第27話 竜神教の禁術① (Side:アルヴィン)

 ひゅぉ――と身を切るような北風が吹き抜け、思わず肩をすぼめて寒さに耐える。

 風に暴れる長い髪を押さえつけてやり過ごすと、目の前のカルロが立ち止まってこちらを振り返っていた。


「大丈夫か?レーヴ家の屋敷のあたりと比べれば十分標高が高い。山の天気は変わりやすいって言うし、早く終わらせて帰るぞ」

「う、うん」


 当たり前のような顔で差し出された手を、少し気恥ずかしく握り返す。

 

 ここは、竜がいると噂される山脈のふもと。整備の行き届いていない山道に慣れない僕を気遣ってくれたのだろう。

 街中で手を差し伸べられたわけではないのだから、貴婦人をエスコートするような意図ではないとわかっているが――シャロンの意識が混濁しているのだろうか。予想外に大きな手で力強く包み込まれれば、心臓が一つ、甘い音を立てて脈打った。


「どこまで話したか――あぁ、アーノルドが俺の才能に目を付けて、親が死んで国に送還されそうになってたところに後見人として名乗り出て学園にぶち込んでくれたところか」

「う、うん。でも、その、アーノルド氏は、貴族じゃなかったんだよね……?」


 身寄りのない子供の後見人になると申し出るのは、貴族か、庶民であってもかなりの富裕層だ。

 もし貴族だったら、貴族名鑑をほぼ暗記している僕なら必ず名前を知っているはず。しかし、アーノルドという家名に心当たりはない。


「あぁ。魔塔に所属してた黒魔導師だ。変人だったが優秀な研究者だったし、魔塔所属なら後見人として信頼できる。学園には、本人が卒業生だったから顔が利いたらしい」

「養子縁組とかは?」

「魔塔所属の研究者となると、将来研究の権利関係が煩雑になるから、ってことで養子にはならなかった。あー、なんつーか……貴族のお前にもわかりやすく言うなら、うっかり養子縁組すると死んだときに財産分与とか面倒になることがあるだろ。そういうアレだ」


 確かに、魔塔レベルの研究権利となると、下手をすれば国家級の利権が絡む。容易に縁を結べないのも納得だった。


「まぁ、本人は研究以外に髪の毛一筋ほども興味がない変人で有名だったからな。権利どうこうより、俺の養育が面倒だっただけな気もする。家庭も持ってなかったし」

「そ、そう……」


 危険人物ではなさそうだと理解したが、相当変わった人物であることも同時に理解して、頷く。

 カルロの幼少期の話は、ふんわりとしか聞いたことがない。紛争で母国を追われ、移民として暮らし始めてすぐに両親が病で亡くなって――となると、あまり踏み込んで聞くべきではない過去なのでは、と思って詳細に聞いたことはなかった。

 気分を害したり、哀しい記憶を呼び戻させてしまったりしていないだろうか、と心配になって、手を引いてくれるカルロの顔を盗み見るが、表面上はいつものカルロだ。


「で、そのアーノルドが心血を注いでた研究っていうのが、『血筋と魔法能力の関係性』ってやつだった。遺伝で決まる魔法適性だが、貴族に白、庶民に黒が多い理由を、特権階級にいる貴族と庶民は子供を産まないせいだと気付いて発表したのはあいつだな」


 カルロは、特に気にした風もなく、かつての後見人という男の話を続ける。


「でも……その、僕でも知ってるくらいの有名な言説を発表して、学園にも顔が利くほどの魔導師だったなら、有名で優秀な男だったんだろう?それなのに、どうして国の監視なんて――」

「あぁ。研究が行き過ぎて、な。貴族と庶民の混血を意図的に増やしたらどうなるんだとか言い始めたあたりで、研究を止めろとのお達しが出た。そりゃそうだ。アイツは変人で有名だったからな。もしアイツが、研究のために貴族令嬢を無理やり攫って犯して子供を作ろうとして捕まった、とか聞いても、俺は驚かない。アイツなら、それくらいやりそうだと思う」


 ぞわり、と背筋が粟立って、思わず手を引っ込めて立ち止まる。

 

「あぁ……悪い。お前には、冗談に聞こえない話題だったな」

「ご、ごめん……つい……」


 ガリガリと頭を掻いて謝罪するカルロに、目を伏せる。

 そういう身勝手な男の魔の手に脅かされ続けて来たのが、シャロンだった。本能的な嫌悪と恐怖が、背中を駆け抜けたのだ。


 カルロは少し考えて、安心させるようにもう一度僕の手を取って歩き出す。


「大丈夫だ。国も馬鹿じゃない。普段の素行も鑑みて、アーノルドに研究を止めるように要請した。研究費用も取り上げ、必要な文献へのアクセスも制限した。アーノルドは、心血を注いできた研究を取り上げられて、抜け殻みたいになった。実際に犯罪に手を染めたりはしていないし――大丈夫だ。どんなことがあっても、絶対にシャロンには手を出させたりしない」


 カルロの表情に、もう冗談が入り込む隙は無い。


「でも……後見人、だったんだろう?」

「ん?あぁ、そうだが?」

「恩人、だったんじゃないのか……?」


 恐る恐る尋ねると、呆れた顔が返って来た。


「そりゃ、結果として学園に入れてくれたことで、アルヴィンと出逢えて、シャロンとも出逢えた。それまで感覚でしか使ったことがなかった魔法を体系的に学べたのは良かったし、自分が思っている以上に自分に才能があることも知れた。……そういう意味では感謝してるが、別に。後見人なんて名ばかりで、俺のことも、異国の血筋の魔法行使者が珍しくて、研究対象として見てた側面の方が大きいような男だった」

