バーチャルの片隅で、今日もどこかで配信中。
セイ
第1話 ほろ酔い亭 菜古味
「大将ー来たよー」
「いいの、入ってる?」
:『お、来た』
:『こんちゃー』
:『こんばんはー』
:『今日もいいの入ってるよー』
:『いつもの流れだー』
小料理屋風の画面に現れたのは男女が一人ずつ。
女性はシンプルだが、どこか高級感が隠せないカットソーにジャケット、少し強気にも見えるメイクがそれでも美人さを損ねず。
それに対し、男性側はシンプルなポロシャツの姿だ。
「じゃあ、今日はおすすめの鰊の蕪蒸しとおしんこ、オススメの冷ね」
「おじさんはそうだなぁ……。とりあえず生とおしんこ、あとはポテサラかな」
:『カナちゃんまた渋いものを…』
:『いきなり冷とか今日はどれくらい酔っぱらうつもりなんだろ』
:『おじさんは安定しておじさんすぎw』
「別にいつも酔っぱらってるわけじゃないよー。今日は美味しい日本酒が手に入ったから、じっくり飲もうと思ってさ」
「おじさんが買ってきたやつだけどね? いい吟醸酒なんだから、前みたいに独り占めしないでおじさんにも飲ませてね?」
画面に映し出されたのは日本酒のイラスト。ラベルには『やちよる』と書かれており、配信ごとに異なるそのラベルは、実際に女性が飲もうとしているお酒のものだった。
VTuber、配信画面に映し出されたアニメ調のキャラクターはそう呼ばれ、黎明期から幾数年。今では配信者の分類としてちゃんと定義されるようになったもののひとつだ。
画面に映ったアバターは、様々なプラットフォームで、様々な配信を行う。数百人、あるいは数千人が同じ時間に異なる
その中でも、この二人は定期的に『ほろ酔い亭
画面にはカウンター越しの2人にその背後には板に書かれた料理の名前やホワイトボードには手書きのメニュー、また画面の右下には『#ほろ酔い亭菜古味』の文字。
「じゃあ、改めておつかれー」
「うん、カナちゃん。もう飲んでるのおじさん知ってるからね? まあ、はいはい。お疲れ様」
:『せめて乾杯してよw』
:『そもそも、まだ挨拶もしてないんじゃ…?』
:『カナ社長、もう2~3杯飲んでそう』
配信画面の横にコメントが流れていく。リアルタイムで配信がされているそれは、視聴しているリスナーからの書き込みを実際に配信しているVTuber側からもほぼ同じタイミングで確認ができ、その双方向のやり取りを楽しむことも醍醐味の一つだろう。
「あ、そういえばまだ挨拶まだだっけ。ほら、カナちゃんや。挨拶するよー」
「えー? もう飲んでるしよくない? え? わかったよ、こんばんはー個人勢の水無月カナです。かんぱーい。ほら、次おじさんだよ」
「同じく個人勢のバーチャルおじさんのおじさんだよー。かんぱーい」
:『かんぱーい』
:『おじさんの挨拶いつも通り適当すぎるw』
:『かんぱい!』
:『ちあーず』
挨拶もそこそこに、グラスを鳴らす音やかすかに聞こえる喉を鳴らす音、画面に表示されているアバターはほぼ動くことはなかったが、それでもそういった音で今どういったことを行っているかを判断することができる。
VTuberの配信には、そういったある程度状況を理解する、推測するという能力が必要になってくる。
「で、だよ。おじさん。あの気になる書き込みなんだったの?」
「あー。ぼやいたーのやつかな? おじさんも大変だったんだけど、詳しいことは今度でいいかなって」
「いやいや、おじさんのところのおじさんたちも気になってたみたいだよ? 気になるからちゃんと答えてよ」
:『確かにあれは意味わからな過ぎた』
:『ついに失敗した!だけじゃ何もわからんのよ』
:『とりあえず分かった風には返したけど、全然イミフだった』
:『相変わらず、おじさんの所リスナーも含めて謎過ぎる』
世話話やリスナーからのコメントを拾ったり、など一通り話したいことを終えると、話題はおじさんが日中に投稿したSNSでの書き込みに対する謎の話題になった。
カナにとっても他のリスナーにとっても妙に気になる答えを、さらにはぐらかされコメントは加速し、カナも不機嫌そうな表情を浮かべる。
「ちょっとおじさんさ、1週間くらい前に通販したんだよ。ネットでね? で、届いたのが、これだよ」
