なぜかチュートリアルがクリアできなくなったので、案内役の妖精と旅に出ることにしました

物戸 音

ゲームのはじまり

第1話 ログイン

 高層ビルが立ち並ぶその街の中でも1、2を争う高いビルの入口で1人の男が絶望した表情で立ち竦んでいた。


 ジャケットはきっちりしているが、中のシャツは縒れており、ネクタイも曲がっていた。パッと見は清潔そうなサラリーマンであるが、よく見ればだらしない。


 ビルの入口にはゲートがあり、そこに入館カードを通して中に入る。


 ゲートの先には各階に行くエレベーターがあり、そこには朝から長い列が並んでいる。

 本来ならその男も、そこに並び憂鬱な朝から仕事を始めているはずだった。

 が、今は守衛に止められ、少し離れたところで、それを眺めているだけだった。


 突然の解雇。


 IT業界ではたまにこういうことがあると言うのはきいていたが、彼もまさか自分がこんな目に合うとは思っていなかった。


 突然の解雇は契約上高い違約金がつく。


 それでも解雇されたことには理由があった。

 この男はセキュリティ関連を扱う会社で働いていた。過去、解雇宣言をされた者が猶予の一ヶ月でこっそりとセキュリティホールを作ると言うことがあった。

 通称自爆テロと言われたそれに、会社側は一ヶ月も置くリスクより、即時解雇して違約金を払うほうが賢明だと判断した。


 そして、今回のその対象が彼だった。


 今までの働いてきた功績が彼の頭を駆け巡る。


 何故だと叫んでも、目の前にいる守衛が答えられるはずもない。分かってはいてもこの怒りを目の前にいる何も知らぬ守衛にぶつけそうになる。


 守衛から私物は全て後日郵送されると告げられる。


 すぐ横では、大勢の社員がゲートを通り、エレベータ待ちの列をなしていた。まるで、彼が見えないかの様に、振る舞っていた。


 いや、実際は見えてはいるのだろうが、気にはされていない。事実、見えていないと同義なほどにだ。


 その瞬間、心の中の何かが弾けて大声を張り上げそうになったが、そんなことをしても意味がないことは知っていた。諦めにも似たその感情で、何とか奇異な行動には出なかった。


 それは、彼自身もそうだったからだ。


 たまに出る解雇者を横目に、仕事のことを考えていた。その時と立場が違うのは、彼が解雇された側だというくらいだ。


 

