第5話

 風馬の視線の先、進行方向にノームはいた。


 ノームは人形そのものだ。人形サイズで、容姿も可愛らしい見た目をしている。だが可愛いのは外見だけで、その性質は凶悪そのものと言える。


 彼女らは常に手に自身と同じサイズの木の槌を持っており、それをとんでもない怪力で振り回すのだ。槌自体も見た目とはそぐわない重さをしている。


 その上、彼女らは集団で行動し、言葉も話せる。


 何も知らない人間は不用意に近付くと、後に残るのは血痕だけになる、という嘘か本当か分からない話まである。


 そんな危険な奴らが飛び跳ねながら進行方向から来ていた。その数は二十はくだらない。


 一匹くらないなら羽で一発だが、さすがにこの数は多すぎた。見つかったら地獄だ。


「燎、どうするどっちに行く?」


「こっちだ。街の中心には行かない」


 別のノームやヘルハンドと遭遇するのを避け、左側――街の中心地からは外れる方向へ歩く。


 倉庫と家の細い路地を三人で通っていく。誰も管理していない敷地内は完全に草で覆われ、進みにくい。


 真っ直ぐ進めば川にぶつかり、そこに川に沿うようにして海まで道があるため、燎はそこを目指した。


 背後からは段々とノームの声が大きくなり始めていた。


「ニンゲン、ニンゲン」


「イタ、サッキイタ!」


「ドコダ、ドコダ」


 声も見た目同様に可愛らしい。しかし、聞き慣れている燎は、見つかっていたことに空恐ろしさを覚えた。


「よし、危なかったな……」


 川まではすぐに着き、川沿いを三人で進む。


「あー、性格以外は可愛いんだけどなあ。ノームちゃん」


「あんな物騒なハンマー持ってるのにか? 鈴なんて一発で死ぬぞ」


 後ろで交わされる会話を聞きながら、燎は今日からしばらくは街の中には寄り付かないようにしよう、と思った。


 さっきのノームもそうなのだが、妙に数が多い。ヘルハウンドに追いかけ回された時もその数の多さに対応し切れなかったためだった。


 他にもおかしな所がある場合には、さっさと逃げた方がいいかも知れない、とそこまで考える。


「着いたぞ。他の奴らもいるな」


 路地ではない道路に出て、そこを横断する。その先に海があった。砂浜はない。そこには海面とコンクリートの壁、大量のテトラポットがあるだけだ。


 燎たち三人はより海に近い右奥に進んでいく。そこは海に出っ張っており、右側にはボロボロになった漁船が並んでいた。何船かはバケモノとの戦闘で完全に壊れている。


 先に来ていた子供たちは『アビソトル』と戦闘していた。『アビソトル』は青い毛並みの狼のような姿をし、尻尾の先が人間の手の形をしている。彼らもまた群れで行動し、人間を襲う。水上、水中を難なく移動する。


 ただ、ノームやヘルハンドのように他の群れを呼び込むというのはしないため、比較的戦いやすいほうだった。


「ねえ、嫌な予感がするんだけど……」


「どうした、鈴」


「なんか数多くない? 前に『アッコロ』が出た時も、こんなんだった気がする」


「そうだったか?」


「そう! 絶対にそう! ねえ、燎、今からでも街の方に行こうよー」


「いや、ここまで来たんだから。それに出るとは限らないだろ? というかいる方が珍しくないか?」


「燎の言う通り。それに好き嫌いはよくない」


「好き嫌いとかじゃないー」


 鈴が駄々をこねている間に、「アビソトル」があらかた片付けられ、ほんとどいなくなってしまった。


「あーあ、いなくなっちまったじゃねえか」


「うんうん、じゃあ、街の方に行こう!」


「そんなに『アッコロ』が嫌なのか……」


 これ幸いとばかりに街の方へと戻ろうとする鈴に燎は呆れた。そこまで言うなら、前よりも街外れの方へ行けば問題ないかと思ってると――海面が大きく膨らみ、大きな音を立てた。


 現れたのはアッコロ。


 姿形は大きくなった蛸そのものだが、目の数が多い。触手も八本どころではない。うにょうにょと動き、海面を叩く。


「でちゃった……。燎、逃げよう、そうしよう、うん」


「一人で会話を完結させるな」


「燎、どうする。結構デカいぞ、アレ」


 風馬の言う通り、通常の『アッコロ』よりもそれは大きかった。しかし、それ以外はなにも変わらない。


「大きいだけだろ? 鈴、やるぞー」


「ええー、どうしても?」


「どうしてもだ」


 そんな話をしている内に『アッコロ』が動き出し、近付いてきた。


 燎は戦闘に移ろうとしたその時だった。


「――大人が来た! 逃げろ!」


 同じ施設の子供がそう叫ぶのが聞こえ、燎はすぐに『アッコロ』から背を向けた。


「鈴! 風馬!」


「うん」


「逃げるぞ」


 三人で来た道を戻る。


 大人に自分達がいることが見つかるとまずい。燎たちは正式なルートでここに入っていない。バレて見つかってしまった場合、ただでは済まない。


 もっとも燎含め子供たちが恐れているのは、捕まって解放されたあとのことだった。施設の人間――十神施設長が迎えに来るらしいのだが、その後、彼女とともに地下室に連れ込まれてしまうのだ。


