第6話

 燎は施設のベッドで跳ね起きた。


 すぐに首裏に手をやるが、傷はない。そのことにホッとはするが、まったく安心できない。


 綾華を助けるために、ヘルハウンドから追われないようにしたはずだった。なのに、結果は最悪なものだった。


 なにも怪我などしてないはずなのに息が苦しい。まったく汗を掻いていないことがかえって違和感を覚える。


「燎ー?」


 ハッと顔を上げると、鈴がいた。元気な姿そのものだ。時計を見ると、また朝に戻っている。


「燎、本当にどうしたの?」


「おい、二人とも朝食遅れるぞー?」


「風馬、燎がなんかへーん」


 鈴の後ろから風馬がやってくる。彼も元気そのものだ。傷一つない。


「おいおい、大丈夫か、燎」


 肩を叩かれ、燎はビクッと身体を震わせた。


「……おい、本当に大丈夫か?」


「あ、ああ。心配するな。ちょっと体調悪いだけだから」


「そうかー?」


 しきりに顔を覗き込んで来る風馬をいなし、燎はベッドメイキングを始める。


「本当にダメだったら言ってね燎」


「当たり前だろ」


「まあ、いいか。……先に行って待ってるからなー」


「分かった」


 鈴と風馬がいつものように――前回と同じに様に食堂に向かう。


 燎も手早くベッドメイキングを済ませ、食堂に向かう。そして、やはり同じことが繰り返される。


 十神施設長がやって来て、「精霊に祝福と感謝を」と言い食事が始まる。


 いつものように専用のグラスから真っ白な液体を飲み干した。


 このままでは、また同じことを繰り返してしまう。燎はそう思った。あれだけヘルハウンドを避けようとしていたのに、結果的に襲われ廃校まで行ってしまった。


 さらに、燎たちが廃校に辿り着いた直後に、綾華とあの子供はすでに戦闘していた。そして、綾華はやられそうになっていたのだ。


「関係ないのか……?」


 ぼそっと呟いた言葉に誰も反応しない。


 燎自身が廃校に行こうが行かまいが、綾華と子供の戦闘は行われるかもしれない、と燎は考えた。


 しかし、そうなると綾華を死なせないようにするためには、子供の方をどうにかするしかなかった。全身をローブに包んだ女を含め、防ぐ必要がある。


 分かっていることと言えば、毒を使い、分身が可能な事。


 綾華と戦闘していた女性、彼女が本体なのかもしれない、と燎は思った。彼女さえどうにか出来れば、助かるはずだ、と。


 だが、空から来たという事以外には、燎はなにも分かっていなかった。


 朝食は終わりを迎えようとしていた。ゆっくり食事しすぎていたことに気付き、慌てて残りの分をたいらげていく。


「燎、先に行ってるぞ」


 食事を終えた風馬が声を掛け、同じくすでに食べ終えた鈴とともに食堂から出て行く。


 食べ終える頃には、食堂には数人しか残っていなかった。待っているはずの風馬や鈴のためにも早く行こうと立ち上がり、食堂を出て行こうとする。


「――五十嵐燎くん」


 出口付近、職員の一人が話しかける。珍しい出来事に、燎は少しだけ驚いた。基本的に彼女らは施設の子供たちとは話をせず、黙々と作業しているのだ。


 なので、燎は真っ先になにかをやらかしてしまったのかと思った。声が掛かった時は大抵碌なことがない。なんらかの罰則が待ち受けていることもしばしばあった。


「なんでしょうか?」


「十神施設長がお呼びです。すぐに施設長室まで行ってください」


「えーと、『狩り』の方は?」


「そちらの方は後回しで構いません。メンバーである、如月きさらぎ鈴、志賀しが風馬にはこちらでお伝えしておきます」


「……分かりました」


 風馬や鈴を除いて燎だけの呼び出し。


 嫌な予感を覚えつつも、最上階にある施設長室にエレベーターで向かう。


 施設長室は、エレベーターを開けた先がそのままその部屋だ。


 燎が最後に施設長室を訪れたのは、『禁足地』で大人と接触しかけたのを報告した時だった。


 その時は十神施設長に詳細に話を聞かれ、問題なしと判断されたのか、なにもされることなく解放された。


「大丈夫かな……」


 上がっていくエレベーター、その中で一人ごちる。


 軽快な音ともに、扉が開く。


 真正面には執務机と対面のソファー。両端は本棚で埋め尽くされていた。黒と茶で構成されたシックな部屋。


 おそるおそる中に入ると、食事の時だけに飲むあの真っ白な液体と同じ匂いが充満していた。


「――そんなに怯えなくても大丈夫よ」


 執務机でなにやら書き物をしていた十神施設長が、穏やかな声で告げる。


「は、はい」


「そこのソファーに座って」


「はい」


 施設の子供たちどころか職員でも座らなそうなふかふかのソファーに身を置く。


 十神施設長はペンを置き、顔を上げた。


「さて、あなたにはいくつか聞きたいことがあるのだけれど……」


 顎に手を当て、十神施設長は考え込む。


 一体、何を聞かれるのかと燎は戦々恐々とした。


「そうねえ、今、君は悩み事とかある?」


 燎は内心で「めちゃくちゃある!」と思ったが、話すことはなかった。二回同じ時間を過ごして、その中で知ったとある女の子を救いたい、なんて話はあまりに荒唐無稽過ぎた。


 精神がおかしくなったと思われて「消える」のは御免だった。


「ありません」


「そうなの? 私はてっきり悩み事があるのか思ったんだけど……」


 十神施設長は燎の座っているソファーまでやってくると、顔を覗き込んだ。


「噓はついていない?」


 じっと金色の眼が燎を見る。どこまでも見透かしていそうな目に、燎は悩みの一部だけを話すことにした。このまま何も話さないでいると、それはそれでよく分からない疑いを掛けられそうな気がしたのだ。


「ご、ごめんなさい。一つだけありますっ」


 そう言うと、十神施設長は顔を覗き込むのをやめた。

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