ボクの河童探索記

松月彼方

ボクの河童探索記

 先週、ボクは十二歳のお誕生日プレゼントに、じいちゃんから『妖怪ようかい大図鑑だいずかん』をもらった。妖怪なんて全然興味なかったけど、この図鑑はすっごく面白くて、ボクは段々と妖怪についてもっと知りたくなった。


 夏休みだけれど、今日は野球のクラブチームの練習はお休み。だから、昼間からリビングでゴロゴロ転がり、『妖怪大図鑑』の河童カッパのページを眺めていた。そんなボクに、じいちゃんは言った。


「知っておるか? 隣町に朝霧池あさぎりいけという大きな池があるじゃろう? そこに河童が住んでおると昔から言われておるぞ」


 朝霧池は、ここから直線距離で五キロメートルちょっとの場所にある大きな大きな調整池だ。


 へえと呟くボクに、じいちゃんはこうも言った。


「河童の肌は、緑色とも赤色とも言われておる。はて、真相はどっちなんじゃろな?」


「でも、この図鑑の河童は緑色だよ」

 ボクは図鑑に描かれた緑色の河童を指差す。


「かの有名な民俗学者が、本でそう書いておる。ほれ、こっちへ来てみなさい」


 ボクはじいちゃんの部屋に来た。じいちゃんが本棚から取り出したのは、柳田やなぎた國男くにおの『遠野とおの物語ものがたり』だった。じいちゃんの言ったとおり、そこには本当に書いてあった。遠野の河童の肌は赤色だ、と。


 こうしてボクの夏休みの自由研究のテーマは、「クワガタ観察日記」から「河童の肌は何色なのか?」へ急遽変更となった。




 二学期の始業式まで一週間を切ったある日、ボクは河童を見つけるべく、自転車に乗って朝霧池までの一人旅を決行することになった。


 この計画は家族には秘密だった。河童を探しに池へ行くと言えば、危険だと止められるに決まっている。だって、河童は子どもを池へ引きずり入れるだとか、尻子玉しりこだまを抜かれるだとか、図鑑には恐ろしいことが書いてあったから。


 リュックサックには『妖怪大図鑑』と冷たい麦茶の入った水筒、ノートに筆記用具、スマートフォンと双眼鏡、お小遣いの入ったお財布を入れた。そして、出発前に家の裏にあるじいちゃんの畑に寄り、河童の大好物だというキュウリ三本を忘れずに失敬した。こんなに暑いんだから塩漬けのほうが良かったかな、とちょっぴり後悔した。




 朝霧池を目指して、ひたすら自転車を漕ぎ続けた。真夏の太陽がジリジリと肌を焼き、Tシャツと短パンが汗でびっしょりで気持ちが悪い。セミの大合唱も痛いくらいに耳に響いてくる。


 朝霧池まであと少し。ボクはお昼ご飯を買うためにコンビニに入った。冷房がガンガンに効いた店内で涼みながら、何を食べようかと真剣に悩んだ。でも、だるような暑さのせいか、あまり食欲がない。結果、お赤飯のおにぎりを一つ手に取った。


 一人でコンビニに入るのは始めてだった。だから、お会計の列に並ぶボクの心臓は、緊張でドキドキと激しく胸を打っていた。


 とうとうボクの番が来た。ボクは「お願いします!」と言いながら、お赤飯のおにぎりを店員さんに渡した。緊張し過ぎて、叫ぶようになってしまったのが、ちょっぴり恥ずかしかった。


 お会計を終え、そそくさとコンビニを出てきた。一人でお買い物できたぞ、と小さくガッツポーズを作った。小学校最後の夏休み、ボクは一つ大人になった。




 コンビニから朝霧池までは、長いくねくね坂を登って、ほんの五分ほどの距離だった。ボクは池を囲うフェンスを乗り越え、伸び放題の草を掻き分けて、池のほとりに辿り着いた。


 その辺で拾った木の枝にちぎった長い雑草を縛りつけ、その先にキュウリを結んで釣り竿を作った。それを池の中に垂らして、しばらく待ってみることにした。その間に、双眼鏡を覗き込み、池の淵から淵までくまなく観察した。