「さっきから気になってたんだけど、全部これってこと?」
:『全然わからん』
:『おそらく桁とか間違えてとんでもない量届いたと見た』
:『カナちゃんが気になるレベルだからヤバいくらい?』
「これ、エクザの方にアップしちゃっていいよね? 本当は段ボール全部撮っちゃいたいけど」
「ラベル外してくれたらそれでもいいけど、おじさんの書き込み引用してね?」
「はいはい。じゃあ、これで、と」
それにしても、サービス名変わって何年経ってると思ってるのよ、とカナがため息交じりにぼやいた。
おじさんが先ほど言った「ぼやいたー」というのはテキストや画像などをアップできるSNSの名称だが、現在は「エクゼ」というサービス名に変わっている。
リスナーもぼやいたー派とエクゼ派に分かれ、未だに統一されていないようだ。
写真の角度や短い間に話ながら編集をしてアップしたのは、段ボールの中に入った大量の缶詰。そして×5の文字だった。
:『あー(察)』
:『やっちまったな!』
:『見る限りランチョンミートかな? 数年持つし、お酒のつまみにしたらそれなりに減るから』
:『一箱に、30個は少なくとも入ってるように見えるんですが』
:『最低30個でも、5箱で150か。おじさん、塩分過多になるの確定?』
「これ、どう買おうとしたらこんなことなるのよ」
「カナちゃんかカゲトラくんと一緒に食べるなら一瞬でなくなるかと思って、3個入りを5個買おうとしたんだけど、間違って30個入りのを選んじゃってさ」
「おじさんさ、買う時にいつも金額みなよって言ってるでしょ」
「他にも色々お酒とかもまとめて買ってたから、こんなものかなって」
ネット通販のあるある、ではあるがそれでも額としては大きいものをどんぶり勘定で買った結果だった。
カナは呆れたようにため息をつくが、おじさんはあるよねーと軽く笑い飛ばす。
「流石に私もこんな食べないし、カゲくんこんな味濃いの食べなくない?」
「カゲトラくんこういう加工肉なら手軽に食べれるから好きだって言ってたし、大丈夫でしょ。カナちゃんちょっと持って帰らない?」
「えー。1つとか2つならいいけど、おじさんそういう時の数おかしいからなー」
「事務所に持って行けば持って帰ってくれる人だっているだろうからさ。最悪、視聴者プレゼントしようかな」
「やめなさい」
:『ランチョンミート買うと地味に高いんだよなー』
:『それでも視聴者プレゼントとしては地味すぎる』
橘ユウキ@ゲーム配信者:『おじさん、もう少し考えて買いなよ…』
:『あ、ユウキくんいたー』
:『ユウキくんこんばんはー』
:『ユキちゃん宿題中なんじゃ?』
「お。ユウキくん、ひとまず30個くらい引き取ってくれない? お歳暮と一緒に送っておくからさー」
「ひとまずの桁がおかしいでしょ? というか高校生相手にお歳暮って何よ」
いい押し付け相手、もとい知り合いのライバーの書き込みを見つけ場が盛り上がる。コメントが流れる速度も上がるが半分は紛れ込んだライバーへの挨拶のようだった。
「ユウキくんの所とは暑中見舞いもお歳暮も贈り合ってるからね。いやー、ユウキくんの所のご両親おじさんよりしっかりしてるからねー」
「おじさんよりしっかりしてない大人ってそんないないわよ」
:『俺、社会人になってもお歳暮とか贈ったことない…』
:『カナちゃん、おじさん以下の社会人なんていくらでもいるんだ…しっかりとした社長と比較しないでくれ…』
:『うちも一昨年から会社もお歳暮とか禁止になったなー』
「それよりさ、カナちゃん。自然と2本目空けるのどうかと思うよ?」
「飲みやすいんだから仕方ないわよ。えーと、これは純米大吟醸『誉の詩』だって。ごちそーさま」
:『一本5万の高級酒なんですが!』
:『パカパカ空けるもんじゃないんですわ』
:『流石社長というべきなのか、プレミ日本酒を平然と用意するおじさんに驚愕するべきなのか』
:『これは悪酔いするフラグかな』
:『ちゃんとチェイサーも入れなよー』
即座に金額の情報が飛び、それにリアクションをよこすリスナー。日本酒という文化をよく知るリスナーが多いのはもちろん、複数回のコラボを行う中、飲まなくても推しのことを知りたい、という”推し活”の延長として様々な情報に詳しくなっていく、というのもVTuberのリスナーによく見られる傾向である。
