Falling into Ash:全てが灰に顛落する中で共鳴する機械的心音のうねり
雨中若菜
DAY01_partA
記録:2345年07月07日
息を吸う度に、熱気が肺を焼いて痛みが走る。怪異の鱗で斬れた右腕から血が流れ続けるおかげで、熱さは感じないが意識が朦朧としてきた。
だが、俺はまだここで倒れるわけにはいかない。
顔を上げると、真っ赤に染まった世界の中で黒色が視界一杯に広がっていく。炎の明かりを吸い込むような漆黒の巨体の輪郭が、揺らめいていたのが定まっていって、姿を顕わにする。
「あれだけやって、まだ無傷なのかよ……ははっ……」
「……古虫、山本。来るぞ」
上官の掠れた声には、覇気は無く、諦観が含まれていた。
「ほら、秀一、起きろよ」
傍で倒れている秀一の体を抱き起す。
「……古虫、俺は置いていけ……」
「そんなこと、できるかよ」
初めは五十人居た部隊も、たった3時間で俺たち三人だけになった。全ては、今、目の前に居る化け物のせいだ。
俺たちの任務は、この”遺骨”を回収して、無事に本国に届けること。転移装置まで逃げ切れば、俺たちの勝ちだ。そのためにも、”遺骨”を持っている上官には逃げてもらう必要がある。
そうしたら、俺はここで死ぬだろうな。そう分かっているんだが、血を流しすぎたせいか、慌てふためくどころか、思考は却って冷静だ。どうせ、俺の帰りを待つ家族なんていないし、それに、こんな無能でも世のため人の為に何かできるなら、本望だというものだ。
「上官、ここは俺たちがなんとかします。上官は”遺骨”を持って逃げてください」
「いや、逃げるのはお前たちだ」
「ですが……」
上官は俺に向かって”遺骨”の入った袋を押し付けた。
「”唐舞橋の大蛇”に勝てないのは明白だ。それなら、生きるべきはお前たち若い連中だろ?」
上官は灰で黒くなった歯を見せてにいっと笑おうとする。だが、口の端は片方しか上がらないどころか、震えていた。
「上官……」
「お願いだ、俺の気持ちが変わらないうちに、早く行け」
「……ですが……上官には……」
「古虫!」
「っ……!」
「お願いだ……それ以上は……言わないでくれ……」
上官は、今度子供が生まれるし、帰りを待っている奥さんがいる。だけど、その目は死を覚悟していた。
ふと、俺の横から腕が伸びてきて、袋をむしり取る。
「……古虫……行くぞ。上官の思いを無駄にするな」
「秀一……ああ、そうだな」
上官に背を向けて、俺は秀一を引きずるようにして走った。今は逃げることしかできない。俺にはあの怪物を倒す力は無い。それに、任務を遂行しなければ、今まで死んだ連中の人生が無意味だったことになる。
「……畜生」
噛みしめた唇から、血の味が広がった。
「秀一、脱出ポイントまであとどのくらいだ?」
「……その車の向こうだ……早く……」
秀一の声が僅かに途切れた。すぐに、彼の体重が俺の体にのしかかる。
「秀一!?」
その腹部には深々と鉄の棒が刺さっていた。
「古虫……早く行け……」
「何を言ってるんだ!」
秀一を抱えなおそうとするが、腕を払われた。
「……俺に構うな。早く、行け……」
「何言ってんだよ、その程度の傷、拠点に戻ればIR-Mで一瞬……っ!?」
ふと、甲高い金属同士が擦れるような音が当たり全体に響き渡る。そして、すぐに爆発音が聞こえた。
「……どうやら……時間は無いようだな……」
秀一は俺に袋を押し付けると、刀を杖に立ち上がった。
「……上官の作った時間、無駄にするな」
「時間稼ぎなら、俺がやる。お前のほうが、”遺骨”を持って行けよ」
”遺骨”をかえそうとしたが、秀一は俺を突き飛ばす。
「……俺はもう長くない……それに、俺一人じゃ、歩けないんだよ……だから、お前が、これを持っていくんだ……」
「秀一!!」
その時、むせかえるほどの灰が舞い、炎の中から血が溢れ続ける眼孔がぬっと現れた。それは、黒い鱗を擦り付けながら、こちらに近づいてくる。
「……なあ、古虫……妹に伝えてくれ……愛しているってさ」
「……俺に託すなよ……畜生……」
迷っている時間なんて無かった。俺は、遺骨を抱きしめて、前を向く。そして、走った。息が吸えなくても、腕の感覚がしなくても、関係ない。がむしゃらに走った。
「……いつも、俺ばかり……なんでだよっ!どうして……俺なんだよ……」
ひっくり返っている車の向こうに白い円筒の装置が見えた。脱出ポッドだ。まだ、火の手が弱いお陰で、無事そうだった。
中に入ると、モニターが光り、いつもの機械音声が流れる。
「起動シーケンス確認。ブートデバイス起動、位置情報読み込み完了、転移術式読み込み完了、カーネル起動、転移の準備が整いました。これより、3秒後に転移を開始します」
行き先は既に指定されている。3秒後には、俺は俺の意思に関係なく、強制的にこのエリア3から第3基地本部に転送される。それで、任務は終了だ。
「早くしろ、くそっ」
たった3秒、そのはずなのにやけに長く感じた。
モニターの残り秒数が2から1に変わったその時、ポッドの壁がぐにゃりと歪み、衝撃が走る。そして、辺りが暗闇に包まれた。
「おい!なんだよ!起動しろよ!!」
「エラー発生、エラー発生、機器の破損を確認」
