【30分読破シリーズ①】手のひらサイズのクマは、僕の未来を最適化するためにやってきた。

アキラ・ナルセ

【1/3話】手のひらサイズのクマは、僕の未来を最適化するためにやってきた。

その日、僕は英語の小テストで盛大に撃沈げきちんした。答案とうあんをひっくり返したときの、あの胃が冷える感じは何度味わってもれない。勉強なんてしたって特に意味はない。そう思いながら廊下に出ると、湿った風が僕の風に当たった。窓ガラスには、夕立ゆうだちあがりの空が映っている。


「じゃあな、コータ!」


「うん、バイバイ!」


下校途中、友達と別れた。――その瞬間だった。


僕の頭の上にポスンッとやわらかい衝撃が落ちてきた。


「いたっ」


足元を見ると、手のひらに乗るくらいのサイズの、クマのぬいぐるみの玩具おもちゃが座っていた。焦げ茶の短い毛、丸い耳、青いガラス玉みたいな目。テレビのCMでやってる最近話題の動いてしゃべるやつだ。


誰かの落とし物だろうか。そんなことを思っていた時――玩具のぬいぐるみ、のはずなのに、その青い瞳が発光しまばたきをした。


着地ちゃくち、及びデータ転送完了。誤差なし。AIシステム最適化――。キミが――熊谷くまがい光太こうただね』


「……うん、僕、だけど」


『初めまして、のほうが今のキミには適切かなコータ。』


「なんで僕の名前を」


『そんなの当たり前だよ。ボクは二十年後から来た、キミの“味方”なんだから』


二十年後から来たということ、そして、ぬいぐるみがしゃべったという突飛とっぴな事実よりも、可愛らしい見かけには似つかわしくない、淡々と喋る声が不自然で少し怖かった。その音声は玩具のスピーカーから電子音でんしおんで発声されていて、人間の声を、限界まで正確に模倣もほうしようとした声のように感じた。


「一体なんなんだい君は?」


『うーん、ここは人目が多い。移動しよう、コータ』


言い切ると、クマは自分でぴょん、と僕のかばんの上にび乗った。


鞄に人形が乗っているのは女の子みたいでちょっと恥ずかしかった。


* * *


家には連れ込めない。だから僕は、とりあえず、いつもの河川敷かせんじきに向かった。クマをベンチに置く。クマは短いあしそろえて座り、青い目で僕を見上げた。


『ボクのことはベアって呼んでよ。型式コードは“BEAR《ベア》-EX《エクストラ》-01《ゼロワン》”だけど長ったらしいでしょ。二十年後の未来ではね。人間とAIは脳波で同期リンクして、記憶力も身体能力も意思決定も“最適化さいてきか”できるようになってる。皆がより賢く、速く、安全に――そう世界は再設計されたんだ』


「……AI? 最適化? 難しいことはよくわかんないけど、もし本当にベアが言うことが本当なら、それって……すごく便利そうだけど。勉強も運動も、恋愛だって楽々じゃん」


『その通り! キミ達人間にとってこんなに便利なことはないよ――でもね』


「……でも、なに?」


『ただ便利は、しばしば自由を侵食しんしょくする。最適化は、“偶然を嫌うから”』


「どういうこと?」


『ごめん、ちょっと難しかったかな。未来でボクをそう批判する人がいるのさ』


このあともベアは、さらさらとピンとこない説明を続ける。AI構造の仕組み。未来での都市の交通や医療、教育がどう変わったか。僕の頭の処理速度が、語彙ごいの熱に追いつけない。たかだかAIというものが進化しただけだというのに“二十年ぽっちで”ここまで人の生活基盤せいかつきばんは変わっていくものかと開いた口がふさがらなかった。


