第46話 虚無王の覚醒

エリーゼが消えてから三日が経った。


翔太は王城の自室で、小さな光の結晶を見つめていた。親指ほどの大きさの結晶は、優しい光を放ち続けている。まるで、エリーゼがそこにいるかのように。


「エリーゼ...」


結晶を握りしめると、温かさが伝わってくる。しかし、それは彼女の代わりにはならない。もう二度と、彼女の笑顔を見ることはできない。


扉が開き、リクが入ってきた。


「翔太、飯を持ってきた」


「...いらない」


「三日も何も食ってないだろ」


リクがテーブルに食事を置く。しかし、翔太は振り返りもしない。窓の外では、第二の太陽が不安定に明滅している。世界もまた、エリーゼの喪失を悼んでいるかのようだった。


その時、光の結晶が強く脈動した。


そして——


『翔太...聞こえる?』


エリーゼの声が、心に直接響いた。



翔太は跳ね起きた。


「エリーゼ!?」


しかし、部屋には誰もいない。リクが心配そうに見つめている。


『私はここにいる...結晶の中に』


光の結晶が、より強く輝く。翔太が結晶に意識を集中させると、エリーゼの存在を感じることができた。温かく、優しい、確かに彼女のものだ。


「本当に...エリーゼなのか?」


『うん。私の意識の一部が、この結晶に宿ったみたい』


「でも、どうして...」


『愛の力は、想像以上に強いから』


翔太の目から涙があふれる。完全ではないが、彼女はまだここにいる。その事実だけで、心に希望の灯がともった。


オルディンが部屋に入ってきた。


「やはり、そうなったか」


老賢者は、優しく微笑む。彼の表情には、安堵と驚きが混じっていた。


「これは『愛の結晶化』の真の姿だ。愛する者の想いが強ければ強いほど、その存在は形を変えて残り続ける」


オルディンは古い書物を取り出す。革表紙には、古代文字で何かが刻まれていた。


「創世の掃除士も、同じような経験をしたという。愛する者を失い、その想いで新たな力を得た」


翔太の体が、突然金色の光に包まれ始める。体の奥底から、熱い何かが湧き上がってくる。レベルが急激に上昇していく。


体の奥底から湧き上がる力。限界を超えた成長。新たな称号と、失われたものを復元する能力の覚醒。


「これは...」


「君の愛が、限界を超えたのだ」


オルディンが静かに告げる。


「前人未到の領域に達した。そして『愛の復元』——失われたものに、新たな形を与える力」


翔太は自分の手を見つめる。金色の粒子が、まるで命あるもののように手の周りを舞っていた。



突然、大地が激しく揺れた。


窓の外を見ると、北の空が真っ黒に染まっている。まるで巨大な墨汁が空にぶちまけられたかのような、圧倒的な闇。


「虚無王が...完全に覚醒した!」


ソフィアが駆け込んでくる。彼女の顔は青ざめていた。


皆が城壁に集まる。北の地平線に、巨大な影が立ち上がっていた。その大きさは、山をも超える。空を覆い尽くすほどの、圧倒的な存在感。


虚無王アルトゥール。その存在感だけで、空気が震える。


しかし、奇妙なことに、敵意が感じられない。


「来なさい...運命の子よ」


虚無王の声が、直接頭に響く。それは威圧的ではあるが、どこか悲しみを帯びていた。千年の孤独を背負った者の声。


「罠かもしれない」


ヴァルガスが警告する。


「しかし...」


翔太は光の結晶を握る。


『行って』


エリーゼの声がする。


『真実を知る必要がある』


決意を固めた翔太たち。主要メンバー全員で、北へ向かうことに。リク、ミーナ、カール、ローラ、マルコ、ソフィア、レオ、そしてヴァルガス。皆、覚悟を決めた表情だった。


道中、オルディンが語り始める。


「1000年前、この世界には別の名前があった」


老賢者の声が、風に乗って響く。


「『終末の庭』——失敗した世界の廃棄場」


仲間たちが息を呑む。


「虚無王は、その管理者だった。しかし、何かが起きて、彼は封印された。その真実を知る者は、もういない」


北に近づくにつれ、景色が変わっていく。虚無に侵食された大地。草木は枯れ、土は黒く変色している。しかし、その中に、美しい花が咲いていた。


黒い花。虚無の中でしか咲かない、幻の花。その花弁は漆黒でありながら、不思議な輝きを放っている。まるで夜空に輝く星のような、静謐な美しさだった。


「これは...美しい」


ミーナが呟きながら、そっと花に手を伸ばす。触れる瞬間、彼女の指先がかすかに震えた。


「虚無も、ただの破壊ではないのかもしれない」


カールが慎重に花を手に取る。聖騎士の鎧に包まれた手が、優しく花弁を支える。不思議なことに、花は枯れることなく、むしろより鮮やかに輝いた。


