第44話 最後の決戦

虚無界の中で、全てが終わろうとしていた。


仲間たちは次々と倒れ、エリーゼは消えかけ、クリスタルは敵となった。残された者は、わずか20名足らず。虚無の力は圧倒的で、抵抗する術さえ見つからない。


「これが現実だ」


アルトゥールが静かに告げる。千年前の英雄の姿をした虚無王は、哀れむような視線を翔太たちに向けた。


「愛は無力。希望は幻想。全ては虚無に帰する」


灰色の世界が、さらに色を失っていく。立っているだけで体力が削られ、意識が薄れていく。これが虚無の本質——全てを無に還す力。


しかし——


翔太の胸元で、太陽の欠片が激しく脈動し始めた。金色の光が、微かに、しかし確実に強まっていく。


「違う」


翔太が顔を上げる。その瞳に、諦めの色はない。膝をついていた体を、ゆっくりと立ち上がらせる。


「愛は無力じゃない。仲間を信じる心が、俺たちの力だ」


太陽の欠片から、今までとは違う光が溢れ出す。それは金色ではなく、七色に輝く虹のような光だった。温かく、優しく、そして力強い光が虚無界を照らし始める。


「なに...?」


アルトゥールが初めて驚きの表情を見せる。千年の時を生きてきた彼でさえ、見たことのない現象だった。


「太陽の欠片の...真の力...?」


エリーゼの透明な体が、微かに輝き始めた。消えかけていた彼女の存在が、少しずつ形を取り戻していく。封印の紋様が淡い光を放ち、輪郭がはっきりしてくる。


「翔太...」


彼女の声が、はっきりと聞こえた。消えかけていた声に、確かな実在感が戻ってくる。


「私、ここにいる」


その瞬間、奇跡が起きた。


倒れていた仲間たちが、一人また一人と立ち上がる。虚無に飲まれたはずの者たちの魂が、光となって戻ってきた。広場に散らばっていた光の粒子が集まり、人の形を作っていく。