機械音声が無慈悲に流れる。今のはきっと、あの怪物の攻撃だ。上官も秀一も死んで、今、アレは俺の目の前に居る。
「……ゲームオーバーかよ。くそっ」
「周囲の安全を確認し……」
「知るかっ!!」
感情任せに、俺は目の前の赤いボタンをケースごと叩き割って押した。
「これより強制転移を開始します。シートベルトを装着し、衝撃に備えてください」
機械の駆動音と共に、今度は赤い光に包まれた。動いてくれるなら、何でもいい。俺の体がバラバラになっても構わない。せめて、この”遺骨”だけは届けるんだ。
モーター音が高くなるにつれ、光が白く変わり、何も見えなくなってくる。目を閉じると、内臓を持ち上げるような浮遊感が襲ってきた。いつもの転移の感覚だ。
「転移は成功……っ」
テレビを切るように意識が一瞬途切れて、全ての感覚が失われる。
もし、死ぬ時はこんな感じなんだろうな。そして、そのまま目を覚まさないで、この微睡の中に溶けていくんだろう。
しかし、すぐに俺は現実に引き戻され、冷たい床の感触が体全体に広がる。そして、錆びた鉄の匂いが鼻腔に広がり、思わずむせた。
「……っげほっ……っげほっ……なんだ……ここはっ……」
目を開けて、立ち上がる。
冷たい金属の壁に囲まれた廊下が見えた。特有のタナトリウム感知の為の緑色の蛍光灯が辺りを照らす。ここは基地の廊下みたいだが、それにしては静かだ。
「転移は成功、という訳でもなさそうだな」
廊下中には無数の引きずったような血の跡が続いている。嫌な予感がした。
「”遺骨”は無事か。まずは、ここはどこか探る必要がありそうだな」
少し歩いてみるが、基地の廊下のはずなのに窓は何処にもなく、扉の一つも見当たらなかった。道は塞がっていないのに、閉塞感が喉をじわじわと締め付ける。
ここはどこか次元の狭間で、俺はここから脱出できないじゃないか。そんな不安で頭が一杯になる。廊下の端まで歩いて、曲がり角を曲がったその時、ふと廊下の奥から低い男の声が聞こえてきた。
誰か生存者かもしれない。もし、俺以外に人間がいるなら、嬉しい事この上ない。
「誰かいるのか?」
警戒しつつ、俺は廊下を進む。奥のほうは明かりが消えていて、よく見えない。
「映画なら、こういう時、生存者に化けたゾンビとか出てくるんだよな」
袋を腰に巻き付けて、刀を抜く。暗闇に近づくたびに、男の声ははっきりと聞こえてきた。何かをぶつぶつと唱えているようだ。
「……タ……ス……ケテ……」
男の声の中に、微かに女性の声が聞こえた。俺の聞き間違いじゃない、潰れた喉で何度も叫んでいるか細い声だ。
「誰かいるのか!?今、助けに行く!」
暗闇に向かって一歩進むたびに、血の匂いが濃くなる。この廊下の奥に、誰かいる。一人は確実に人間じゃない。だが、もう一人の女性は助けを求めてる人間かもしれない。
そうだったら、早く助けに行かないと。ここがどこかとか聞きたいし、それに俺以外に誰かいるのを確かめたい。
逸る気持ちが心臓の鼓動を早め、足の筋肉を収縮させる。しかし、理性でそれを押しとどめ、息を荒げつつも慎重に近づいた。
「おい!」
「……嫌……タ……ケ手……」
「ピチャピチャピチャピチャピチャピチャピチャピチャ」
声は頭上から聞こえてきた。機械的に無機質に男がピチャピチャと唱えている。
ふと、生臭い匂いと共に、顔に液体がかかった。その温かさとぬるりとした感触に、背筋が凍る。
「ピチャピチャピチャピチャピチャピチャピチャピチャ」
「……血だ……」
上を見上げると、魚の目と目が合った。
「ピチャピチャピチャピチャピチャピチャピチャピチャ」
「ぅああぁぁぁぁああああ!!!!」
ぶよぶよに膨らみ切った体に、無造作に取り付けられた魚の頭。口からは人間の腕が垂れ下がっていて、鮮血が滴り落ちている。肉塊には無数の穴があり、そこから低い声が出ていた。
「人が……っ!?」
あの腕は今しがた喰われた人間の腕か?ということは、俺もああなるのか?
きっと、あの食べられた人間はもう助からない。俺にとって、大切なことは”遺骨”を守ることだ。それなら、すべきことは一つ。
踵を返して逃げようとしたが、曲がり角の手前に同様の魚の化け物が道を塞いでいた。
「逃げ場は、なさそうだな」
覚悟を決めて、刀を構える。ふと、その時、目の端に黒い影が映った。
横を見ると、壁の一部が溶けるように変化し、不気味な黒い扉が姿を現す。その表面はあの大蛇のような、光を吸い込む漆黒で、見ていると吸い込まれるような錯覚に襲われる。
「扉?見落としていたのか?いや、そんなはずは……」
扉がギィと音を立てて開く。その向こうには、同じように暗闇が広がっていた。
冷汗が背中を伝う。
一歩、下がった途端、開いた扉から二本の腕が伸びてきた。その腕は、俺の体を掴むと、強引に扉の中に引きこんだ。
かび臭い空間で、扉の隙間から漏れ出る光が彼女を照らす。青白い顔に、日本人形のような黒い綺麗な髪。その美しさに、思わず息を飲む。
切れ長の瞳で俺を優し気に眺めつつ、彼女は俺の顔に布を被せた。人工的な甘い香りがする。
「これは……?」
「少し眠っていてね」
抗う間もなく、意識がストンと落ちた。
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