 だけど、どれだけ待っても河童は釣れないし、姿さえ見られない。ボクはリュックサックから水筒とお赤飯のおにぎりを取り出した。コンビニに寄ったときは、あまり食欲がなかったけれど、おにぎりを一口かじると、段々とお腹が空いてきた。だから、河童のために持ってきたキュウリも一本平らげてしまった。


 丸いお赤飯のおにぎりが、半月型になった頃、背後からシャカシャカシャカと音がした。恐る恐る振り返ると、草むらを掻き分けて女の子が姿を現した。ボクと同じくらいの歳の可愛らしい女の子だ。淡い紅色のワンピースを着た女の子は、なぜか頭に木の桶を被っていた。きっとザリガニでも捕まえて、持ち帰るつもりなのだろう。


「こんなところで何してるの?」

 女の子は不思議そうにボクを見つめる。


「河童を探しに来たんだ」


「河童?」


「そう、河童。この池に住んでるんだって。君は見たことない?」


「あるよ。河童さん、見たことあるよ」


「本当?」

 ボクはそう叫び、女の子に詰め寄った。


「うん、嘘じゃないよ」


「どこで見たの? 教えてよ」


「いいよ。だけどその代わり、それ、一口くれない?」

 女の子はボクの手に握られたお赤飯のおにぎりを指差した。


「これ? 全部食べていいから教えて!」


 ボクは女の子にお赤飯のおにぎりを渡した。女の子はそれを一気に口に詰め込み、頬っぺたを膨らませて、しばらくの間もぐもぐしていた。よほどお腹が減っていたのだろう。


「こっちだよ、ついてきて」


 おにぎりをゴクリと飲み込んだ女の子は、草むらを掻き分けてずんずん進んでいく。ボクは荷物をまとめると慌ててその背中を追いかけた。


 アスファルトの道路を五分ほど歩くと、何かの施設が見えてきた。敷地の入口の横に立つテカテカの四角い石には、「水の資料館」と刻まれていた。


 こんなところに河童がいるのだろうか。ボクは訝しく思いながらも、女の子の後ろを歩いた。女の子は建物の入口の前でピタリと止まった。そして指を差した。「ようこそ」と書かれたプレートを首に下げた、緑色の河童の可愛らしいキャラクターの像を。


「そんなあ。ボクが見たいのは本物の河童なのに……」


 ボクはへなへなと地面に座り込んだ。お赤飯のおにぎりを半分わけてあげたから、お腹がぐうぐう鳴いている。


「本物の河童さんは、この辺りにはいないよお」


 女の子は、眉尻を下げて困ったように笑う。どうやら女の子に悪気はなかったようだ。


「でも、じいちゃんが言ったんだ。朝霧池に河童がいるって」


「昔はいたよ。あたしが住んでる川の近くにもいた。だけど、みんなもう何十年も前に引っ越しちゃったんだ」


「そんなあ」


 さて、河童がいないとなると、ボクの自由研究はどうなってしまうのか。今さら、クワガタの観察日記なんてつけられない。せめて、自由研究だけは提出できると思ったのに。ボクは、夏休みの友も読書感想文も、ポスターも習字も、まだ何も終わらせていなかった。


「元気出して。これ、あげるから」


 女の子がポケットから取り出したのは、ワンピースと同じ淡い紅色のお手玉だった。


「お手玉?」


「そう。これ、あたしが作ったの。中にはピカピカに洗った小豆あずきが入ってるよ。それじゃあ、バイバイ」


 ピカピカに洗った、小豆……? そうか、この子はもしかして——。


 女の子はにこりと笑って手を振ると、ボクを置き去りにして駆け出した。ボクは消えていく女の子の背中に叫んだ。


「ありがとう! 小豆あずきあらいさん!」


 太陽がぎらつく真夏の空の下、一瞬、ひんやりと冷たい風が通り抜けた気がした。


 こうして、ボクの自由研究のテーマは、「河童の肌は何色なのか?」から「小豆洗いの生態を探ろう」へ急遽変更となった。

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