3 忍

    3


 騎士は稜神りょうじん大社へと続く石階段を上っていた。ここ最近はすっかり冷え込んできており、鎧からもひんやりとした感覚が伝わってくる。しかし二百段の石階段を上り終える頃には肩で息をしながら、背中にじわりと汗をかくほどに体が温まっていた。

 鳥居に背もたれながら、聖女は白い息を吐き出しながら手を擦り合わせていた。

上灘かみなださ……」

 しっ、と聖女は人差し指を立てて騎士の口を封じる。彼女は『昼』と『夜』を完全に切り分けているようで、この場合は聖女と呼ぶのが正解らしかった。

 聖女と共に鳥居をくぐり、本殿の方まで向かう。

「では例の彼女について分かったこと、全部教えてください」

 本殿の前に着くや否や、早速に情報を催促される。彼女は今か今かと待ちわびてたようで、いつもより浮き足立っているようにさえ見えた。

 騎士は数日かけて調べあげたことを一文ずつなぞるようにそらんずる。

古葉こば悠那ゆうな。普通科の二年生で新体操部所属。部活は真剣に取り組んでるけど、授業はサボりがちで欠席も多いみたい」

「新体操ですか」

「うん、一年生の頃は目立った実績もなかったけど最近はみるみる実力をつけたらしくて、先月の地区大会で優勝したんだって」

 学校のホームページに記載されていたことだ。古くさい作りのサイトだが、どうやら教職員はまめに更新しているらしい。

 それを伝えると聖女は朗らかに微笑んだ。

「私はこういった事を調べるのは苦手なので、騎士様に任せて正解でしたね」

「それで私を頼ってくれたの。嬉しいな」

「ええ、私はインターネットを持っていませんから」

 んん? 今彼女は何と言ったろうか。唐突に飛び出した頓珍漢な言葉に騎士は呆気に取られていた。

「えと、スマホ持ってるよね?」

「持っていませんよ?」

「インターネットは?」

「持っていませんってば」

 なるほど、調べるのが苦手とはこういう意味だったか。ここまでデジタルに疎いのは今日日珍しいことで、これからする話もすんなり理解してもらえないんだろうなと億劫さを感じながらも、騎士は古葉悠那に関して更なる情報を提供した。

「それともう一つ。古葉さんがSNSをやってないかサーチしてみたんだ。名前のアルファベットで検索かけてみたらイヌスタのアカウントを偶然見つけたの」

「え、えすえぬ……」

 ぽかんと呆ける聖女を余所に、騎士はスマホを取り出して件のプロフィールページを開く。聖女も側に寄って画面を覗いた。

「こちらは?」

「古葉さんが投稿してる……日記? みたいなものだよ。写真とか動画もつけられるの。彼女、よく動画をアップしてたみたい」

「ホームビデオでしょうか?」

「違うとも言い切れないけど……いや、ネットを通じて公開するものだからホームビデオとは全然違うかも……」

 説明のもどかしさに騎士は小首を傾げ、理解の追い付かない聖女も小首を傾げる。

「日記とは自身の思い出と感情を整理して書き留めておくためのものです。それを他者に、ましてや不特定多数へ向けて披露するのは甚だおかしいことではありませんか?」

 騎士は頭を抱える。SNSの概念をインターネット初心者に説明するのは存外難しいのだと痛感した。

 ともかく古葉悠那の投稿した動画の一つをタップする。薄暗い夜の街が映されており、やがて映像が動き出した。壁を昇り、塀の上を走り、地を転がる。屋根から屋根へ跳び移るさまが主観視点の映像で流れてゆく。落ちれば大怪我では済まない高さから見下ろすようなカットも存在し、聖女は息を飲んでいた。