 彼は絞り出すように「分かった」とだけ言葉を残し、その場を去った。

 これ以上、あそこにいるのはみじめでならなかったからだ。


 今からどうしようか。そう考えると、憂鬱でならなかった。


 遠くの方から聞こえてくる何台ものけたたましいサイレンがより一層非現実感を際立たせた。 


 ----


 何処かに寄り道するでもなく、真っ直ぐ帰宅すると、ポストに一通の手紙が入っていた。


 差出人は勤めていた会社で、宛先は彼にだった。


 まるで帰宅を待っていたようなその手紙の内容は想像通り、解雇の旨と退職金と給料、そして残業代の清算について書かれていた。


 清算される金額は結構な額だった。


 貯金と合わせると即金で高級マンションを買ってもお釣りがくるほどだ。

 仕事の内容上、彼の給料はかなり高い。人一人の人件費としては割に合わないと言う話を耳にしたことがあった。


 その分重要な仕事をしている気ではいたが、仕事ばかりで会社の人間関係をおざなりにしてきた。


 そのツケが回ってきたのだろうと、彼は自分に呆れた。


 それだけの給料を貰っていたが、住んでいるのは会社から近いという理由で借りたおんぼろアパート。家賃は安かった。


 布団に横になりながらその金額を眺める。


 金はあったが暇と趣味がなかった。仕事が趣味のような男だった。

 そんな男だから、ほとんどの給料が貯金に回されていた。

 面白みのない男。自分を表現するならそんなものだろうかと彼は思った。


「さぁ、どうしよう……」


 時計を見ると時計の針は午前9時を過ぎたところだった。


 普段ならデスクについていて、仕事をし始めている時間だ。今までこんな時間に自室の天井を見上げることなんてなかった。

 今から遊びにいこうにも、仕事ばかりの彼にはどこに遊びに行けばいいのかわからなかった。


 つけっぱなしのテレビから流れるキャスターの声はどこか他人行儀に感じる。


 携帯のアドレス帳など、ほとんど空に近いことからも彼の人付き合いの悪さが分かる。


「俺の趣味ってなんだっけな?」


 彼も学生のころは人並みにゲームだ酒だと何ともなしにこなしていた。

 とはいえ、それでも研究の時間のほうが長かった。

 ちょうど、その時、テレビからゲームのコマーシャルが流れてきた。


「そうか……ゲームか……」


 今から20年前。

 <ソリティックノーツ社>が開発したVRMMO筐体<FtC-Diverエフ・ティー・シー・ダイバー>。

 当時はやっと世界が小説に追いついたと世間をにぎわしていたが、今ではそれが当たり前になってきた。


 当たり前になったとは言え、<FtC-Diverエフ・ティー・シー・ダイバー>の個別購入はかなりの値段がする。


 ある程度の電力と通信回線。それにスペースは言わずもがなで、定期メンテナンスや入れ替え部品など本体費以外にも様々なランニングコストがかかる。


 その為、期間リースを行って、使用するのがほとんどだ。


 年間契約や一定時間定額プランなどがあり、それならば比較的手頃な価格で使用することができる。

 昔で言うネットカフェのような所もある。

 が、職がなくなり、時間と金が腐るほどある今だからこそ、そこに惜しむ理由はない。


 とはいえ、購入してもこのおんぼろアパートにはおけない。


 何かいい方法はないかとネットを見て回ると、<ソリティックノーツ社>自身が、個室とセットで筐体を販売していた。


 金額は結構な額だが、貯金から考えても余裕をもって買える金額だった。


 人間、状況が特殊だといつもとは違うようで、普段は優柔不断だった彼も今日はなぜかそれを即決で購入した。

 早速、パソコンから購入手続きを行う。

 身分の証明書や傷病の有無などを申告。購入手続きが完了したら起動アカウントを作成する。


 これは、最初に起動する時に使用するものなので、過去に使っているものがあれば、作る必要がないものだった。


 適当にニュースのヘッドラインを見ながら、購入後に何が出来て何を事前にやるべきなのか調べる。


「ふむふむ……」


 <FtC-Diverエフ・ティー・シー・ダイバー>で遊べるものは様々ある。


 体験型の映像サービスや様々なゲーム。それに、料理や格闘技などの学習サービス。


 やはりやるならゲームだろうと調べる。


 ゲームを提供している会社は数多くあるが、中で最大規模なのは<ソリティックノーツ社>の<ナヴィリオン・アブセンス 〜御伽話の危機〜>。

 通称名<N/A>だった。


 <ソリティックノーツ社>が、この<N/A>に対する力の入れ具合は凄く、大型のアップデートは<FtC-Diverエフ・ティー・シー・ダイバー>と同時にやるほどである。


 このゲームをやっていれば、少なくともVRMMOの最先端は体験できると言われるほどなのである。


「臨時ニュースです!」


 つけっぱなしのテレビから流れた言葉に視線が移った。

 どうやら仕事場のすぐ近くの病院が燃やされ、何人かが刺されたらしい。

 その凄惨さに顔をしかめたが、ニュースで見るとそれもまた自分と関わりのない遠い世界に感じた。あれだけ近くでサイレンが鳴っていたのもだ。面倒くさそうに、テレビを消すともうすでにそのニュースの事は頭の片隅にも残らなかった。


 しばらくして、引き落としの確認が取れた旨のメールが来た。


 そのメールには購入した<FtC-Diverエフ・ティー・シー・ダイバー>の登録番号と今後使用できる部屋番号が書かれていた。


 本来なら時間限定のそれも筐体購入の為、永遠に使える。


 早速、ルームキーとなるセキュリティパスを腕輪型のウェアラブルデバイスに移すと、日本支社に出向いた。


 <ソリティックノーツ社>は、VR端末の使用ホテルを併設している巨大建築であった。


 巨大なガラス張りと、踏んでいいかと躊躇うほどの絨毯が敷かれているフロントを通り、受付と話す。

 送られてきたメールとセキュリティパスを見せるとその購入履歴から話は早く、部屋への行き方と待機しているよう言われた。


 奥のエレベータに乗り、71階まで登る。部屋の前まで行き、ドアにセキュリティパスを掲げると、かちりと音が鳴り、部屋の鍵が外れた。


 中はワンルームマンションのような部屋。簡易ではあるが風呂トイレもある。窓は嵌め殺しで、ちょっとやそっとでは割れそうにない硬いガラスだった。


 だが、何より異質を放つのが部屋の真ん中に置いてある<FtC-Diverエフ・ティー・シー・ダイバー>だ。


 コックピットのような形のそれに、何本もの太いケーブルが刺さっている。

 しばらくすると、若い女性が部屋に入って来て、VR端末の説明と契約書の話を始めた。


 だが、頭の中はほとんどゲームのことばかり考えていて、ほとんどその話は頭の中に入ってこなかった。

 適当に頷いて、何度か契約書に名前を書いて、その女性はようやく部屋から出ていった。


 名前を書くだけの作業だったが異様に疲れた。


 大きくため息をついて、ようやく<FtC-Diverエフ・ティー・シー・ダイバー>のシートに座った。

 あたりが暗くなり始め、少し耳鳴りがした。眠気のような、抗いにくい感覚が頭の後ろを走り、意識が遠くなっていく。


 この独特の感覚が癖になる人もいるらしい。

 なるほど確かにと思ったところで、彼の意識はゲームの中に落ちていった。

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