「で、どうして未来から今ここに?」


『未来の“キミ《コータ》”が、ボクに言ったのさ。十四歳のキミに会いに行けとね』


「え、未来のボクが!?」


『そう。ボクはねキミを――』


青い目でクスッと笑う音。だけど同時に、河川敷の堤防ていぼうの上に人影が差す。


目に映ったのは制服。僕らの学校のだ。それを着たとなりの組の男子――猪塚いのづかカケルが、こちらに歩いてくる。目はうつろで、本人の意識は無いように見えた。


相変わらず、少しやんちゃな彼の耳たぶに銀色のピアスが光っている。しかし、僕の目はそこではなく、彼の頭にへばりついている手乗りサイズのぬいぐるみに釘付くぎづけになった。それはベアと同じシリーズの玩具のぬいぐるみ。


「ベア。猪塚の頭についてるイノシシのぬいぐるみ!」


『うん。あれは未来のボクのAIを模倣もほうした企業が作った廉価版ゴミ商品だと思うよ。未来の誰かが、ボクがこの時代に“データ”として来ているリーク情報を聞きつけたんだろうね。今のカレ猪塚はただの“端末”。未来の刺客しかくのデータがカレを道具として操っているに過ぎない』


「ちょっとまって、刺客ってなんなのさ?」


『言葉のあやだよ。本当にボク達を殺したいわけじゃあない。


――二十年後の未来でボクは世界最高の性能を誇るんだ。だから当然、競合他社きょうごうたしゃはボクの内部データがのどから手が出るほど欲しいのさ』


猪塚は制服の内ポケットからカッターナイフを取り出すと刃をキリキリと伸ばした。


僕はそれを見て後ずさり。


『怖い?』


「当たり前、だろ。なんとかできないのかベア!?」


『そうだね、せっかく来たのにボクとしてもキミに死んでもらっては困るし、ボク自身も奴らに奪われるわけにはいかない』


そう言うと、ベアはぴょんとかばんの上から僕の頭の上に乗って、抱き着くような形に寝そべった。


『じゃあ簡易同期ハーフリンクしよう、コータ』


「何それ!?」


同期リンクというのはボクの演算と君の五感を重ねる行為のことさ。あの性能の玩具の同期リンクなら簡易同期ハーフリンクで十分さ。さぁコータ。パスコード合言葉を発声するんだ』


「パスコード?」


開始スタート簡易同期ハーフリンクと発声してごらん』


猪塚はうつろな目のままカッターナイフを構えてこちらに突進してくる。


よくわからないが、とにかくやるしかない。


開始スタート簡易同期ハーフリンク!」


僕がそう言うとベアの青の瞳がさっと濃くなり、こめかみに針のような冷たさを感じる。


次の瞬間、世界の線が一本ずつ太くはっきりと映って見えた。猪塚の足の重心、刃先のぶれ、汗のつぶがつくる光の屈折。全部がはっきり見える。


そしてベアの音声が脳内に直接響いてくる。


『右。しゃがむ。左足に体重。いま』


言われるまま、僕は動く。なのに、確かに動かしているのは自分だ。


イノシシのような鋭い突進から繰り出されたナイフの刃は空を切る。僕のひざが地面をすべり、壁を蹴った反動で男の背に回り込む。


彼の手首をひねり、ナイフが落ち、柔道の要領で足をはらう。ドン、と鈍い音。倒れた拍子ひょうしに彼の頭のイノシシのぬいぐるみは、彼の身体に押しつぶされて煙を上げながら壊れた。


沈黙。


猪塚は気を失っているだけで、呼吸もしており命に別状はなさそうだ。


『よくやったコータ。これで廉価版の模倣品とのリンクは切れたね。この前後の記憶も曖昧あいまいになるだろう。心配しなくても、すぐに目を覚ますからこのままここで寝かしておいても問題ないよ』


これがリンク。やけに喉が乾いた。でもベアに助けられた。まだ足が震えている。


「ね、強くなれる。ボクとキミなら」


ベアの青い目が、やさしく笑った。

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