「凄い迫力ですね……」

「パルクールっていうやつだね。たまに見覚えのある景色もあるから、映ってるのは稜神町で間違いないと思う」

 古葉悠那が稜神大社に現れたのは偶然などではなく、この活動の一環のためだったのだろう。

「それで、古葉さんはスマホを持って大社の屋根に現れた。あのスマホはてっきり警察へ通報した時に使ったのだと思っていたけど……」

 騎士は言葉を詰まらせ、言いづらそうに意見を述べる。

「もしかしたら彼女に撮られていたかもしれないよね……私たちが影と戦う姿や、婦警さんを昏睡させる様子なんかをさ」

 聖女ははっと息を飲む。その顔がみるみる青ざめていくのが分かった。彼女が動揺を見せる姿など初めてだったので、なんだか新鮮だった。

「そ、その映像も全世界に公開されてしまったのでしょうか……?」

「いや、少なくともこのアカウントには上がってなかったよ。だけど映像をネタに何か接触してくるかも知れない。例えば脅しをかけてきたり、とかね」

 聖女は額を押さえてふぅと息を吐き出す。悩みの種を抱えて息苦しいようだ。

 確かにこの秘密の活動が世間に公開されるのは大変にまずい。少なくとも騎士は家族にだけは心配をかけたくなかった。

 それ以上に聖女は、代々受け継いできた家の使命としての秘密なのだ。騎士の心配するそれとは比重が全く違う。

「今後彼女が接触してくる可能性は分かりました。何か対策を練るとして、これからは夜に於ける彼女は古葉悠那ではなく、『シノビ』と呼ぶことにしましょう」

 忍――確かにあの驚異的な跳躍力は忍者と呼ぶに相応しいかも知れない。

 それから忍についてしばらく話し合った後、いつものように本殿の奥から影が伸びて現れ出た。

 特段苦戦することもなく、騎士の一撃で両断した影に聖女が聖水を振りかけ、瓶に封印させる。影祓いのほとんどはこんな感じにあっさりと終わることが多い。稀に力の強い影や素早く逃げ回る影が現れると苦戦を強いられるが、そうでなければ簡単なものだ。

「――くしゅっ!」

 ほっと安心したのも束の間、小さくくしゃみのした方を振り返れば聖女が肩を抱えて身を震わせていた。心なしか顔が赤く見える。

 すっかり寒くなってきた季節の変わり目で身体が冷えてしまったのだろう。額に手を当ててみれば、平熱とは考え難い熱さが手に伝わってきた。

「凄い熱。すぐに帰って休んだほうがいい、送ってくよ」

「いえ、私一人で帰れますので……」

 そう言って歩き出そうとするが、足元がおぼつかなく見ていて危なっかしい。この足取りで石階段へ向かえば頭から真っ逆さまだ。

 居ても立ってもいられず、聖女の前にしゃがみこみ背中を差し出した。

「ほら」

「騎士様……ありがとうございます」

 体力の限界を迎えたのか、聖女は大人しく騎士に身を預けた。慎重な足取りで一歩ずつ石階段を下っていく。

 背中で重さを感じ、肌で熱を感じ、首筋に吐息を感じる。全身で彼女の命を預かっているようだった。

 かつて触れ合うほどに近く接したことがあっただろうか。高鳴る心臓の音を感づかれないよう、歩みを止めることなく二百段を降りて行った。


 聖女の案内に従い道を進むと、大社からさほど離れていないところに大層立派な日本建築の屋敷が見えてきた。相当な名家だろうが、表札の類はどこにもかかっていない。

「お家の方を呼んだほうがいい?」

「そのままお上がりください。他には誰も居りませんので」

 こんな広い屋敷に一人で住んでいるというのか。耳を疑ったが、プライベートなことをあれこれ詮索すべきではないだろう。

 門をくぐり玄関を開けると、しんと静まりかえった広い土間と先の見通せない長い廊下が出迎える。言われなければ廃墟と勘違いしてしまうかもしれない。

 靴を脱ぐのと一緒にずっと掛けっぱなしで重たかった鎧も外し、玄関先に置かせてもらった。

「寝室はどこ?」

「その前に、ひとつだけやることが……」

 聖女の指し示した方の部屋に向かう。重厚な南京錠の掛けられた扉で、聖女は取り出した鍵で回し開ける。

 木製の梯子で階下へ降りた先に広がっていたのは、日本建築にはおよそ相応しくないコンクリート造りの洞だった。だがそれは秘密の地下室と呼ぶにはあまりにも明るいのだ。

「上の電灯はあまり見ないようにしてくださいね。陽光を模した特別製なので、目が焼けてしまいますから」

 見るなと言われると頭上が妙に気になってしまうが、ぐっと堪える。

 壁面には瓶、瓶、瓶――。見渡す限りに無数の瓶が並べられていた。瓶の中心にはビー玉サイズの黒い球が浮かんでおり、よく見れば蠢いたり脈動していたりと生きているのが分かる。いつも影祓いの後に封印したそれと同じものだった。

 ここは、封印した影の保管庫なのだろう。瓶にはひとつずつラベルが貼られており、日付が書かれていた。古いものでは数百年前のものさえあるが、面白いことに日付はきっかり六日おきに刻まれており、影は大昔から土曜日の夜にだけ現れていたことが伺い知れる。

