そういう人のイタリアン
「おかえりなさい。待ってたわよ」と夕飯の用意に取り掛かっている母が手を伸ばし催促してきた。
「おばあちゃんが作ったトマト」
ああ、今日はお母さんのパシリでもあったわけだ、と美月は天井を仰ぎ見た。肩にかけたエコバックの取っ手がヨレヨレとなだれ落ちた。
「おばあちゃん、元気だった?」と聞く母がジャブジャブ洗うトマトはとても気持ちよさそうだ。
「うん。お使い頼まれて近々のビールを選んで買っていったんだけどね。自転車で揺れて飲む時に泡だらけになってね、おばあちゃんの顔面に直撃したの!でもね!おばあちゃん!
その噴水をすんごい勢いで口で泡をふさぎこんで飲んでた。
あっつーーー。クーラーつけるね。」
おかあさん、クーラーも付けずに帰ってきて直ぐ料理始めたんだな。と美月はふと思った。
母は上機嫌で「どうりでトマトも生き生きしてると思った!」とニコニコし「元気そうね」と流すようにいった。
Iランドキッチンの三ツ口コンロの一つは深型の両手鍋にお湯が沸いていて、手前のステンレスのフライパンには潰されたニンニクが低温のオリーブオイルで熱されていた。
母は手際よくトマトを両手鍋のお湯に入れ皮の湯向きをして采の目に切り、フライパンの中に入れた。じゅうっと音が響き、台所にニンニクのうま味とトマトの甘酸っぱいイタリアンの香りが広がる。
もう一つ同じく湯向きしたトマトは均等に輪切りにして同じ幅にスライスしたモッツアレラチーズと涼し気に交互に並べて冷蔵庫へ閉まった。
トマトの湯剝きに使ったお湯に一つまみの塩を入れ、に続いてパスタをゆでる。パスタがお湯に沈んだら軽くほぐし、手前のフライパンのトマトを軽く潰しながらさらに煮詰めていく。途中バジルをちぎって加えて、塩と少量の味噌で味を調えた。
動きには無駄がないなぁとぼんやり見ていると
「美月、パスタ皿出して」とシェフから指令が飛んできた。
パン祭りでもらった白いオーバル皿を出すつもりで美月は食器棚の前に立ったが、どことなく祖母と似ている皿底のうさぎと目が合ったので
いつの間にか入れられたエビと麺が深鍋からフライパンへと移され、トマトソースと絡み合いあっという間に調和した。
完成したパスタがシェフの手によりザ・イタリアンの香りを放ちつつうさぎを隠すように華やかに盛り付けられていく。シェフはパスタの仕上げに必ず乾燥バジルとオリーブオイルを振りかける。
焼きそばには青のりと鰹節。パスタには乾燥バジルとオリーブオイル。母の仕上げの流儀だ。
美月はカプレーゼ用に同じく三峰作の祥瑞うさぎ文様の小皿2枚とフォーク2本を取り出した。
父は残業の後にさらに飲み会で今日は少し遅くなるらしい。
母と自分の分を取り分けて、再びカプレーゼを冷蔵庫にしまった。その間にシェフはブラックオリーブを切ってカプレーゼに乗せ、オリーブオイルを振りかけてくれた。
美月がダイニングテーブルにパスタと小鉢を運ぶ間に、料理人として役目を終えた母はキッチンで白ワインを飲み始めた。
「頂きます」と言い終わるやいなやカプレーゼのトマトにかじりつく。
甘い水分が冷たく喉を伝う。食べる度にトマトが好きだな、と美月は思う。そして祖母の作るトマトはやはり格別だ、とも。
「おばあちゃんの作るトマトはやっぱり格別よね!」
ワイン片手にダイニングテーブルについた母が確信めいた目で頷きながら言う。
爽やかなエアコンの風が二人の頬に当たる。
「おじいちゃんに指示された通り作っただけだって言ってた」と美月は先ほど祖母と話した会話の一部を母に伝えた。
「おばあちゃんはそういう人よ。そういう環境で器用にこなす人」
母は褒める口調で、でも淡々と言った。
お母さんもそうだよ、と美月は心の中で言った。
「私は二人に育てられたはずなのに、なんで似てないんだろ」
と言ってパスタをほおばった。
カプレーゼのトマトとは別顔を見せるその酸味とニンニクとオイルと混じりあったコクが広がるソースにアルデンテのパスタが弾ける。まさに絶品!
「シェフ。パスタボーノです!」と心でスタンディングオーベーションしながら美月は母に感謝を告げた。
「美月はいつもどっしりのんびりしてるからね。でも一緒よ」
母は褒める口調で、でも淡々と言った。
んーーーーーっと美月は悶絶し、額に手を当てて
「第一志望から第三志望まで全、滅っちゃんです!」と交互に頬を拭うジェスチャーで母に弱音を吐いた。
私の未来展望には仕事しかないのに。
トマトのおいしさなのか、未来への絶望なのか、焦りなのか、こんがらがった涙色の感情が沸き上がった。
「そう。また次があるわよ。」
母は淡々と言って、パスタを綺麗にすすった。
母はそういう人。
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