翼持たぬ子
荷葉とおる
翼持たぬ子
今日は、一週間ぶりに鬼が出たという合図があった。
甲高い笛の音が鳴り響き、里に少し緊張が走る。
「行こう、這丸。」
空丸がぽん、と俺の背中をたたく。
いつも通り、空丸は弓を片手に自身の翼で飛び立った。
俺も、腰に佩いた刀の柄を強く握る。
数ヶ月前、十五になり成人すると、鬼の討伐に参加することになった。
翼を持たない俺は、空から放たれた矢を受けた鬼に、地上でとどめを刺す役を担っている。
翼を持たずとも、俺は翼人の里の一員だ。
空を飛べずとも、俺は里の役に立てる。
翼人として与えられた役割に誇りを持っているし、必ず皆とともにこの里を守り抜いていく。
「どうにか今日も勝ったね」
討伐後、空丸が下降してきて声をかけてきた。
「這丸、大活躍だったじゃない」
「空丸の正確な射撃のおかげだよ」
「ううん、俺たちは地上では戦えないから」
今更、その言葉がチクリと刺さる気がした。
空丸には何も悪気はない。
ただ、彼ら翼を持つ者は空を飛ぶために体が軽く、刀を持つことができても一撃一撃がとても軽い。
俺は空を飛び回ることができない代わり、強い骨格を持っている。
同じ里に住んでいて仲間と思っていても、こんなにも違うことを時々思い知る。
「どうしたの、這丸」
「……何でもない」
「はやく川で穢れを流して、家に帰ろう!」
空丸が俺の手をひいて走り出す。
空丸は俺とそう歳が変わらないように見えるが、幼いころから、俺の面倒を見てくれていたのは空丸だった。
記憶のある限り、空丸の見た目は変わらない。
昔、空丸に年齢のことを聞いてみたことがあったが、「年齢はただの指標でしかないんだよ。そんなに気になる?」と微笑みで返された。
細かいことを気にする奴だと思われるのも癪だったので、それ以降年齢に関する質問をしたことはない。
恐らく、この里の人々はあまり見た目で歳をとらないのだろう、と思う。
翼を持たない俺だけが、どんどん大きく、ごつくなっていく。
今こうして空丸が俺の手首をつかんでいるだけでも、空丸との骨格の差を感じる。
彼らのからだは空を飛ぶための軽量設計で、雛以外の老若男女に大した見た目の差はない。
翼もなく、地を這うしかできない俺は何者なのか、という疑問がずっとあった。
でも、何の毒気のない空丸の顔を見ると何も言えなかった。
次に鬼が現れたのは、さらに十日後のことだった。
いつもと同じように刀を握り、皆の放った矢で弱った鬼たちを切る。
鬼たちは普通武器を持たない。
彼らに意思があるかどうかも誰も知らない。
ただ、鬼はこの世に悪をもたらす、ということだけ、里に伝わる昔話で語られている。
鬼たちが現れると病がはやり、災害が起きることもあるらしい。
だから俺たちは鬼を討つ。
今回の鬼たちは珍しく刃物を持つものもいて、討伐に苦労した。
「お疲れ様!」
空丸は今日も明るく微笑んでいる。
鬼と接触すると穢れがうつる。
里の皆は鼻がきくため、穢れにはとても敏感なのだ。
戦いの後は川で穢れを流してから里に戻るのだが、今日は他の皆とも川で一緒になった。
「おい、這丸。今日も激しかったな!」
「お疲れ様!今日も頼もしかったよ!」
「翼はなくとも、這丸は一番勇敢で腕の立つ翼人だな!」
皆口々に声をかけてくれる。
「皆さんもお疲れ様でした。今日は鬼が少し多かったですね。」
俺の言葉に、一番討伐歴が長いという羽吉さんが反応する。
「年に数回、鬼の出現数が増える時季があるんだ。春、そして夏から秋にかけて、鬼を見かけることが増えてくるかもしれない。警戒していこう」
皆が頷く。
「しかし、這丸のおかげで、確実に鬼たちを仕留められる。討伐率が上がって助かるよ。」
羽吉さんにも褒められた。
俺もちゃんと皆の役に立っているんだ。
たとえ翼がなくたって。
「さあ、あまり川につかりすぎても体が冷えすぎてしまう。そろそろ里に帰ろう」
羽吉さんの一言で皆川から上がると、羽をふるわせた。
俺だけはただ冷たいからだを拭き、さっさと服を着た。