「創造と破壊は表裏一体。虚無もまた、世界の一部なのだ」


オルディンが哲学的に呟く。



ついに、虚無王の前に立つ。


巨大な玉座に座る、漆黒の存在。しかし、その瞳は、深い青色をしていた。人間のような、悲しみに満ちた瞳。


「よく来た、掃除士よ」


虚無王アルトゥールが口を開く。


「そして...ごめんなさい」


予想外の言葉に、皆が驚く。


「私は、君たちを試していた。この世界が、廃棄場から脱却できるか。独立した世界として、存在できるか」


虚無王が立ち上がる。その姿が、少しずつ変化していく。


漆黒の鎧が剥がれ落ち、中から、一人の男性が現れた。30代くらいの、優しい顔をした男。髪は銀色で、瞳は空のように青い。


「私の本当の名は、アルトゥール。かつて、この世界を愛した、ただの人間だ」


彼は、1000年前の真実を語り始める。


この世界は、失敗作として廃棄される予定だった。創造主たちにとって、不要なゴミのような存在。しかし、アルトゥールは世界を愛してしまった。特に、一人の女性を。


「彼女の名は、エリザベート。エリーゼの先祖だ」


翔太の心臓が跳ねる。手の中の光の結晶が温かく脈動し、エリーゼが光の結晶の中で、静かに息を呑む気配がした。


二人は協力して、世界の廃棄を防ごうとした。アルトゥールは虚無の力を取り込み、エリザベートは封印術を開発した。


「しかし、代償は大きかった。私は虚無そのものになり、彼女は、命を落とした」


涙が、アルトゥールの頬を伝う。虚無王が、泣いていた。千年分の涙が、今ようやく流れ出たかのように。


「彼女は最後に言った。『いつか、私たちの想いを継ぐ者が現れる』と」



「私は、1000年間、考え続けた」


アルトゥールの声が、静かに響く。


「この世界は、生きる価値があるのか。そして、君たちが証明してくれた」


アルトゥールが翔太を見つめる。


「愛は、虚無をも超える。エリーゼの犠牲は、それを示した」


翔太が光の結晶を取り出す。すると、結晶が激しく輝き始めた。


『アルトゥール様...』


エリーゼの声が、空間に響く。


「エリーゼ...いや、エリザベート?」


アルトゥールが驚く。


『両方です。私たちの想いは、受け継がれてきました。1000年の時を超えて』


光の結晶から、薄っすらと人影が浮かび上がる。エリーゼの姿。透明だが、確かにそこにいる。


「エリーゼ!」


翔太が手を伸ばす。彼女の手が、翔太の手に重なる。一瞬、実体化する。温かさが、確かに伝わってきた。


「新しい道を、作りましょう」


エリーゼが微笑む。


「虚無と愛が、共存する世界を」


アルトゥールが膝をつく。


「私は...もう疲れた。この世界を、君たちに託そう」


しかし、翔太は首を振る。


「いいえ、一緒に作りましょう。あなたも、この世界の一部なんですから」


新スキル【愛の復元】が発動する。金色の光が、アルトゥールを包む。虚無に侵食された彼の心が、少しずつ浄化されていく。


「これは...温かい」


アルトゥールの瞳から、闇が消えていく。代わりに、人間らしい輝きが戻ってきた。


「千年ぶりだ...この温もりを感じるのは」



虚無王の城が、変化し始めた。漆黒の城壁に、少しずつ色が戻っていく。石の一つ一つに、生命が宿るかのように。


「虚無は、必要悪だった」


オルディンが呟く。


「負の感情を処理するシステム。それがなければ、世界は別の形で壊れる」


アルトゥールが立ち上がる。もう、虚無王ではない。一人の、力ある守護者として。


「私は、世界の均衡を保つ。虚無を制御し、適切に処理する。それが、私の新しい役目」


エリーゼの霊体が、翔太に寄り添う。


「私も、できることをする。この姿でも、まだ封印術は使える」


翔太は二人を見て、決意を新たにする。


「新しい世界を作ろう。虚無も愛も、全てを受け入れる世界を」


仲間たちが頷く。リク、ミーナ、カール、ローラ、マルコ、ソフィア、レオ。そして、ヴァルガスも。


「俺たちも手伝うぜ」


リクが笑う。


「世界を救うなんて、最高にクールじゃないか」


ミーナが杖を掲げる。


「私の魔法も、きっと役に立つ」


太陽が昇る。第二の太陽も、安定を取り戻していた。二つの光が、世界を優しく照らす。


新たな時代の、始まりだった。


しかし——


遠く、世界の果てで、何かが動いた。原初の鍵を狙う、別の存在が。その影は、誰にも気づかれることなく、静かに、しかし確実に近づいていた。


翔太たちの新たな戦いは、まだ終わらない。

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