第26話 泥沼の恋路④ (Side:カルロ)

「全く……そんなに、嫌なのかい?両親の申し出が」

「当たり前だろ。なんで俺が従順に受け入れると思ってるんだ。阿呆か」


 なりふり構っていられない事情――それは、数日前に起きた。


 ベアトリスと廊下で揉めているところをシャロンに見つかって、聖人君子アルヴィンになり切ったシャロンから、遠回しに失恋を宣告された後――


 どう考えても誰かが告げ口しただろうというタイミングで、現フロスト領主から手紙が届いた。夫妻の連名で、「この手紙の内容は家としての総意です」と言わんばかりに。

 差出人を見た瞬間から内容はわかっていた。全力で現実逃避したい気持ちを抑え込んで、胃痛のあまり吐きそうになりながらゆっくりと開封して、薄目で読んだ。

 

 案の定、手紙には、改めてシャロンとの婚約解消をしてほしいという旨が記載してあった。

 一年経っても竜を元に戻す有力な方法が見つからないのだから、フロスト家としてはこれを運命として受け入れ竜討伐という国の方針に従う。息子アルヴィンシャロンのことは忘れ、自分の幸せを掴んでくれ――

 

 予想はしていたが、絶望した。


「返事は書いたんだろう?駅で手紙を出していたし」

「あーそーだよ。絶対に婚約解消は承諾しないし何とか社交シーズン終わるまでには解決するから、早まらないで待っていてくれと懇願した。俺としては、レーヴ家と婚約を結ぶつもりなんてこれっぽっちもないし、何なら今シーズン中にはシャロンとの婚約を正式に発表したいと思っていると、改めて宣言もした」

「また大きく出たね……」


 アルヴィンが相手だったら、全く意味を成さない説得だろうが、フロスト領主夫妻は意外に情が深い。

 シャロンには軽く伝えたが、手紙の中では相当へりくだった。目の前にいたら絶対に額を床に擦り付けて土下座しているんだろうなと光景が目に浮かぶほどの文面だった。実際、手紙を書いているときの俺の心情としては、この要求を呑んでくれるなら俺の全財産を擲ってもいいし、靴くらいなら喜んで舐めると思っていた。

 プライドを全て投げ捨てて、娘を本気で愛していると全力で訴えれば、無碍には出来ないのがフロスト夫妻の優しい所だ。さすがシャロンの生みの親。ほんの少しの間だけであれば、時間を稼げるだろう。


 ぶすっとむくれる俺に、少し困った顔でシャロンが笑う。……くそっ、そんな顔も可愛いな!

 事情が周知されているレーヴ家では、使用人たちは表向きアルヴィンを男として扱い、屋敷で用意される着替えなども男女兼用ユニセックスのデザインだったようだが、本質的な待遇は貴族令嬢として扱われているはずだ。

 その証拠に、ここ最近ずっと、熟練の侍女たちによって最高級の香油や化粧品で手入れされた肌や髪が、何もしていなくても輝く宝石シャロンを太陽よりも眩しく演出していて辛い。社交的なアルヴィンとして振舞っているせいで、くるくると表情が変わるのも大変心臓に悪い。この世のものとは思えない愛らしさに、直視し続けたら目が潰れそうだ。

 

「よく言う。……お前が実家に入れ知恵したんだろう」

「はは。……だって、僕は本当に、カルロには幸せになってほしいから」


 目を伏せて言い訳もしない婚約者に、ギリリと奥歯を噛みしめる。

 俺の幸せを考えるなら、今すぐ結婚してくれないか。お前にフられたら、俺はこの先、確実に不幸になるんだが。


 手紙が来たタイミングを考えても、内容を見ても、シャロンが実家にこちらの状況を伝え、俺とシャロンの婚約を正式に解消するよう持ちかけたことは間違いないだろう。

 そんなに嫌か!?俺と結婚することが!!!


 今までに何度か会ったことがあるフロスト領主のことは、俺も知っている。あの暗黒大魔王を生み出した親とは思えないくらい、出来た人間だ。アルヴィンは突然変異としか思えない。

 代々続く貴族の慣習やしがらみもあっただろうに、シャロンが安全に幸せになれるならと、俺みたいな平民との婚約を許してくれた。

 例の事件を未然に防げなかった俺のことも、責めたりはしなかった。息子が世界中に恐怖と混乱を巻き起こす存在になってしまったことを受け止め、シャロンとアルヴィンはあくまで被害者であるという主張を通し、家族を不名誉な誹謗中傷から守った。

 そして、大領主としても非常に優秀だった。

 国が竜の討伐を決めたときも、竜にアルヴィンの意識が残っているかもしれないという期待はせず受け入れた。領地で所有する私兵を討伐隊に組み込むことにも了承した。シャロンが泣いてやめてほしいと縋っても、聞き入れなかった。

 領地を守る主として、国の決定に逆らうことは出来ない。領民と残った家族を守るためなら、息子を斬り捨てることも受け入れる。

 彼らの家族仲は良好だったはずだ。その決断をするには、どれほどの胆力が必要だったことだろう。


 アルヴィンの討伐作戦に、フロスト領の私兵として参加するか?と聞かれた俺は、断った。それ以上強く言われることはなかった。

 俺はシャロンと婚約しているとはいえ、住んでいる場所は学園寮だから、王都の人間だ。フロスト家とは、婚約締結に際して生涯シャロンを守るという誓約にサインをしたが、フロスト家の私兵になるという記述はない。領民でも雇用主でもない以上、彼らに俺への指揮命令権はないのだから、俺が断ることは織り込み済みだったのだろう。