日は沈みかけていた。
俺は走っていた。
何者からか逃げている。
足には自信がある。
しかしどうも、水中を歩くみたいに足が重く、まったく前に進まない。
左足を出したらすぐ右足を出したいのに、思うように動けない。
追いつかれてしまう。
「……。」
何者かが何か声を発している。
わからない。
それが言葉なのか、叫びなのか。
いよいよ追いつかれそうだ。
腕をつかまれた。
鬼だ。
髪の長いその鬼は、俺を抱き寄せ、俺の頭を撫でながら啜り泣いていた。
目が覚めた。
全身に汗をかいていて、気持ち悪い。
「あ。おはよう這丸。」
すでに空丸は身支度をしていて、いつ討伐に呼ばれても大丈夫な装いだった。
「悪い。寝過ごした……」
「大丈夫だよ、昨日の今日で多分鬼はでないだろうし。油断は禁物だけどね。」
空丸は肩をすくめて見せる。
「それより、寝汗すごいよ。前髪、おでこに張り付いちゃってる。今日暑くなるみたいだし、川で水浴びしてきたら。」
「……うん。行ってくる。」
本当は井戸で水をかぶって終わりにしようと思っていたが、指摘されたのも少し恥ずかしかったので、大人しく川へ行くことにした。
里からそう遠くない川は、いつも討伐後に穢れを落とす川の上流で、浅く、流れも穏やかなために雛たちの遊び場にもなっている。
今日みたいな天気のよい日は、やはり雛たちがわらわらとあつまり、水を浴びたり、かけあったりして遊んでいた。
「はいまるじゃん!」
一羽が俺に気づき、てちてちと駆けてきた。
「はいまるだ!」
他の雛たちも群れて駆けてくる。
「お前たち、転ぶなよ」
雛たちはまだ飛べず、足元もおぼつかない。
この川のように岩や小石が転がっているような場所では、どうもひやひやする。
「ねえ、はいまる!はいまるって、かたな、とくいなんでしょ!こんどおしえて!」
集まった雛たちが、おしえておしえて、と取り囲んでくる。
かわいらしいのだが、俺は雛と接するのが得意ではない、という自負がある。
「機会があったらな。でもお前たち、刀は重くて持てないと思うぞ」
「じゃあ、きのぼうでれんしゅうして、まいにち、からだもきたえる!」
「じゃあ大人たちに聞いて、いいって言ったらな。」
やったーと雛たちはぴょこぴょこと跳ねている。
「俺にかまってないで、水浴びしてこい。水が逃げるぞ。」
「えー、みずってにげないんだよー!」
楽しそうに雛が離れていく。
「俺も」
服をたたんで、護身用の短刀とともに少し大きめの岩の上に置く。
冷たい川に足を浸すと、すうっと頭のもやが晴れていく感覚がある。
雛たちと話してこともあり、夢のことも少し気にならなくなってきた。
水を両手で掬い、頭にかける。
気持ちがいい。
もうすこしだけ浸かっていこうと思い、ゆっくりと水中に腰を下ろそうとした時だった。
何かの視線を感じた。
たぶん、鬼ではない。
よく見ると、少し離れた木の上に、狗が見えた。
一頭ではない。
少なくとも五頭以上の群れだ。
小さな雛たちを狙って、集まったのだろう。
「お前たち!今すぐ里に向かって走れ!」
俺が目をそらしたら、確実に狗どもは襲い掛かってくる。
ゆっくりと、後ろを向かないようにしながら短刀をつかむ。
雛たちは状況がまだわかっていない。
「狗が出た!大人たちに伝えろ!」
雛たちの動きが止まり、つぎの瞬間一斉にぴいぴいと泣き喚きながら走り回り始める。
「困ったな……」
雛たちがいなくならない限り、狗たちはあきらめない。
走り回っている雛の中でも、いつも最初に話しかけてくれる子をつかまえて落ち着かせる。
「少し落ち着いて聞いてくれ。狗は俺がいる限り動けない。でも、俺ひとりでは倒せない。お前たちはみんなで里に戻って、俺のために助けを呼んでくれ。」
「はいまるのために……?」
「そうだ、できるか?」
かくかくと、鈍い動きながらも頷く。
これでいい、一羽が里に向かえば、雛たちはそれについていく。
これで戦える。
雛たちが駆けていくのを見守って短刀を抜く。
