第11話 レーヴ領① (Side:アルヴィン)

 乾いた北風が吹き抜け、ぶるりと身震いをする。

 青天にも関わらず視界の端に時折混じる白い雪は、近くの山頂から風に乗って舞い降りてくるものらしい。


 ダミアンと出会った片田舎から一週間後――僕は、目の前にそびえる巨大な屋敷を呆けた顔で見上げていた。


「何だ、その顔。お前の実家と大して変わらないだろ」

「いや、僕が驚いてるのは、屋敷の大きさじゃなくて……」


 あまりにもとんとん拍子に進む話の速さについてだ。


「ほ、本当に……本当に、レーヴ家の了承を取り付けたのかい……!?」

「ダミアンがいいっつったんだから、いいんだろ。さっきの門番も、話は聞いてる、って感じだったし」

「いやそうかもしれないけどさ……!」


 怖いもの知らずな相棒の物言いに、僕は思わず目を白黒させる。

 貴族社会の常識では考えられない。本来なら、正装で礼を尽くして訪れるべき屋敷だ。こんな傭兵姿で門を叩くなど、絶対に許されない。

 今からでもカルロの首根っこを掴み、街一番の高級服屋に駆け込むべきか、本気で悩む。……もう既に遣いが家の中に引っ込んでしまったから、退くに引けないが。

 

シャロンが陣取ってる山に一刻も早く行こうって言ったのはお前だろ」

「そそそそうだけどっ……!」

「貴族社会のしがらみがあるから、フロスト家の肩書でレーヴ領内に入ることは出来ないっつってたのもお前だ」

「そうだけどっ……だから、傭兵として実績を積んで、一般人として入ろうって言ってたんだろう!?」


 レーヴ家もフロスト家も、国内有数の大貴族だ。

 僕が、フロスト家の人間として正式にレーヴ領を訪問するとなれば、貴族社会に緊張が走る。大貴族同士が手を組むような何かがあるのか、勢力図が塗り替わるのではないかと、痛くもない腹を探られ、両親が様々な対応に追われることになるだろう。

 僕は、心配顔の両親を前に、「一年だけ好きなようにさせて欲しい」と、嫡男としての務めを一時的に放棄し、フロスト家から飛び出て、傭兵となっている。実家に迷惑をかけるわけにはいかない。

 

 だからカルロと急いでオリハルコン級の傭兵となったのだ。一傭兵が、商業活動目的で領内に来た――というテイにすれば、フロスト家には迷惑が掛からないと思ったから。

 実際、上手く言っていたと思う。傭兵になって半年でオリハルコン級に成りあがった後は、まっすぐレーヴ領を目指して来た。途中、恐化現象が見られるところには寄り道をして、調査をしたりもしたが、目的地は一貫してこの北の大地だった。


「何が問題だ?ダミアンの名前を出しておけば、領内で何をしたって大抵のことに目をつぶってもらえる。竜関連の情報提供についても、ダミアン経由で領主に協力を要請してもらえた。一傭兵じゃ夢のまた夢だった。活動のしやすさを確保するためなら、あのクソ野郎の名前くらい上手く使い倒すべきだろ?」

「そ、それはそうだけど……ぅぅぅ……」


 あの日、ダミアンに会わなかったとしても、レーヴ領には来ていた。たまたまタイミングよくキーマンに遭遇して、しかもカルロが彼と顔見知りで気安い仲(?)だった。結果として、当初の予定よりもよっぽど効率よく正確に、シャロンについての情報を集められる――それは事実、だけれども。


 家格が上の貴族の屋敷に、紹介状一つで殴り込むだなんて、今にも胃に穴が開きそうだ。


「お前は真面目過ぎる。昔のアルヴィンだったら、シャロンを助けるためなら当たり前みたいな顔して王族でも顎で使うぞ」

「えぇ……僕を何だと思ってるんだい……?」


 なぜか自信満々のカルロに呆れながら、僕は腹をくくるのだった。


 ◆◆◆


「ようこそいらっしゃいました。私が現レーヴ家当主、トビアス・レーヴです」


 胃を痛めながら通された、豪奢な応接室――そこに現れたのは、ダミアンによく似た紫水晶の瞳が印象的な青年だった。恐らく、レーヴ家の次男だろう。

 僕は慌てて立ち上がり、最敬礼をしながら自己紹介をする。この手の社交について、カルロは全くの戦力外だ。僕がしっかりしなくては。


「初めまして、レーヴ卿。アルヴィン・フロストと申します。彼はカルロ・ファレス。この度は、ダミアン氏のご紹介に預かり――」

「あぁ、構いません。その昔、フロスト家とは縁続きになる話が持ち上がるほどの仲。残念ながらそれは実現しませんでしたが、今後も末永く良い関係を築けていければと思っています。どうぞ、楽にしてください」