 俺が討伐作戦に参加すれば、アルヴィンが殺される確率は上がる。それでも声をかけたのは、彼らが貴族として、国を憂いてのことだろう。

 そして、息子の親友だった俺への配慮という側面も、あったのかもしれない。


 俺だって、もしも本当にアルヴィンが自我もなくして積極的に世界を滅ぼそうと暴れまわる怪物になっていたなら、討伐隊に志願したかもしれない。

 国のためなどという綺麗事ではなく――親友として、彼の名誉を精一杯に、守るために。

 彼が不幸に陥れる人間は一人でも少ない方がいい。彼に殺人など起こさせたくはない。アルヴィンだって、罪もない人々を大虐殺することなんて望んでいないはずだ。

 説得も通じず、元に戻す方法もわからず、被害拡大を止めるには竜の息の根を止めるしかない――となるなら、せめて、旧知の俺の手で引導を渡してやろうと考えるだろう。

 そもそも、護衛役だった俺が役目を果たせず、シャロンが竜神教に誘拐されたのが物事の発端だ。俺にも責任がある。


 ただ、幸運なことに、今まで竜自身が誰かを殺したことはなく、各地で広がる恐化現象の被害が深刻というだけなので、まだ、アルヴィンを元に戻す可能性を諦めずに探し続けられている。

 フロスト領主も、俺のその説得に苦い顔をしながらも、息子を助けられる可能性があるのなら、と渋々受け止めてくれた。


 それなのに、俺とシャロンを結ぶ最後の頼みの綱だった二人から、手紙で最後通牒を突き付けられたのだ。

 流石に、フロスト夫妻まで婚約解消に了承しているとなれば、シャロンと俺が婚約者でい続けることは難しい。俺の絶望は尋常ではない。


「でも、元から一年だけ好きにしていいっていう約束だったじゃないか」

「当然、傭兵稼業を始めることになってからの一年、だと思ってた。そう考えたら、まだ半年だろう……!」

「はは、それは君が悪いよ。契約書に具体的な期日をしたためたわけでもないなら、後から何とでも言い逃れが出来る。あの父の手腕を嘗めちゃいけない」


 シャロンは苦い顔で微笑んでから、話題を切り替える。 


「勇ましく解決を宣言しているのに水を差すようなんだけど……結局、竜の魔法の謎はわかったのかい?」

「う゛……半分わかって、半分お手上げって感じだな。ただ、次に何を調べるかは見当がついてる」


 痛いところを突かれて、俺は呻きながら答えた。


「いろいろ考えた結果、竜の魔法っていうのはやっぱり、既存の黒魔法や白魔法の概念じゃ無理だと結論付けた。お前が集めてきてくれた報告書の記述や目撃者の証言を見て考えたんだが、どちらかというと、黒魔法と白魔法を混合させたようなものだと仮定する」

「全く別のもの、ってこと?」

「いんや?混合、って言っただろ。今ある黒魔法と白魔法を進化させた結果、って感じだ。つまり、決しておとぎ話に出てくる荒唐無稽な奇跡みたいなことは起こせないと思う」

「例えば?」

「そうだな――時間を巻き戻したり、死者を蘇らせたり?」


 俺の例えに、「なるほど」とシャロンが理解を示す。

 

「竜が魂移しを行ったときの様子を考えると、視線や視界というのは何らかの発動条件に絡んでいるとは思う。これは白魔法に近い。ただ、黒魔法の攻撃を消滅させたからには、黒魔法の原理に何かしらの干渉をしたはずだ」

「うぅん……黒魔法と白魔法は、全く違うもので、遺伝に大きく左右されると習ったから、二つを合わせるっていう発想は何だか変な感じだなぁ」


 シャロンは、身を守るための術として白魔法を習っただけだ。男しか通えない王都の学園に通って、魔法の理論を基礎から習った俺やアルヴィンとは知識量が違う。


「次に何を調べるかは見当がついてる――って言ってたけど、それは?」

「今のところ、一人、詳しそうな人物に心当たりがある。ただ――いきなり接触するのは危険だな。国の監視がついているだろうし、下手をすると俺まで捕まりかねない」

「えっ!?ど、どういうこと!?国の監視って――は、犯罪者、とか……!?」


 蒼い顔で声を潜めたシャロンに、俺は何と答えようか迷う。

 本物のアルヴィンなら見当がつくはずの人物なのだが、この口ぶりは、シャロンはアルヴィンから聞いたことはないのだろう。彼女の中のアルヴィンとしての記憶は、アルヴィンから聞いたことのある話と、シャロンが見たことがあるアルヴィンの言動に基づく。

 

 あまり詳細を話して、「どうしてその人物を自分が知らないのか」と記憶に齟齬や違和感を感じると、おそらく”暗示”が揺らぐ。これから竜神教の集会場に向かわなければならないのに、倒れられては困る。


「危険って言っても、命を狙われそうとかそういう話じゃない。変人ではあるが、攻撃的な男じゃないしな」

「男……」

「あぁ。名前は、リオネル・アーノルド。――昔、学園に入るまで、俺の後見人をしてた男だ」


 その昔、クソみたいなタイミングで最悪の不祥事を巻き起こして首都から更迭され、俺の人生を三割増しでハードモードにしやがった男の顔を思い出し、俺は憂鬱なため息を漏らしたのだった。

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