妻が無限に増える話

ガラドンドン

第1話

妻が増えた。

これは別に、多重婚をしただとか、私が浮気をしたとか言う事では無い。物理的に、今現在婚姻関係にある私の妻が、増えたのだ。


三千夫みちおさん、これは、一体……?」


困惑した様子の妻が、私の名前を呼ぶ。長く艶のある黒髪に、黒い水晶のような瞳。輪郭のくっきりとした鼻。元より白い肌は、混乱からかやや血色が引き更に白く。薄紅の唇は震えている。

白磁のような細い指は、白いワンピースのシャツを握りしめていた。


それはまごうことなく、私の妻そのものだった。

姿


「分からない、何がなんだか」


四つの向けられる瞳に、私も動揺を隠せない声を返した。妻二人同士も顔を見合わせる。見れば見る程、鏡に映したように同じ顔、同じ姿。鏡とは違い、左右非対称ではあるが。


「あのぉ、私は神無かんなと言います。貴女は?」


妻が妻に話し掛ける。此方が、増える前の私の妻、つまり本物の妻である筈だ。


「私も、神無です。え?えっと。え?」


増えた側である妻も名を名乗る。此方の妻は、元の妻の身体から分裂した方だ。妻の頭部から頭部が生えたかと思うと、肩が生え、胴体が生え、そして二人の人間として別たれていた。

妻と同じ名を名乗る彼女に対して、私達はまたどうしたものかと顔を見合わせた。


「取りあえず一度、話を聞こうか」


私がそう提案し話を聞いていくと。どうやら話を聞いていくと、増えた側である神無の自認や記憶も、私の妻と全く同一のものであるようだった。

また、自分こそが私の妻であり、これまで生きて来た神無であるとも思っていた。


「すみません、三千夫さん。私が偽物だと言う事でしたら、潔く何処かへと去ろうと思います。ご迷惑をお掛けしたくはありません」


増えた側の神無が、椅子に座りながらそう言う。私と元の神無は隣り合って彼女の話を聞いていた。神無は気味の悪そうな顔で自分と同じ顔を見詰めていたが、その中には気の毒そうな感情も見て取れた。

増えた神無も、こうは言うものの何処か縋るような眼で私を見詰めてきていた。自分が偽物である等と納得も本来出来てはいないだろうに、私の事を考えて去ろうと言ってくれているのが分かった。


例え偽物だとしても、妻と全く同じ顔、同じ記憶の持ち主。私は妻を愛していたので、無下に扱う事等出来る筈も無く。


「今日は一旦、家に泊まってからまたどうするか考えよう」


翌日になれば混乱も落ち着いて、また良い考えも浮かぶだろうと。事態解決の先延ばしを提案したのだった。

神無二人から呆れたような目つきで見られたが。愛しい妻が二人に増えたと考えれば、これはこれで良いのでは無いだろうか。

いっそ三人で暮らして行くのも良いのでは無いか、と。この時の私は考えていたのだった。


その日は二人目の神無には予備の布団で寝て貰う事にして、夜を過ごした。

考えが甘かった事に気づくのは、翌朝になってからの事だ。


妻の悲鳴で目を覚ます。隣から二人分。予備の布団を敷いた部屋から二人分。4

隣で寝ている筈の妻を見ると、そこには妻が二人いた。寝巻の妻と、白いワンピースを着た、昨日と同じ服装をした妻が。


三千夫みちおさん、これは、一体……?」


ワンピースを着た側の妻が困惑の声を挙げる。まさか、と思っていると、寝室の扉が開かれた。開かれたその先にはやはり。寝巻の妻と、ワンピースを着た妻の二人が立っていたのであった。


「はは、大変な事になった」


私の口からは乾いた笑い声が出て、漸く事態が急を要する事に気が付いたのだった。

その場で困惑をする、更に増えた妻二人にも説明をし。私達は急遽大学病院へと向かう事にした。

まるでSFに出て来るかのような奇妙な出来事ではあるものの、なんらかの奇病である可能性も考えたからだ。その道中、誰が元からいた妻だったかも分からなくなる等一悶着もあったが、なんとか病院に向かう事が出来た。