雛がいなくなったところで狗も去るかと期待したが、そうはいかないようだ。
短刀か。
重みが足りないし、ほんとうに近接戦になってしまう。
しばらくにらみ合ったあと、一頭が遠吠えをする。
それを合図に、木の上から他の狗どもが駆け下りてくる。
思ったより数が多い。
絶対、里の方には行かせない。
ざっと十頭か。
雛の方を追おうとする狗に切りつけ、背中から襲い掛かってくるのをいなす。
十頭に対してひとりでは、分が悪すぎる。
とにかく、里に向かわせなければいいんだ。
水に足を取られながら、飛びかかってきた狗を切りつけ続ける。
「いっ……!」
足にかみつかれた。
たまらず、噛みついてきた狗の首元を狙って短刀を刺してやる。
川に赤い色がにじむ。
別な犬が背中に飛びかかってくる。
自分の体を振り回し、川に落ちた狗の腹を刺す。
赤い色が広がる。
戦っているうちにほんの少し川をくだってしまったようだ。
雛たちは、里についただろうか。
助けは別に期待してはいない。
ただ、彼らが無事であればいい。
このまま、少しずつ里から遠ざかろう。
下流に向かって後ずさるようにしながら、狗どもと戦い続ける。
いつの間にか川は赤く染まってしまった。
数頭を残して狗を動けなくし、その残りも逃げ去った。
「……ずいぶん下流まで来たな」
気づけば川は深くなっていた。
落ち着いたら、狗にかまれた傷口が目に入った。
このくらいのけがで済んだか、と独りごとを言いつつ、腰まできた水をかきながら、まずは陸に上がろうとした。
「あ」
足が滑った。
立ち上がれない。
いよいよ力も入らない。
目の前に気泡が遠ざかっていくのを眺めながら、水に呑まれていく。
水が俺の中に入ってくる。
不思議と苦しさはない。
穏やかに、意識が遠のいていった。
「……?」
聞きなれない音が聞こえる。
言葉か?
頭が痛い。
手足が動かない。
ゆっくりと目を開けると、いつも討伐している対象の姿がそこにあった。
「……!」
鬼は俺の顔を見ると、どこかへ走っていった。
どういう状況だ。
俺は狗と戦ったあと、水に足を取られて……。
まさか、鬼が俺を助けたというのか?
だめだ、からだが動かない。
瞼が落ちていく……。
次に意識が戻ると、そこに鬼はいなかった。
ゆっくりだが、体が動く。
首から下に布がかかっていて、邪魔だ。
布をどかして、上半身を起こしてみる。
どうやら、木製の台の上に寝かされていたらしい。
やはり鬼の姿はないが、ここはやつらの巣なのだろうか。
木の壁、藁の床、こじんまりとした空間の真ん中には、石で炉のようなものが作られてある。
「……寒いな」
服を着ていなかった。
そして、腹やら脚やら腕やら、いろんなところに布が巻いてある。
布の上から腕に手を当てると、手のひらの熱さがしみる。
けがをしたところに布を巻いてくれたのか。
ということは、思っていたよりけがの箇所が多いかもしれない。
あの時はただひたすら狗どもを追い払うことに夢中だったから、痛みは感じなかった。
けがの存在に気づいてしまうと、けがが痛む気がしてくる。
しかしとりあえず、服が着たい。
それから、短刀はどこに行っただろうか。
よく見れば、さきほどまで寝ていた台の上に、俺の服がきれいにたたまれていた。
狗に嚙まれて穴の開いた箇所も、修復してある。
さすがに鬼も警戒して、短刀はどこかに隠したか、もしくは川の底らしい。
服を着て、台に腰掛ける。
鬼……は悪なはずだ。
しかし、助けてもらって礼をしないわけにはいかないだろう。
そして正直なところ、里に戻ろうとしても体力がなくたどり着けないだろう。
いま少し立って歩いただけでも、体が重くて倒れてしまいそうだ。
家主の断りもなく申し訳ないが、もう一度横にならせてもらおう。
「……?」
「……。」
声が二つ聞こえる。
体を起こすと、鬼が二匹こちらを向く。
「……!」
「申し訳ない、あなたたちの言葉がわからないんだ。」
「……?」
何か問いかけてくれているのだろう。