 子供達は十神施設長によって地下室に連れ込まれるのを最も恐れていた。


 前に連れ込まれて戻ってきたやつがいたが――姿形は同じなのに、中身が完全に変わっていた。食べ物を極端に怖がるようになった彼は、いつの間にか消えてしまった。そういう子供が何人かいる。


 施設長や職員に聞いても、彼らは「答えない」。ただ、にこやかな笑顔で「そんな子はいませんよ」というだけなのだ。


 三人はその顔を想像し、冷や汗をかいた。大人にバレてはいけない。いないことになってしまう。


 一旦、道を戻ろうと、さっきはノームのいた道を通ろうとすると、ちょうど向こうから大人たちがやってくるところだった。


 真っ白な服を着た、幾人の大人。騎士団の人間だ。


 子供たちに気付いたのか、指を差していた。


「まずい。こっちだっ」


 燎は二人を引きつれ左に曲がった。右に行ってしまうと電車に通じるトンネルまで遠回りになってしまう。


 だから燎は咄嗟に左を選んだ。


 しかし、それが不運のもとだった。


 トンネルに行くためにはどこかで右に曲がらなければらない。だが、曲がり道に出る度に大人やノーム、ヘルハウンドに遮られていた。


 結局曲がれたのは一回だけで、それも途中で左に曲がらざるを得なかった。


 段々とあの廃校に近付いていっている。そのことは分かっていたが、わざわざ死ぬか大人に捕まるような場所に突っ込んでいくわけにもいかない。


 川にかかる橋の直前、今度は曲がり道に何度目かのヘルハウンドがおり、しかも至近距離だったため、追い掛けられる羽目になってしまった。


「くそっ、どうなってんだよっ」


「帰れないー」


「ここまで来ると、何かに試されている気がするな」


「呑気に言っている場合かっ」


 他にも逃げている子供はいたはずなのだが、いつの間にかいなくなっている。恐らく途中で隠れることにしたのだろう。こんなことなら自分達も隠れればよかった。


 そう後悔しながら橋を渡り、逃げ惑う。ヘルハンドは数体の群体で追い掛け、中々振り切ることが出来ない。


 ジグザグに逃げるがすぐに見つかってしまう。


 そして――廃校まで来てしまった。


「燎っ、ここに逃げるぞっ」


 そう言って風馬は校舎の敷地内に入る。燎は咄嗟に反論することができず、鈴と一緒に続いた。


 よりにもよって同じ場所に逃げ込むことになるとは思わず、燎は周囲を警戒した。あのバケモノじみた子供がどこにいるのか分からない。


 まったく同じ時間ではないはずだから、鉢合わせない方へ賭けたかった。


 ――しかし、そんな希望は打ち砕かれた。


 燎たちの後ろ、追い掛けてきたヘルハウンドへと上から何かが落ちた。背後で爆音がし、燎達が振り返ると、そこには二人の人間がいた。


 一人は綾華だ。ゆっくりと空から降りてきている。もう一人は真っ白なローブを羽織った女性らしき人間だった。ヘルハウンドを下敷きにしている。仮面を被っており顔が見えない。その仮面は、あの子供と同じもので、燎は嫌な予感を覚える。


 驚きのあまり立ち尽くしている鈴と風馬にそっと声を掛けた。


「おい、今のうちに逃げるぞ」


「うん……」


「ああ」


 どこか生返事な二人を連れ、綾香たちとは反対の校庭側に走る。


「――ちょっと待ってよ。そこの三人」


 頭上からした声に燎は寒気を覚える。


 ――見つかった


 そう思った瞬間、燎を含め三人に霧がかかる。真っ白なそれが身体に入り世界が回った。身体が勝手に倒れる。


「なんあ、これ」


 呂律が回らない。世界がぐるぐると周り、立つことすらできない。吐き気が襲い、何度も嗚咽を繰り返す。鈴や風馬の声が聞こえはするが、意味が理解できなかった。


 回っている世界の中でローブを羽織った女性と綾華が衝突している。そこには、見覚えのある子供も混じっている。女性と子供は、綾華を追い詰めていた。


 何も出来ない中で、綾華が膝を地に着けたのが分かった。


 やめろ、と叫んだつもりだった。しかし、実際には呂律の回らない単語になってしまう。


「――君、うるさいねえ」


 なにもかもがぐちゃぐちゃの世界で、やけにその言葉がはっきりと聞こえた。


 同時に首裏に激痛が走り、暴れようとするが、なにかに抑えられまったく動けない。


 首裏から喉に穴を空けられた燎は、なにも発することができなくなった。さらに、身体中をなにかが暴れ回る。


 死、という単語が頭の中を埋め尽くす。


「バイバーイ、燎ちゃん。美味しく食べてあげる」


 最後に聞こえたのは、そんなふざけた言葉だけだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る