「そう、なんだ……も、もしかして、カルロ、その男に何か嫌なことをされたりとか――」


 心配になって蒼い顔で問いかけると、ふっとカルロは片頬で笑った。


「お前は心配性だな。大丈夫だよ。基本的にはずっと放置されてたから、黒魔法の授業以外で会話したことの方が少ない。……再会することになっても、お互い何もないさ」


 もし、カルロが過去に嫌な思いをしていたのなら、竜騒動に端を発したことで接触を試みさせるのは申し訳ない。竜問題は、僕たち家族の問題なのに。

 そう思って聞いたのだが、カルロはいつものように飄々として何でもないと告げる。


「話がそれた。関連する文献にもアクセスできない、予算も取り上げられた、となれば、アーノルドに残された道は新しい研究対象を見つけることだけだ。だが、よりにもよって、しばらく放心してたアーノルドが目を付けたのは、竜神教が伝承する禁術だった」

「――!?」

「まぁ……禁術っつーくらいだし、謎に満ちているのは事実だ。生贄が必要だとか、奇怪な魔方陣を描くとか、謎の言語で呪文を唱えるとか――色々噂レベルで聞いてたが、あのバカはそれを『謎の儀式』じゃなく『魔法』の一種なんじゃないかと研究し始めやがった」

「そ、れは……確かに……問題、だね……」


 思わず引き攣った声で言うと、「だろ?」とカルロも呆れた声で同調した。

 信仰自体が禁止されてる邪教が行う、人道に反している可能性も高い、効果もよくわからない『謎の儀式』――そんなものを、国の研究機関である魔塔の魔導師が本格的に研究する、だなんて、許されるはずがない。


「なんで血筋研究が駄目ならこっちはOKと思ったのか、本当に意味が分からん。さすがに、おおっぴろげに研究を公言するような阿呆じゃなかったが、放心状態だった研究馬鹿が、急に活き活きとし始めたとなれば、新しい研究対象を見つけたのは火を見るより明らかだ。そんな奴が研究内容を公言しないことが怪しい、ってことで、秘密裏に調査が進められ、あっさり証拠が出て、アウト。こっそり溜めてた全ての研究結果を廃棄させられた上で、即刻魔塔から除籍され、学園にも一切関わるなと、王都からの更迭が決まった」

「……そう、だったんだ……」


 そりゃあそうなるだろう、という処遇だ。

 そして、彼が国に今も監視されているだろう、という理由も同時に理解する。

 更迭時に研究結果は持ち出せなかっただろうが、魔塔のような組織に所属していた以上、国外への機密漏洩を監視されるのは当然だ。

 まして更迭の原因が最悪だ。危険思想を持つと見なされても文句は言えない。


「当時は、魔導馬鹿が派手に阿呆なことをやらかしたな、程度にしか思ってなかったが――しかも、俺にとっては最悪なタイミングで更迭されやがったから恨んでもいたが――シャロンが誘拐されたときの儀式の様子を思い出すと、実は、アーノルドが言っていた仮説は当たってるんじゃないか、と思い始めた」

「えっ……」


 前を行くカルロがふと足を止めると、サク……と霜が降りた地面が音を立てた。

 僕もつられて立ち止まり、カルロを見上げる。


「どうかした?」

「いや……そういえば、集会場になってた洞窟ってこの辺りじゃなかったか?」

「あっ……!ちょっと待って!」


 カルロの話に夢中になってしまっていたことに気付き、慌てて懐から地図を取り出す。

 冷気を遮断する分厚い手袋のせいでめくりにくかったが、なんとか折りたたまれた地図を開いた。


「うん。確かにこのあたり、だと思うけど……雪で地形がわかりにくいね」

「そうだな。山道を外れて探す必要がありそうだ」


 カルロが周囲を見渡す。

 雪に覆われた岩壁と背の低い針葉樹――どこも似たような景色だ。一見しただけでは、洞窟は見当たらない。


「何があるかわからん。この辺りの竜神教の根城はあらかた摘発された後って話だが、新しく集まってる連中がいないとも限らない。いつでも剣を抜けるようにしておけ」

「う、うん……!」


 ごくり、と唾を飲んで腰の剣に手をかける。

 冷気に晒された金属の柄が、ひんやりとした感触を返して来た。


「いつも通り、絶対に俺の目の届かない所に行くなよ。魔道具はちゃんと全部身に着けてるな?」

「うん」

「指輪も?」

「うん」

「そうか。……絶対外すなよ、指輪。絶対だぞ。永遠に外すな。この任務が終わろうが、社交シーズンが終わろうが、来年になろうが再来年になろうが――誰に外せと言われたとしても」

「え?う、うん……?」


 急に早口で念押しされて、戸惑いながらも勢いに押されて頷いてしまう。


 ――あれ。この指輪を、カルロがベアトリス嬢と婚約しても外すなというのは、一体どういう……


「よし。じゃあいくぞ」

「あ、う、うん!」


 カルロは山道を外れ、雪の積もった斜面へと足を踏み出す。

 頭に浮かんだ疑問を尋ねる間もなく、僕は慌ててその背を追いかけた。

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