しかしまったくわからない。
「とにかく、世話になった。」
台の上で正座し、頭を下げた。
言葉は通じなくても、このくらいは伝わるのではないか。
顔を上げると、二匹の鬼は「とんでもない」とでもいうように両手を振り、傍らにあった椀を差し出してくれた。
いいにおいがする。
ほんのりと塩味のついた、肉の汁だ。
ありがたくご馳走になると、二匹は自分たちを指さしてゆっくりと言葉を発した。
「タ、キ」
「フ、ユ」
はっきりと発音する。
二匹のうち、体が大きいほうが自らを指差す。
「タ、キ」
華奢な方も自分を指して言う。
「フ、ユ」
ひょっとすると、鬼の個体名だろうか。
慣れない発音だが、二匹をそれぞれ指差して言ってみる。
「タ、キ……フ、ユ」
二匹がにっこりと笑う。
「は、い、ま、る」
俺も自分を指して名前を言ってみる。
二匹はゆっくりと発音して、手を叩いて喜んでいる素振りを見せた。
こちらを攻撃してくる様子はまったくない。
鬼もよく見れば、背中に翼がないこと以外は里の皆と変わらない、むしろ俺なんかは、里の皆よりこの鬼たちに姿が近い。
今まで考えたこともなかったが、もしかして俺は鬼なんだろうか。
タキとフユは、俺にとても良くしてくれた。
俺の体力が回復するまで懸命に世話をし、言葉を教えてくれ、怪我の具合が良くなった俺がなにかやることはないかたずねると、仕事を割り振ってくれた。
タキとフユは家族のように接してくれ、他の鬼たちも皆、まるで俺がもとから村の者であったかのように扱った。
嬉しいとは感じたが、同時に里に、空丸たちのところに帰らなくてはという思いも大きくなっていった。
このままでは、ここに馴染みすぎてしまう。
もはや里の皆は、俺のことなど探してはいないだろう。
それでも俺は、翼を持たなくとも俺は、あの里の一員なんだ。
確かに鬼たちは親切だったし、ここは居心地も悪くなかったが、彼らが俺に優してくれるたびに、そうではないだろう、彼らはもともと敵なのだ、と頭の中で声がする。
彼らに接すれば接するほど、自分のことも、どうすべきかもわからなくなってくる。
本来、ここにい続けるつもりなどなかったのだ。
自分を取り戻すためにも、里に戻ろう。
その夜、タキとフユが床に着いてから、こっそりと村を抜け出した。
結局、最初に目を覚ましてからおよそひと月もの間、ここに滞在してしまった。
とりあえず、川を探そう。
ここがどこかは知らないし、どのくらい里から離れているのかは知らないが、俺は川を流されてこの付近まで来たはずだ。
川を遡り、上流の方へ行けば里にたどり着くだろう。
どうやら、鬼たちの村は里からそう遠くないところにあったようで、なんやかんや、歩き始めて半刻もしないうちに見覚えのある景色が見えてきた。
生い茂る草、木々をすり抜けて、開けた草原に出る。
普段、鬼たちと交戦している場所の付近だ。
月の光に、草の露が反射して光っている。
もうこんな季節か。
少しずつ気温が低くなっていき、秋、やがて冬が来る。
里には、夜間も見張りがいるはずである。
草の露に足を濡らしながら、見張り台がある方へと進んでいく。
ひと月と少しの間、鬼の村で過ごした。
その間、鬼たちが武装して出かけることはなかったはずだ。
里の皆は元気に過ごしていただろうか。
たしかに少しずつ、里に近づいている。
ほんのりと篝火が見えてくると、だんだん早歩きになってきて、次第に駆け足になってしまう。
見張り台にいる人物の輪郭がはっきりしてくる。
「空丸!」
よく見知った顔がそこにいた。
嬉しくなって、俺は大きく手を振った。
空丸もこちらに気づいたようだ。
しかし、次の瞬間、俺の胸に衝撃があり、思わず地面に膝をつく。
胸に刺さった矢を抜くと、じんわりと血が出てくる。
鬼だと思われたな。
仕方ない。
翼のないものは、鬼なのだ。
空丸が飛んでくる。
「空丸、俺だよ」
俺の顔を勢いよく掴み、じっと見ると、空丸は抱きしめてくれた。
「矢、痛かったね、ごめんね」