「増えたんです」


そう説明する私に対して、病院の事務の方や先生は、先に精神の病を疑った事だろう。だが、実際に増えた3人の妻達を垣間見て、検査等も行っていくと、途端に現実味を帯びていったようだった。

検査結果を見ながら喋る先生の顔は、青くなったり赤くなったりと目まぐるしい様子だった。


「いやあ、けどこれは。本当にお美しい奥様方ですね?いえいえ、冗談です。

いやしかし、病気だとしても、どうしたもんかな」


先生は汗を拭きながら私と、妻達の顔を見比べる。

四人の同じ顔から見つめられる心地は良く分かる。現実がひっくりかえったような気持ちになりながらも、どうしようもなく現実なのだ、と言う気分だ。


「え~、世界的に見ても例の無い奇病、と言う他ありません。仮に、増殖病、とでも名付けておきましょうか。

御主人と奥様方に関しましては、大学等に研究をして貰いながら治療法を考えて行くしか手はないかと」


案の定ではあるが、やはり具体的な治療方法等はありはしないようだった。そもそも仮に名付けただけで、本当に病なのかどうかも怪しいものなのだろう。


「一旦より精密な検査をする為に奥様達には入院頂きたいとは思うのですが、宜しいですか?」


私は構わないと応え、四人の妻達もそれに了承をする。一度家に四人分の着替えを取に行った際の心地はなんとも奇妙なものだった。

入院着に着替えた妻達にそれぞれ着替えを渡して行くと、二人目の妻がまた私に謝罪を行って来た。


「すみません。迷惑を掛けてしまって。

でも私は、本当に自分がつい先程まで生きてきた記憶がしっかりとあるんです。

私は一体なんなのでしょう。貴方の事を愛しているのに、そんな私が何人もいるだなんて」


私は気にしないで良いとしか答える事が出来なかった。妻四人共に、私を愛してくれている事には然程も変わりが無いのだ。何を責める事が出来るだろうか。


「私も同じ心持ちですよ。

夫と紫陽花を見に、紫陽花寺に行こうとしていただけなのに」


一人目の、本物の妻がそのようにボヤく。妻達全員が同じ服装になってしまうといよいよ見分けがつかなくなってしまう為、彼女にだけ髪型を変え、手首に紐をつけて貰っている。結婚指輪もしているが、それは証拠に為り得ない為だ。


奇妙な事に、増えた妻達も全員。同じ結婚指輪をしているのだ。白いワンピースに結婚指輪。出かけ先につけて行こうとしていたイヤリングにネックレス。物品までもが完全に同じく増えていた。


「このまま増えるようなら、換金でもすれば億万長者だね」


そう冗談で言った私に向けられた八つの目を忘れる事は無いだろう。ごめんと言いながら、私は二度とつまらない事は言わないように誓った。


そのまま私は自宅で、妻達は病院で過ごす事となった訳だが。自宅に戻る私の脳裏には既にもう嫌な予感がしていた。妻の分裂が止まるのならば良し。しかし、止まらないのならば?と。


翌日、その懸念は当然当たる事となった。大学病院から翌朝直ぐに連絡があったのだ。その声は心底困ったと言うような、逆に興奮しているかのような声で告げた。


増えました、と。


急いで病院に直行した私を出迎えたのは、四人の入院着を着た妻と、四人の白いワンピース姿の妻達の姿だった。


「「「「三千夫さん、これは、一体……?」」」」


四人のワンピース姿の妻が、私に助けを求めるような目で見つめて来る。入院着を着た妻達も、どうしたら良いのか困り果ててしまっているようだった。

そんな私達に対して、先生が興奮した様子で声を掛ける。


「いや、これはとんでもない事ですよ。

朝6:00丁度に、奥さん達が増殖しまして。しかしこれは、恐ろしいですが画期的な事かもしれませんよ。

世の人手不足や労働力不足を一編に解決出来るかもしれないんですから。一つ、奥様を国の管理下に置く等は如何でしょう?

