第29話 癒しの光 (Side:アルヴィン)
雪が積もった洞窟の入り口に立つと、中はぞっとするほど暗かった。
「アルヴィン。洞窟の中がどうなっているか、情報はあるか?」
「うん、ちょっと待って」
言われると思って、あらかじめ手帳にまとめてきた。分厚い手袋のせいで捲りにくいページに四苦八苦しながら、該当ページを探し出す。
「あった。これでいい?」
「あぁ。ちょっと待て。計算する」
ページを開いてカルロの前に差し出すと、真剣なまなざしが注がれる。
手帳に書かれているのは、洞窟の内部の概要だ。どれくらいの奥行きがあるのか。広さと高さはどれくらいか。どこにどんな障害物があるのか。
「重要な資料はあらかた押収されてるんだよな?」
「うん。過去に他の地域でも押収されたことがある資料は、放置されてるみたいだけど。竜神教の聖書とか」
「なるほど」
カルロは呟いて、考え込むように口元に手を当てる。時折、聞き取れないほど小さな声で何かを呟いているのは、彼が言うところの”計算”をしているのだろう。
いつもの飄々とした様子が嘘のように空気が張り詰める。ドキリと心臓が一つ跳ねた。
「……よし。まとまった。――”音”で行こう」
「音?」
手帳から顔を上げたカルロに聞き返す。
カルロは寒冷地用の黒いローブを翻し、洞窟へと向き直りながら説明した。
「俺たちが見つけたいのは、国の調査機関が見つけられなかった新しい手がかりだ。残っている資料を傷つけるわけにはいかないだろ」
「う、うん」
「だけど、中に脅威が潜んでいる可能性はゼロじゃない。逃げ延びた信者が隠れていたり、冬眠しそこねた熊がいたり……そういう危険は先に排除しておきたい。行動が制限される洞窟内で戦闘は御免だ」
「そうだね……」
僕も手帳に目を落とす。集会場になっていただけあって、洞窟の中はそれなりの広さはあるが、あくまで集会場として機能する程度でしかない。戦闘をするのに十分な広さとは言い難かった。
「とはいえ、資料を傷つけるような攻撃は出来ない」
「燃やしたりは出来ないってことだよね」
「あぁ。……だから、”音”だ」
カルロは僕を背に庇うように立つと、足元の雪を軽く均し、踏ん張りが利くように足を広げる。
洞窟へ狙いを定めるように、右手を広げてまっすぐに前方に伸ばした。
「跳ね返ってもこっちには来ないように計算するが、記述漏れの障害物があれば軌道がずれる。念のため、耳は塞いどけ」
カルロのぶっきらぼうな指示の直後、空気が微かに震えるのを感じる。
広げられた掌に、目には見えない力が集まっていき、僕の耳にも、胸にも、ほんのわずかな振動が伝わった。
慌てて、言われた通り耳を塞ぐ。
「いくぞ!」
「っ!」
カルロが合図した瞬間、何かが起きる。
掌をかざすカルロの指先から、目には見えない音の波が生まれるのを、身体で感じた。空気がわずかに振動し、岩壁が微かに響く。
恐らく、人間の耳には聞こえない高さの”音”を放ったのだろう。
カルロは、周囲の空気、岩壁の形状、距離、振幅、周波数――あらゆる要素を計算したのだ。まるで、洞窟そのものを数字と式で把握するように。
この魔法を受ければ、人間がいれば意識がぐらりと揺れ、動物なら反応して逃げる。しかし、中に残された資料には傷一つつかない。
軽く嘆息して、カルロは掌を下ろす。空気は静かに戻った。
「よし。こんなもんだろ。……大丈夫か?」
「う、うん」
振り返ってこちらを窺うカルロに、耳を塞いだ手を下ろして頷く。
耳が痛くなったり身体に異常をきたしたりといったことはない。本当に、カルロは全部を計算し切ったのだ。