「大した傷じゃないよ。手加減しただろう」
本当に手加減したと思う。
空丸の放つ矢は、本当はもっと鋭いのを、俺はよく知っている。
「手加減なんかしていない。あれが今の俺の全力だよ」
確かに、俺を抱きしめる腕は以前にもましてか細く、体は最後に見たときよりずっと軽そうに見える。
「空丸……少し小さくなったか?」
俺から腕を離すと、空丸は少しムッとした顔をした。
「お前が帰ってこなくなるから心配で、飯が喉を通らなかったよ」
それはごめん、と謝る。
「……雛たちは無事だったのか?」
「みんなね。とりあえず、川に入ってから里に入ろう」
雛たちの安否に胸を撫で下ろしつつ、疑問を感じる。
「なぜ川に?」
「……お前、だいぶくさいから」
「えっ」
たしかに汗の臭いがするかもしれないが、これまでそんなことを気にしたことはなかった。
「ちがう、鬼のにおいがする」
合点がいった。
里の皆は、俺よりにおいに敏感に反応する。
俺から鬼のにおいがするのなら、可能な限りそれを落とさなければ里の皆は混乱するだろう。
川に向かい、水を浴びながら、このひと月あまりの話をした。
狗に襲われ、川に流されたところを鬼に助けられたこと、鬼たちも村を作り、畑を耕して普通に生活をしていること、鬼の言葉を教えてもらったこと……。
空丸は、黙って聞いていた。
川から上がっても、においが残っていると空丸が言った。
この状態で里に入ってしまうと、夜間は特に警戒されてしまうだろうということで、里の入口付近の見張り台の麓で、朝まで過ごすことにした。
「眠っていいよ」
「ありがとう」
たいして疲れていないと思っていたが、思いの外すぐ眠ってしまった。
翌朝、顔に朝露の冷たさを感じつつ目を覚ますと、空丸は隣にはいなかった。
里には目が悪いものも多いので、恐らく一人では里の中に入らないほうがいいだろう。
特にすることもなく、詮無きことを考えてしまう。
鬼たちは、これまで思っていたのとは違い、野蛮な様子などはなかった。
むしろ、見ず知らずの俺の世話をし、優しく親切に接してくれた。
きけば、鬼たちが村から離れるのは山菜や木の実を採るとき、獣を狩るときだけとのことだった。
翼人の里の近くに鬼が出たときは、ただ獲物を追っていただけのようだった。
それが本当だとすると、鬼は討伐するような相手ではないのではないか。
鬼も平和に生活をしていて、何者かに害をなそうとする動きはこのひと月あまりの間には見られなかった。
今なら俺は、里の言葉も鬼の言葉もわかる。
もしかしたら、交渉してうまく線引きをして生きていくことができれば、討伐などしなくてもいいのではないか。
考えを巡らせていると、里の長がやってきた。
「這丸、よく帰ってきた」
長は咳払いをし、羽を広げた。
羽を広げるのはこの里の人々のかしこまった挨拶の仕方だが、羽のない俺はかわりに深く頭を垂れる。
「昨夜、戻ってきました。このひと月の間、鬼の村にいて……」
長は右手で俺の話を制した。
「顛末は空丸から聞いた。しばらくは鬼のにおいがして、皆近寄らないかもしれんが、そのうちにおいもとれよう。それまで少し、さみしいかもしれんが耐えてくれ」
「あの、長、ひとついいでしょうか」
「なんだ」
「鬼の村で過ごす間、鬼たちは俺に親切にしてくれました。彼らの生活も特別豊かなものには見えませんでしたが、俺に食べ物を分け、眠る場所を用意し、言葉も教えてくれました。鬼たちが、言い伝えに聞くほど悪い存在には思えないんです」
翼をたたんだ長は、腕を組み、俺から目を逸らした。
「鬼と、傷つけ合わずに生きる方法はないのでしょうか」
「ない」
長は俺に向き直ると、俺が言い終わるか終わらないかのところで返事をした。
こうきっぱりと否定をされては、俺もこれ以上は何も言うことはできない。
「話は終わりか。まあ、無事で何よりだった。ゆっくり休むがいい」
機嫌を損ねてしまったようだ。
長は、羽を翻すようにして去っていった。
ひとまず、村に入る許可は出た。