とはいえ、1時間に満たない時間に1リットル以上の日本酒を飲むカナに戦慄したり心配をするリスナーが一定数いるのもこの配信でよく見られる光景だ。
「カナーセットの子が言うようにちゃんとカナちゃんお水も飲みなね? あと、おじさんのつまみばかり摘ままないで自分が用意したものも食べな?」
「おじさんの用意するものが毎回美味しいのが悪いんだって。この前のみりん干しまた食べたいなー」
「ああ、あの漁師町で買ってきたやつね。通販もしてるんだから自分で取り寄せておじさんに食べさせてくれてもいいんだよ?」
「人のお金で食べるご飯ほど美味しいものはないから」
ケラケラとカナは笑う。仲がよほどよくないとできないことだが、おじさんは仕方ないなぁと笑いながらわかるわかると相槌を打つ。
なお、カナーセット、とは水無月カナを応援するリスナーの総称、いわゆるファンネーム、というものだ。VTuberの多くはそういったリスナーを集合としてとらえる時の呼び名を持っていてリスナー自身でもそう名乗ることは往々としてある。
:『人の金で食べる焼き肉に変えられるものはないんだ…』
:『相手が上司なんかじゃなければ…あれは単なる罰ゲームだ』
:『上司に無理やり連れていかれて自慢と愚痴を散々聞かされてきっちり割り勘だった俺が通りますよ』
「カナちゃんもどちらかといえば奢る方なんだから、気をつけなよね?」
「愚痴なんておじさん相手くらいにしかしないから平気ですー。取引先は年上ばかりだから愚痴を聞かされることも多いしー?」
:『うーん、リアルすぎて辛い』
:『社長、取引先の人見てない?大丈夫?』
:『そろそろ変な暴露始まりそうで怖い…』
「うん、飲み過ぎだねぇ。そろそろいい時間だし、そろそろ締めよっか?」
「えー。まだ飲む―」
「用意したのは持って帰っていいから、アーカイブが非公開になる前に終わろう?」
:『これが非公開3本目か…』
:『2本の非公開のやつってどんなこと言ったんだ…』
:『今来たところだからアーカイブ非公開は勘弁して』
:『ただ、この二人のおもしろい絡みはこれからなんだ。アーカイブ勢には悪いが、期待もしてる』
「アーカイブ勢だってリスナーなんだからそういう訳にもいかないなー。ほら、カナちゃん。締める締める」
「はいはい。じゃあ、ばいばーい」
「うんうん、あ、感想はいつも通りほろ酔い亭菜古味でよろしくねー」
:『楽しかった!』
:『明日カナちゃんの記憶がどうなってるかちょっと楽しみ』
:『ばいばーい』
:『お疲れさまでした!』
画面が変わり、閉店の札がかかったガラス戸の画像に切り替わる。
視聴者数カウントが徐々に減って行き、配信画面がオフライン表示に切り替わり、少しずつ配信に対してのコメントが書き込まれていく。
カナはまだ酔いが醒めておらず、まどろみながらもそのコメントやエクゼで#ほろ酔い亭菜古味で検索をしていく。
酔った勢いで返信をしても碌なことにはならない、と過去の経験が何とか書き込みに『いいね』をするだけに留めている。
タクシーで家路につくまでの間の、このコラボでのルーチンとなっている行動でははあるが、楽しそうな感想が多いことに満足し、エクゼのTL巡りや画像投稿SNSで自社の製品に関する投稿を巡っていく。
『カナちゃん、今日もありがとう! 無事に帰り着いたかな?』
『おじさんもお疲れ、そろそろ寝るところだよ。おじさんもゆっくり休んでね』
おじさんからのDMが届き、軽く挨拶や配信では話せなかったあれやこれやをやり取りしながらいつの間にか寝てしまう。
一方、おじさんはカナからのDMが途切れたことで寝落ちたことを察し、PCモニターに映っている配信に集中する。ちょうどゲーム配信も盛り上がる部分に入った所だ。
他にも雑談をしたり、深夜の歌枠をしたり。様々なVTuberが配信をしている。おじさんも残ったお酒を飲みながら、楽しそうに配信を眺めていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます