要な、何かが」


 ゴクリ、とつばを飲み込む。不気味な魔方陣が、急に凄みを帯びた何かに思えた。

 カルロはじっと紋様を見上げる。


「……アーノルドは」

「え?」

「前に言った、俺の昔の後見人だ。……奴は、竜神教が伝承する禁術を、『魔法』の一種だと仮説を立てた」


 山道を歩く最中に教えてくれた彼の昔話を思い出す。

 禁教を研究対象にしたために、王都を追われた、黒魔導師の話。


「俺は、何を馬鹿なことを、と思っていた。本当にあったかどうかもわからない竜の伝承を信じて、竜神の力を借りる禁忌の術だと妄言を吐いて、既存の魔法体系を無視した謎の儀式を繰り返す――正気の沙汰とは思えない」


 カルロの真剣な横顔に、僕は躊躇いがちに頷く。

 それは、今の時代の”常識”だ。

 だが、カルロは今、それを覆そうとしている。


「だが、実際に”竜”は存在した。シャロンを攫った連中は、床に『禁術』の魔方陣を描き、謎の呪文を唱える儀式によって古代の竜を蘇らせ――魂を移し替えやがった。俺の、目の前で」

「……」


 ぐっとカルロは眉根を寄せる。


「おまけに、蘇った”竜”は、黒魔法と白魔法を混合させたような、未知の魔法を使うらしい。……既存の魔法体系を無視した、謎の魔法だ」

「!」


 そこまで言われれば、僕も察する。

 竜神教が古来から伝承してきた禁術は、竜が使う魔法に紐づいているのではないか、とカルロは考えているのだ。


「一年前のあの日も、床に魔方陣が描かれていた。禁術には、魔方陣が必要だと仮定すると――この紋章も、何らかの魔法的な意味が付与されている可能性が高い」

「そういえば、カルロ、さっき『数学的に完璧な図形』って……それって、黒魔法に通じるってことじゃ――」

「あぁ。俺もそれを考えていた。黒魔法的な意味合いを持つ紋様に向かって、白魔法の根源となる”祈り”を捧げる。黒魔法と白魔法の混合、っていう俺の仮説が、妙な信憑性を持つだろ?」


 カルロは、ふっと形だけの笑みを浮かべるが、目は笑っていない。

 きっと、竜の魔法が黒魔法と白魔法の混合という仮説を思いついたときから、禁術との関係性については見当をつけていたのだろう。

 そしてここへ来て、それを確信に近づけている。


「色と紋様の関連性については、さっぱりだがな。やっぱ、一度アーノルドに話を聞かなきゃならねぇか……あの研究馬鹿のことだ。どうせ、ばれないように今も研究してるに決まってる」

「でも、どこにいるか、わかんないんだよね……?」


 カルロはため息を吐く。面倒くさそうに。


「いったん、王都に行くしかないだろうな。足取りを辿るとしたら、学園――その次が魔塔だ」


 気は進まないが、とカルロがぼやく。

 カルロは王都では有名人だ。学園も、魔塔も、魔法騎士団も、全て王都にある。カルロを欲する国家権力が全て集結しているのだ。

 この緊急事態に王都に赴けば、魔塔や騎士団への勧誘が激しくなることは容易に想像出来た。


「王都に行くなら、僕は、貴族用の特別資料館にも入れる。押収された竜神教の紋章の現物が残ってるかもしれない。複数の色を使うことの共通項を探してみるよ。……資料が、フロスト家が見られる開示範囲にあれば、だけど」

「もし無理なら、気は乗らねぇが、ダミアンに便宜を図らせればいい。アイツは魔法馬鹿だ。白魔法と黒魔法の混合の可能性なんて餌をぶら下げれば、すぐに協力するだろ」


 嫌そうに吐き捨てるカルロに、嘆息する。

 先日のやり取りを思い出せば、とてもダミアンと仲が良さそうには思えなかった。なるべくなら接触を避けたいと思っているようだったし、借りを作りたくないのだろう。


「敢えてダミアンにお願いしなくても、ベアトリス嬢との婚約を承諾すれば――」

「ぁ゛あ゛ん??なんか言ったか?」


 ぐりん、とこっちを振り向くカルロの顔が怖い。

 

「……なんでも、ない、デス……」


 それ以上の反論を決して許さない鬼の形相に、僕は蚊の鳴くような声で提案を飲み込んだのだった。

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