モヤモヤと晴れない気持ちは残るが、きっと俺が鬼とともに過ごすうちに、絆されてしまったのだろう。
俺は、この里の一員だ。
この里の皆のためになることをするまでだ。
しかし翌日、長の姿勢は打って変わった。
空丸と俺は長のもとに呼び出された。
「よくきた」
里の集会所にはすでに、里の主戦力である大人たちが集まっていた。
「這丸、昨日の話では、鬼と言葉が交わせるようだな」
「はい、鬼の言葉を教わりました。簡単な会話ならできます」
「鬼との、共生の道はないのかとも言っていたな」
「……はい」
周りの大人達の視線が痛い。
わかってはいた。
昨日は長と二人だったこと、無駄に考える時間が長かったことから、思わず口をついてしまったが、鬼との共存が簡単に受け入れられるはずがない。
「鬼の棲む地への道は覚えているか」
「はい、川を下流へくだった先にあります」
「争いをやめるために、交渉できるか」
耳を疑った。
大人たちは、口々に反対する。
「長、断固反対です」
討伐歴最長の羽吉さんがきっぱりと言い放つ。
そうだそうだと、皆が口を揃えて言う。
「空丸はどう考える」
長が空丸に尋ねると、皆が空丸を向く。
「俺は、やるだけやってみればいいと思います。交渉がうまくいかなければ、また討伐すればいいだけの話です」
空丸が淡々と言うと、大人たちも唸る。
長は皆が反論できない様子をみると、腹を決めたようであった。
「這丸、鬼どもの村に行き、住む地を分けて争いをやめたいと、翼を持つ者が言っていると伝えてきなさい。空丸は這丸についていくように。」
返事をすると、這丸は戻っても良いと言われた。
空丸と他の大人たちは大事な話があるのだという。
特にやることもない、少し雛たちの様子を見に行ってみるか。
村の中心にある広場で遊んでいた雛たちは、狗に襲われた日よりも確実に成長していた。
「あ、はいまるだー!」
俺に気づいた雛たちが駆け寄ってくる。
「あ、はいまる、くさい。」
駆け寄ってきた雛のひとりがいうと、皆が数歩下がる。
「くさくて悪かったな。」
少し距離をとりながらも、雛たちは笑顔でこちらを見ている。
「ほんの少し会わないうちに、お前たち大きくなったな」
「うん!みて、ちょっと羽ばたけるようになったの!」
何人かが背中をこちらに向けて、ぱたぱたと羽を動かして見せてきた。
「すこしたかいところから飛びおりると、ちゃんと飛べるんだよ!」
「すごいじゃないか」
えへへ、と笑うと、また元の場所に戻って遊び始めた。
微笑ましい光景だ。
この里も、鬼の村も、こういう風景が続いていけばよいのに。
せっかく、住む地を分けるよう、交渉をする機会をもらったのだ。
必ず成功させなくてはいけない。
広場を離れ、やはり暇なのと、なんとなく眠くなってきたのとで、家に帰って昼寝をすることにした。
まだ日が高い頃に眠りについたはずが、目を覚ますとすっかりあたりは暗くなっていた。
「あ、這丸おきた」
空丸も帰ってきていたようだ。
「お腹へってない?なにか食べる?」
ちょうど腹が大きな音を鳴らした。
「いい返事だね!」
空丸はくすりと笑うと、汁物をよそってくれた。
野草や村で採れる根菜がたっぷり入っている。
「うまい」
「でしょう。元気が出る薬草、頑張って探しに行ったんだよ」
たしかに、あまり食べたことのない味の野草もある。
「おかわりもあるし、しっかり食べてね」
言われるまま、よそわれるままに食べ、結局何杯分食べただろうか。
腹いっぱいになり、先程まで寝ていたはずなのに、また眠気が襲ってきた。
「……明日、夜が明ける前に出発するからね」
空丸の言葉に返事をしたつもりであるが、声になっていたかはわからない。
まだ暗く日の出ていない頃、鬼たちの村へ向けて出発した。
鬼たちの朝は、里の皆よりもゆっくりだ。
こんなに早い時間では、鬼たちはまだ寝ていると伝えたのだが、早く行って待機しろと長から指示を受けた。
なんとなく会話もないまま、どんどん歩いた。