「……恐れ入ります……」


 にこり、と微笑みながら再びソファに掛けるように促され、消え入るような声で従う。

 顔が笑っていようが、言葉で歓迎の意を示されようが、本心ではどのように思われているかわからない。それが、貴族社会の常識だ。

 胃痛を堪え、僕は言われた通りに従った。


「話は、事前にダミアンから聞いています。勿論、一年前の痛ましい事件も。竜と恐化の謎を解き明かすため、一時的に家を出て、ファレス殿と尽力されているとか」


 意味深な視線に、言葉に詰まる。

 事件後、フロスト家は情報を隠さず公開した。おかげで国はすぐに竜神教の拠点を強制捜査し、書物や捕らえた信者の証言から、これまで伝承扱いだった竜の器などの真実が明らかになった。

 情報開示や国家の捜査協力に尽力したため、フロスト家が黒幕であるといった疑いは晴れ、あくまで事件に巻き込まれた痛ましい貴族として認知されている。同時に、兄妹が事件に巻き込まれ、僕が家を出たことも、良く知られているだろう。

  

「おっしゃる通り、僕は今、フロスト家の子息としてここに居るわけではありません。家は関係ない。一人の傭兵として、ここにいます。万が一、旅の途中で僕に何かあったときは、分家から養子を迎えてほしい旨を残し、家を出ました。どうかレーヴ卿には、一傭兵として、僕たちが竜について領内を調査をする許可をいただきたく……」


 言葉を選びながら、頭を下げる。

 家が大変なこの隙に、フロスト家の勢いを削ごうと狙われても仕方がない。だからこそ僕は、貴族の子息としてではなく、家を出て傭兵として活動する道を選んだのだ。そのことはしっかりと伝えておかなければならない。

 

「それは構いません。我々としても、竜が北の山脈に居座ったことで、近隣の人間が逃げ出し、鉱物の採掘は滞り、領地運営にも大きな支障が出ています。竜神教の取り締まりも強化しましたが、状況改善の足掛かりすらつかめていない状態です。貴方たちが、何か事態を進展させてくれるというのであれば、我々は協力を惜しみませんから、何でもおっしゃってください」

「……ありがとう、ございます」


 あまり人を疑いたくはないが、貴族は本音を巧妙に隠すものだ。

 仰々しく深く頭を下げる僕を見て、トビアス氏は苦笑しながら言葉を添えた。


「活動に際しては、この屋敷を拠点にしていただいて構いません」

「えっ!?」


 まさか、そんな申し出を受けるとは思わず、思わず顔を上げて聞き返す。

 しかし、どうやら僕の聞き間違いではないようだった。


「貴方は一傭兵として扱ってほしいとおっしゃるが、もしも近日中に事件が解決したら、フロスト家の一員に戻るとお考えでしょう?」

「それは……まぁ……」


 両親は僕たち兄妹を深く愛してくれていた。今回の件についても、応援すると明言してくれている。

 もちろん、父の健康に問題が出るなど、後継者を急ぎ擁立せねばならない状況になれば話は別だが、そうでなければ、期限ギリギリまで僕たちの意思を尊重してくれるらしい。解決したなら家に戻り、家督を継ぐことも許されている。


「ここで恩を売っておけば、フロスト家とも良好な関係を築けるということです。竜問題で領地に実害が出ているレーヴ家としては、国内の有力貴族との協力体制はなるべく強くしておきたい。政治的な意図のもと、申し出ていると思っていただいて構いません」

「は、はぁ……」


 裏を疑いがちな僕が、少しでも納得できるように言ったのだろう。視線を返すと、トビアス氏は兄ダミアンとは違い、澄んだ瞳をしていて、駆け引きの気配は感じられなかった。

 気まずさを抱えたまま、煮え切らない返事を返すと、隣のカルロが大きくため息をついた。


「後ろ盾はあればあるだけいい。受けた方が得だ、アルヴィン」

「う、うん……」


 いつだってカルロは決断が早くて潔い。

 押し切られる形で、僕はそのまま頷いてしまうのだった。

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