もう既に、政府の偉い方とは話も通しているんですが」


私はどう言う事かと尋ねた。人の妻を、国の管理下に置くとはどういう事か?と。話が突然飛躍し過ぎていたからだ。


「このまま一日に倍々に増えて行くとするならば、当然ご主人が面倒を見続ける事は難しいでしょう?

であるならば、奥様達の面倒や世話は国に任せるのが良いかと思うのです。

この国は昨今、超高齢社会、どの仕事も人手不足。出生率の低下も由々しき事態となっておりますが。それらの問題も、奥様達のご協力があれば解決するかもしれないのですよ。

幸いお美しい見目もしてらっしゃる。あらゆる仕事で、引く手数多でしょうとも。」


私は医者の言う事に怒りを覚えた。愛すべき妻を、国の所有物として扱えと言われているのだ。しかしまた、怒りで拳を振り上げた私の目に映ったのは、増えた妻達の姿だった。

髪を後ろにまとめ、手首に紐をつけた、私の一人目の妻が近寄って来る。


「三千夫さん、きっとそれが良いんじゃないかと思うんです。

こんなにも沢山の私と、一緒に住む事なんで出来ないでしょう?」


妻が私を見上げてくる。言っている事は至極当然の事だ。しかし、これは私が決めて良い事でもない筈だ。


「私達も、同じ思いです。

三千夫さんに、迷惑を掛けたくはありませんから」


入院着を着た妻がそう言う。最早二人目なのか三、四人目なのかすら分からない。

私は渋々と、医者の言う事に頷く事しか出来なかった。もう、私の手に負える事態ではない事は間違いないのだから。


しかし、国民的なSF漫画が好きな私は、この事例と似た事件を知っている。どら焼きが短時間に倍々に増えて行く、と言うエピソードだ。その話が頭に過った私は、この医者の言う程上手く行くだろうかと思っていた。



神無の存在はあっと言う間に、国民、世界全体が知る由となった。労働力不足解消として、国が妻の労働先や住み込み先等を斡旋し始めている事には、恐怖すら覚えた。


私は妻二人と共に、その報道を見ていた。

元いた妻ともう一人、妻を預かる事にしたのだ。二人までであれば、私の収入でも養う事は出来ると考えたからだ。

二人目の妻は、長い黒髪をバッサリと斬り、茶色に染めていた。茶色のカラーコンタクトも入れ、それだけで随分と元の妻の印象からは変化していた。


私の傍にいる妻も、変わらず増え続けていた。増えた妻達には事情を説明してから、国に毎日預かって貰っている。

その度に、ほの暗く私を見つめて来る妻達の瞳に、胸に申し訳なさが浮かんでいた。

今では、我が家に子どもも産まれ。尚の事、増えた妻達と暮らす事は難しい話であり、仕方ないのだと自らを納得させるしか無かった。


連日のように報道をされて行く、増殖妻達の運用の話の中で。特に辛かったのは、妻が別の男性達と婚姻をするような内容を知る事だった。

あの医者が言っていた、出生率の低下、への妻の運用がそう言う事だったのだろう。

出産要因としての提供。労働力としての提供。場合によっては、性産業への提供。

一部の人権家や有識者達は、人権問題や、このまま妻が増え続ける事の危険性を提唱していたが。聞き入れられる事は無かったようだった。


私の増えた妻達は皆、年齢も記憶も最初に増えた日で固定されて増殖をしているらしい。つまり増えた妻達が皆、私を愛している状態で増えながら働き、別の男性と結婚、出産までしていると言う事だった。