先日は夜に戻ってきたため、初めて見る景色が続く。
「あんまり早くつきそうだから、ちょっと休憩してにぎり飯でも食べようか」
川の流れがだいぶ緩やかになったあたり、まるっこい小石が転がる川原に、二人並んで腰掛ける。
にぎり飯を受け取ろうとすると、空丸は一瞬固まったように見えた。
「どうかしたか?」
「いや、何でもないよ」
大きなにぎり飯を受け取ると、空丸が言う。
「昔こうやって、にぎり飯を持って遠くまで遊びに行ったよね」
そうだ、俺が小さい頃、こうしてにぎり飯を作って、空丸が色んなところに連れて行ってくれた。
春には沢山の花が咲く野原に、夏には涼しい洞窟の探検に、秋には美味しいきのこの取れる森に。
冬は、村の近くに雪山を作り、一緒に登ったり雪玉を投げ合ったりして遊んだ。
俺は、やっぱり鬼の子だったのかもしれない。
空丸は、森の中で俺を拾い、育ててくれたのだという。
思えば、翼がなくて飛べない俺の隣で、空丸はいつも地面を歩いてくれていた。
里の皆は、歳を重ねても見た目があまり変わらないから、空丸の歳は一見俺と同じように見える。
しかし、俺を育ててくれた空丸は、兄であり親友であり、親なのだ。
「空丸、ありがとう」
「ん、なに、突然」
照れるなあ、どうしたんだよ、といいながら空丸は穏やかに微笑む。
「そろそろ、出発しないか」
俺が言うと、
「……そうだね」
と、空丸には珍しく、きっぱりとしない返事をした。
空丸は、本当はこの交渉に乗り気でないのかもしれない。しかし、これは長から託された大事な役目だ。
里の皆のためにも、鬼たちのためにも、俺は必ず交渉を成立させる。
空丸と並び歩き、村はどんどん近づいていく。
にぎり飯を食べてほっとしたせいか、それともこの程度の距離で歩き疲れたのか、急激に力が入らなくなってきた。
まだ俺も本調子ではないのかもしれない。
「空丸、申し訳ないが少し休めないだろうか」
空丸が頷く。
まだ鬼たちの活動時間には早い。
先程の休憩からしばらく進んだので、村まではあとひと息である。
少しばかり休憩を挟んだところで問題はないだろう。
思えば、タキとフユには悪いことをした。
世話になったのに、何も告げずに彼らのもとを去ってしまった。
「ねえ、這丸、ここから鬼のところまであとどれくらい?」
いつもの穏やかな口調で空丸が聞く。
「そんなにかからない。川をさらに下ったさき、林の中に村の門見えるはずだ」
「じゃあ、空丸は少し休憩しててよ。俺、先に行って村の様子を見てくるからさ。」
そう言うと、空丸は翼を広げ、羽ばたいた。
村の周りは木々が囲い、ここからはよく見えない。
さらに、村は柵で囲われており、門からでないと入れず、中も見られない。
しかし空からなら、村の中の様子まで、ひと目でわかるだろう。
空丸の姿も林に隠れてしまい見えなくなった。
おかしな汗が出てきた。
気温は高くもないが、油っぽくて気持ちの悪い汗がとまらない。
俺は川の水を掬い、顔に浴びた。
空は白みかけている。
まだ鬼たちは起きていないだろう、もう少し待ってから村を訪れるべきだ。
「空丸、遅いな」
それなら、もうひと掬い。
水が冷たくて気持ちがいい。
どうやらこのひと月、鍛錬を怠ったせいで体力がないのだな、ということに今更気がついた。
里に戻ったら、しっかり鍛え直そう。
そんなことを考えていると、様子を見に行った空丸が戻ってきた。
「少し時間がかかったな。鬼たちはどうだった?」
「ああ……恐らく小便に起きてきたであろう子供の鬼に姿を見られそうになって、少し隠れていたんだ」
襟元を正しながら着地すると、空丸も川の方へ行き、俺と同じようにして顔を洗った。
「なんか顔色悪くないか?」
俺が聞くと、空丸の動きが一瞬止まったように見えた。
「……そんなことないと思うけど。這丸こそ大丈夫?」
明らかに今日の空丸の挙動は変だ。
体調が優れない状態でついてきてくれたのかもしれない。
俺も調子が出ないが、少し休んだので良くなった、と伝える。