「封印した影は家で飼っていると以前申し上げましたでしょう?」

 聖女はいたずらっぽく笑う。冗談だと言っていたが、半分は本当だったということか。

 地下室の奥まで進むと、まだ空きのある棚が見えてくる。聖女はそこに先刻祓ったばかりの影の小瓶を置き、日付のラベルを貼り付けた。

 辺りを見渡したところ、他よりも一回り大きな瓶が目に留まった。中の影も他より力強く怪しげに蠢いているように見える。ラベルには一年と少々前の日付が書かれていた。

「それは私の家族のかたきです」

「敵?」

 後ろから聖女は神妙にそう述べる。どういうことか訊こうとしたが、聖女はふらりと倒れそうになるものだから両腕で身体を抱き止めた。さっきよりもずっと呼吸が荒い。

「ちょっと、また熱上がってる。早く休まないと」

「申し訳ありません……」

 地下室を後にし、聖女の指示で寝室に連れていった。畳の上に布団を敷いてやり、彼女が寝間着へ着替えている間に風邪薬を探し、コップに水を汲んだ。

 薬を飲ませて布団へ潜らせたところでようやく落ち着いたと見える。

「お大事にね。私はこれで帰るけど……」

 立ち上がろうとしたところで不意に手を掴まれた。

「もう少しだけ、居てくださいませんか?」

 普段の聖女からは考えられない弱々しい声に胸が締め付けられる。いつもは凛々りりしく頼もしい聖女だが、こうして大人しくしていれば等身大の女子高生と何ら変わりなく、なんだか微笑ましくも思えた。

「少しだけだよ」

「……ありがとうございます」

 聖女の寝ているすぐ横に座り込む。その間も手は握られたままだった。熱があるからか手の平もずっと暖かい。

 わずかな沈黙の後、聖女はゆっくりと語り出した。

「あの影は、私の血筋全ての敵なんです」

 たぶん地下室で話そうとしていたことの続きだろう。騎士は黙って頷く。

「私の家には本家と分家の二系統があります。本家の者が祓守はらえもり当主であるとき、分家の者は子をもうけて次代の祓守を育むのです。その子が十五歳を迎えた折、当主を交代して今度は本家が次代を育む……その繰り返しで影祓いを行ってきたのです」

 聖女は淡々と語る。彼女が身の上を話してくれるなど初めてのことだった。

「私が間もなく十五歳になろうとしていたある夜、あの影は現れました。あまりにも強大で残忍で、冷酷なその影は当時の祓守であった分家の当主を殺し、救援に駆けつけた一族――私の父と母を含め、皆殺しにしたのです」

 その言葉に血の気が引いてしまう。強大な影は人をも殺せる――得体の知れない怪異であるのだから当然かもしれないが、騎士は今までそれほど強大な影と相対したことがない。

 もしかしたら今日の戦いだって、残忍な影だったら二人とも殺されていた可能性だってあるのだ。戦いの渦中にありながら、ある意味平和ボケしていたとも言える。

 聖女は布団から身体を起こし、胸を押さえてゆっくりと息を吐き出す。

「幸い、ああして封印はできました。ですが私はもう――」

 地下室で見たひときわ大きな瓶――ラベルの日付から考えても、それはたった一年と少し前の出来事なのだ。

 わずか十六歳足らずの、高校一年生の少女が背負うにはあまりにも過酷で、残酷すぎる運命だった。それなのに彼女は家の使命を背負い、孤独に苛まれ、戦い続けているのだ。

 あまりにも不憫で、ひたすらに健気で、気付いたらそんな聖女を両の腕で抱きしめていた。

「騎士様……!?」

 このような時になんと声を掛ければいいのか、騎士は相応しい台詞を持ち合わせていなかった。ただ、聖女の側にいてやりたいという気持ちが先走ってしまったのだ。

 それ以上の言葉もなく、黙ったまま腕の中でお互いの体温を感じていた。聖女の熱が引いてきたのか、あるいは騎士の身体が火照ってきたのか、二人の温もりは混ざり合ってひとつになっていた。

 早鳴る鼓動も彼女に聴こえてしまっているだろうか。頬の赤さに気付かれていないだろうか。些細な心配をよそに、耳元ですうすうと小さな寝息が聞こえてくる。

 一安心し、そっと寝かしつけて布団を掛けてやる。彼女の寝顔が愛おしく、時間も忘れてただ眺めていた。


 あと三十分もすれば日が昇り始める時間だ。両親が起床する前に家へ帰らなければならない。静かに寝室を抜け出し、玄関先に置いたままの鎧を手に取って極力音を立てないように装着していく。

 大剣を担いで正門をくぐろうとした矢先、背後で玄関の開く音がした。

 起こしてしまったのだろう、振り返れば寝巻姿の聖女が立っていた。薬が効いてきたのか、先程よりも顔色が良い。

「騎士様、不甲斐ないところをお見せして申し訳ありませんでした。熱で少し気弱になっていたようです」

「気にしないで。それよりも早く元気になることが先だからね」

「ええ、来週の影祓いまでには必ず治しますのでご心配なく。それと」

 聖女はにこり、と満面の笑みを浮かべる。

「間違ってもお見舞いだなんて言って昼間に家を訪れるのはおやめくださいね?」

 ああ、いつもの秘密主義な聖女に戻ったみたいだ。

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