無数の妻達が、見知らぬ男達と交わり、子を成している。その事を想像すると、胸を掻きむしりたい思いに駆られる。


今では道を歩けば増えた妻とすれ違い、ニュースを見れば、ニュースキャスターとしてリポートをする妻や、キャバクラで働く妻の様子等が見られる事もあった。

大学病院のあの医者も、いつの間にやら神無を自身の妻としていたらしい。


「本当に、感謝しかありませんよ。こんな私にも、奥さんが出来るだなんてねぇ」


そう話す医者の隣にいる、神無の表情を見る事は出来なかった。

彼女達からすれば。私は、自身を国に売った、薄情な夫である事だろう。そっと、医者の妻となった神無に袖を引かれたが。私は謝る事しか出来なかった。


私と共に暮らしてくれている妻達は少しづつ老いていくが、増殖した妻達は変わらず白いワンピースで、若い見た目で増え続けているらしい。

一度、暮らしている神無や、子ども達から不安の声が挙がった。かつての自分と同じ顔をした女性が、家の外からじっと見つめて来ると。


警察に連絡をすると、やはり増殖妻だった。自分の居場所である筈の場所を奪った者達を、つまり、私と一緒にいる妻達を害そうとしていたらしい。自らの方が若く、夫の傍にいるに相応しいと。

国が管理を出来ていない妻達も増えて来ていると言う事なのだろう。また、嫌な予感がしていた。


妻は増え続け。事態はもう、止められない状態にまて至っていた。


妻の不法廃棄が社会問題となった。正確には殺処分後の妻の死体遺棄だ。これ以上増えた妻の面倒を見る事は出来ないと殺害し、その死体を適当な所に捨て去って行くのだ。

また、浮浪妻達や、その妻達によって出産をされた浮浪児達の問題。

更には、死体遺棄をされた筈の妻達からも、妻が増え続けるのだった。死体からも若い妻達が増える事によって、不法廃棄された場から盛り上がるように増えた妻達の画像をニュースで見た時には、正気を喪うかと思った。


連日、増殖していく妻のニュースを見ながら、私は老いて行く。いつしか、とうとう世界が妻の面倒を見切れない事になり。ロケットに一斉に載せて、宇宙へと射出をする次第となっていた。

いつか見た、どら焼きの顛末と一緒だ。だが、意思を持ってこの星で生きる妻達全てを、集めて宇宙に送り出す事等出来るのだろうか。


妻達はまとめられ、ロケットへと乗せられて行く。私と暮らして来た、老いた妻二人も。徴収をされる事となった。

老い、杖を突く神無は私に、別れ際に言った。それは、彼女が分裂をした、最初の日の事だ。語ってくれるのは、最初の妻。彼女を、二人目の神無が支えてくれている。


「あの日。貴方の事を、とてもとても愛しく思ったんです。

ずっとずっと愛し続けたいと。その瞬間、そこに私がいました」


妻はそう語った。最も私を愛してくれた瞬間。彼女は固定され。私を愛し続ける自分を、産み出し続けるようになったのかもしれない。

去り行く妻達を見送る私は、子ども達に支えられ。また、謝る事しか出来なかった。私は謝りながら、妻達を見送るばかりだ。


だがやはり、ロケットに乗らなかった妻達もいたようで。今でもこの星で、妻は増え続けている。きっと宇宙でも、増え続けている事だろう。いつしかこの宇宙を、私の妻が埋め尽くす未来が待っているかもしれない。


私は、子ども達に見送られながらとうとう死期を迎えている。

私の看護をしてくれている看護婦の顔が、妻に見えたのは気のせいだろうか。きっと、そうでは無いのだろう。髪型も、瞳の色も違うが。妻と同じ暖かさを感じていた。

徴収を逃れた妻達が、まだまだ沢山この星にはいるのだ。きっと。


私が死んでも、妻は何処かで増えて行くのだろう。私への、最も愛が高まった瞬間のまま。それはある種、無限にある愛とも言えるのではないだろうか。


私のは増え続ける。私の事を愛してくれている記憶を持ちながら、他の男の肉となり、妻となり、欲を叶える者として。それでもその妻達は皆、私の事を愛してくれているのだ。

いずれ宇宙すらも、妻と、妻の私への愛が覆い尽くしていくだろう。無限に、永遠に。


死を前にしながら、はは、と笑みが漏れる。無限に愛される私もまた、無限に、永遠に幸せ者なのだ。

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