空丸は、
「よかった」
とだけいって、俺の横に座り、もたれてきた。
「横になるか?」
「少し、このままで」
空丸は、目を閉じて黙ってしまった。
俺より高い体温を肩に感じながら、空を見上げる。
あたりはすっかり明るくなった。
そろそろ、鬼たちも活動を始めたころだ。
しかし何も、急ぐことはない。
鬼たちと、ゆっくりでも言葉を交わすことができれば。
彼らにとっても、悪くない話であるはずなのだ。
突然、村の方角が騒がしくなった。
鬼たちが動き始めたからかとも思ったが、どうもそういった雰囲気ではない。
彼らは基本穏やかで、そうそう騒ぐことがないのを、俺は知っている。
何かがおかしいと思い、空丸を揺さぶり起こした。
「鬼たちの村のほうが騒がしい。何かあったのかもしれない」
空丸も目を覚ますと、行こうか、と立ち上がった。
ほんの少し、焦げたにおいがする。
俺より嗅覚に優れた空丸なら、嫌なほどにおいを感じているだろう。
しかし空丸は動じる様子もなく、走り出した俺のあとに続いた。
においの原因はすぐに分かった。
村が燃えていた。
村を取り囲むように炎がまわり、鬼たちが中で逃げ惑う様子が炎の隙間から見える。
すでに地面に倒れてしまっている者もいる。
村の中に井戸などはなく、鬼たちは川から水をくんで生活していたため、自分たちでは火を消せない。
考えている時間はない、早く助けなければ。
履いていたわらじを脱ぎ捨て、炎の中に向かった。
誰か助けられそうな者は……。
村に入ると、目の前にタキとフユが倒れていた。
手を繋いで、互いの方を向いて地面に伏している。
二人をおぶって村の外へと思ったが、また力が入らなくなり、膝をついてしまう。
まずい、このままでは誰も助けられない。
優先すべきは助けられる者だ。
村の家々は大きな火柱に包まれていて、木の柵で囲われた村は、外側から内側へ、燃えていく。
煙が肺に入ってきて苦しい。
「クチヲ、ヌノデオサエロ!!ケムリヲ、スウナ!!」
逃げ場を失った鬼たちに、精一杯の声で叫ぶ。
ごうごうと家や小屋が燃える音にかき消されたが、近くにいた鬼たちには伝わったようだった。
袖で口を抑えた鬼たちは、懸命に炎の隙を探している。
もう、燃えていない村の出入り口などない。
しかし炎を脱することさえできれば、村の直ぐ側には川がある。
俺は自分が入ってきた村の門を指した。
「ムラヲデテ、カワニ!!」
数人の鬼が、炎に向かって走り出した。
燃え盛る炎の轟音の中でも、伝わっただろうか。
まだ動ける大人のひとりは、子を抱いて炎へ飛び込んだ。
しかし、相当な数の鬼が伏している。
俺ももう、起き上がっていられない。
倒れてしまった目線の先に、降り立った足があった。
「……空丸」
「ごめんね、這丸」
空丸は胸元から打竹と油紙を取り出した。
打竹には火種が入っているものだ。
油紙を着火剤になる。
「……火をつけたのは俺。鬼から、穢れから里を守るためだよ」
空丸は、俺を抱きしめた。
心臓の音がよく聞こえる。
「力が入らないよね。さっき食べたにぎり飯には毒が混ぜてあるんだ」
鍛錬を怠ったからだけではなかったのだ。
空丸も、同じにぎり飯を食べていたから顔色が悪かったのか。
「長いわく、一度鬼の手に触れ、鬼となった者を受け入れることはできないって」
俺は鬼、か。
本当に鬼の子だったかもしれない。
「……ひどいよね。這丸は、俺が育てて、俺と暮らして、俺とともに戦っていたのに」
そうだ。
俺は、翼を持たずとも、翼人の里の一員のつもりだった。
空丸の、家族のつもりだった。
「でも大丈夫。這丸はひとりじゃない。寂しい思いなんか、させない」
俺を抱きしめる空丸の力が強くなる。
「俺が一緒だよ」
空丸の体内から不規則に響く音に抱かれ、意識が落ちていく。
「俺の、可愛い這丸。一緒にいこうね」
俺たちは、炎に包まれていく。
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