相変わらず、化け物じみた魔法練度だ。
「本格的に雲が厚くなってきたな。雪が酷くなる前に――」
空を仰ぐカルロの背中――静かだった洞窟の入り口から、黒い影が無音で迫るのが見えた。
「っ……カルロ!後ろ!」
「!?」
僕の声にカルロはすぐに臨戦態勢を取りながら振り返る。
当然のように僕を庇って立ちはだかると、一瞬で光の盾を展開した。
「なんだ!?」
咄嗟のことで、計算が間に合わなかった箇所があったのだろう。防御の盾をかいくぐって目の前に迫った黒い影に、カルロの驚愕が響く。
飛翔する黒い塊を首を傾けて避けた。
「くっ――!」
「カルロ!」
幸いなことに、黒い塊に僕たちを執拗に攻撃する意図はなかったようだ。
かすめるように僕たちの横を無音で飛び去って行くだけで、追撃はなかった。
「なんだ、ありゃ!?」
「無音蝙蝠――かな。寒冷地に住む、蝙蝠だよ。羽音も最小限で、鳴き声も上げないって聞くけど……本当だったみたいだね」
間近を通り抜けた影の姿に、僕は見覚えがあった。昔、図鑑で見たことがある。
信者が来なくなった洞窟に棲んでいたのが、カルロの魔法で驚いて飛び出して来たのだろう。
無音のせいで、僕もカルロも、間近に迫るまで気が付かなかった。
「驚かせんな!敵襲かと思ったじゃねぇか!ったく……」
ぼやくカルロを見上げると、頬から紅い筋が垂れているのが目に入った。
「カルロ!傷が――!」
「ぁん?……あぁ、さっき防ぎ損ねた奴の爪が掠ったんだろ。こんなん、舐めとけば治る」
驚く僕を尻目に、カルロは乱暴に手の甲で傷口を拭う。
拭き取られた後からも、血が垂れてくるのを見て、僕は青ざめた。
「駄目だよ!洞窟の中が汚くて、破傷風にでもなったらどうするんだ!」
「んなこと言っても――」
面倒くさそうにあしらうカルロの言葉は無視する。僕は背伸びをして彼の頬に手をかざし、聖典の一節を唱えた。
「『恵みの章』――恵みの光もて傷を癒したまえ」
柔らかな光が手のひらから溢れ出し、傷を優しく包み込む――小さな傷を癒す、定番の白魔法。
カルロはいつだって、戦闘力に乏しい僕を最優先で守ろうとする。きっと今も、僕のことを考えなければ、無傷でやり過ごせただろう。
僕がお荷物という自覚はある。そもそもこの旅だって、国の要職にすぐに就けるという話を断って、僕の我儘に付き合ってくれているのだ。
僕のせいで傷を負ったなら、せめて僕が癒さなければいけないだろう。どんなに些細な傷だったとしても。
真剣な表情で治癒をする僕を、カルロは眼を見開き息を詰めて眺めている。
癒しの波動と共にじんわりと温もりが広がっていくと、頬に入っていた紅い線は見る見るうちに跡形もなく消えていった。
ほっと息を漏らして、微笑みかける。心配のあまり、気づけば思ったよりも顔が近づいていた。
「うん。これで、大丈夫。痛みはない?」
「いや……俺の天使が尊すぎて胸が痛い……」
「は?」
噛みしめるように呟くカルロに、首を傾げる。確かにこれは天使が登場する章を用いた魔法だが、移民のカルロは、正教を信仰していないと思っていた。
「傷が治ったならいいんだ。でも、僕を庇って、君が怪我をするのは嫌だよ。魔道具もあるんだし、僕のことよりも、自分を優先して――」
「いや。俺は今、より一層お前を積極的に守ると心に決めた。……一刻も早くシャロンと結婚したい」
「僕の話聞いてた!?」
何やら覚悟を決めた顔で力強く宣言するカルロに、僕の全力のツッコミが雪空に虚しく響くのだった。
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