「これは...」


ミーナが息を呑む。大魔導師の彼女でさえ理解できない現象が、目の前で起きている。


「太陽の欠片が...みんなの愛を集めている...?」



翔太の体が、七色の光に包まれた。それは浄化の金色でも、愛のピンク色でもない。全ての色が調和した、新たな光だった。


『太陽の欠片の第三の力が覚醒しました』


脳裏に声が響く。それは太陽の欠片そのものの意志だった。


『第一の力:浄化——すでに覚醒』

『第二の力:愛——すでに覚醒』

『第三の力:調和——今、覚醒する』


『調和とは、全てを繋ぐ力』

『虚無と愛、両方を包み込む光』


翔太の体から放たれる七色の光が、仲間たち一人一人と繋がっていく。しかしそれは支配ではない。各自の個性を保ちながら、心が一つになっていく感覚。


「これは...みんなの力が...」


カールが驚きの声を上げる。聖騎士である彼の聖剣に、新たな輝きが宿っていた。


「俺たちの力が、翔太と共鳴している」


ヴァルガスも重傷の体を起こし、立ち上がる。ノーザリア最強の騎士の瞳に、新たな決意が宿っていた。


「一人じゃ勝てない相手でも、みんなでなら...」


リクと彼の部下たちも、浄化の光を放ち始める。それぞれの光が翔太の七色の光と調和し、より大きな力となっていく。


「調和...か」


アルトゥールが苦い表情を浮かべる。


「千年前には、たどり着けなかった答え」



エリーゼの透明だった体が、完全に実体化した。しかし、それは以前のエリーゼとは少し違っていた。封印の紋様が美しい光の刺青となり、彼女の体を彩っている。


「私は、エリーシアでもエリーゼでもある」


彼女の声は、二つの人格が融合したような、深みのあるものになっていた。


「でも、それ以上に、私は私」


エリーゼがアルトゥールに向き直る。千年前の恋人だった男に、真っ直ぐな視線を向けた。


「千年前、私たちは間違えた」


その言葉に、アルトゥールの表情が歪む。


「間違えた...だと?」


「そう。愛することと、執着することを混同していた」


エリーゼは静かに、しかしはっきりと告げる。


「でも、今なら分かる。愛は、手放すことも含んでいる」


彼女の体から、新たな力が溢れ出す。それは封印の力だが、以前とは質が違っていた。


「あなたを愛していたからこそ、私は翔太を選ぶ」


【調和の封印】


エリーゼが放った力は、虚無を封じるものではなかった。虚無を否定するのではなく、調和させる力。存在と無存在の境界を繋ぐ、新たな封印術。


「エリーシア...いや、エリーゼ...」


アルトゥールの声が震える。千年ぶりに、感情が揺れ動いているのが分かった。



「今だ!」


翔太が叫ぶ。調和の光が最も強まった瞬間、クリスタルを救出する最後のチャンスだった。


「クリスタル様、思い出してください」


レオが前に出る。見習い浄化士の少年が、純粋な浄化の光を放った。それは翔太の調和の光と共鳴し、氷の女王となったクリスタルを包み込む。


「みんなが待っています。本当のクリスタル様を」


少年の必死の呼びかけに、氷の女王の動きが一瞬止まる。


「みんな...?」


「そうだ!」


ヴァルガスが重傷の体で前に出る。血が滲む鎧を引きずりながら、主君の前に立った。


「俺は騎士だ。主君を救うのが務め」


ノーザリア最強の騎士が、最後の力を振り絞る。聖剣ではない、ただの鉄剣。しかしそこに込められた忠義の心は、本物だった。


「クリスタル様、戻ってきてください!」


命懸けの一撃が、氷の鎧を砕く。虚無の支配が、一瞬だけ弱まった。


その隙を、翔太は見逃さなかった。


【調和の浄化】


新たに覚醒した力が、クリスタルを包み込む。虚無を消すのではなく、本来の心と調和させる。氷の女王の仮面が剥がれ落ち、本来のクリスタルの顔が現れた。


「私は...何を...」


正気を取り戻したクリスタルが、涙を流す。自分が何をしていたか、全て思い出したのだろう。


「みんな...ごめんなさい...」


「謝ることはない」


翔太が優しく言う。


「誰だって、虚無に囚われることはある。大切なのは、そこから立ち直ることだ」



突然、虚無界に新たな存在が現れた。


それは始原の影。上部で残存兵力と戦っていたはずの、謎の存在だった。


「千年、待った」


影が形を変え、一人の女性の姿になる。それは——


「エリーシア!?」


アルトゥールが驚愕の声を上げる。目の前に現れたのは、紛れもなくエリーシアの姿だった。しかし、エリーゼとは別の存在。


「正確には、エリーシアの魂の欠片」


女性が静かに語る。


「千年前、封印の儀式で散った魂の一部。あなたを見守り続けてきた存在」


始原の影の正体は、エリーシアの想いそのものだった。アルトゥールへの愛と、彼を止めなければならないという使命。その二つの想いが、千年の時を超えて形を保っていたのだ。


「なぜ...なぜ今まで...」


「あなたを、止めるために」


エリーシアの欠片が、アルトゥールに近づく。


「でも、もう十分よ。千年も苦しんだ」


透明な手が、虚無王の頬に触れる。


「一緒に、終わりましょう」


その瞬間、アルトゥールの中で何かが崩れた。千年間保ってきた虚無への執着が、愛する人の言葉で解けていく。



「まだだ...まだ終われない...」


アルトゥールが最後の抵抗を見せる。虚無王としての力を、全て解放した。


【虚無の極致・千年の孤独】


全ての愛を否定する、究極の虚無。千年間の孤独と絶望が、破壊的な力となって襲いかかる。


虚無界全体が震動し、空間に亀裂が走る。このままでは、現実世界まで崩壊してしまう。


「翔太!」


エリーゼが手を差し伸べる。


「一緒に」


二人の手が重なる。調和の王と、調和の封印術師。二つの力が完全に一つになった。


【調和の極光・愛の永遠】


七色の光が、虚無界全体を包み込む。それは虚無を消すのではなく、包み込む光。破壊ではなく、創造の力。


「みんなも力を!」


翔太の呼びかけに、仲間たちが応える。


ミーナが【天変地異】を発動し、虚無界の地形を変える。崩壊しかけた空間を、魔法の力で繋ぎ止める。


カールが【聖剣の誓い】で道を切り開く。虚無の壁を切り裂き、希望への道を作る。


リクたちが【浄化の連鎖】で仲間を守る。虚無に侵食されそうになる者たちを、次々と浄化していく。


全員の力が、翔太とエリーゼの調和の光に集約される。それは一方的な集中ではなく、お互いが支え合う調和の形。


「これが...仲間の力...」


アルトゥールが呟く。千年前には理解できなかった、人と人との繋がりの強さ。


虚無の力が、少しずつ弱まっていく。



「負けた...いや、これでいいのか」


アルトゥールの顔に、安らぎが浮かぶ。千年ぶりに見せる、本当の笑顔だった。


虚無王の鎧が剥がれ落ち、元の英雄の姿が現れる。しかし、その体は既に限界を超えていた。千年の時を虚無の力で生き延びてきた代償。


「やっと、会えた」


エリーシアの欠片が、アルトゥールを優しく抱きしめる。


「長かったわね」


「ああ...長すぎた」


二人の体が、光の粒子となって消えていく。それは消滅ではなく、解放。千年の呪縛からの、真の自由。


「翔太、エリーゼ」


アルトゥールが最後の言葉を残す。


「世界を...頼む」


そして、少し照れたような笑顔で付け加えた。


「愛を...信じ続けてくれ」


光の粒子が、虚無界の闇を照らしながら昇っていく。それはまるで、新しい星が生まれるような、美しい光景だった。



虚無王が消えると、虚無界が崩壊し始めた。


支えを失った異空間が、現実世界に引き戻されようとしている。空間が歪み、ひび割れ、崩れ落ちていく。


「みんな、手を繋げ!」


翔太が叫ぶ。調和の光が全員を包み込む。仲間たちが輪になり、しっかりと手を繋ぎ合った。


空間が歪み、割れ、そして——


気がつくと、彼らは王都の広場に立っていた。


朝日が昇っている。第二の太陽ではない、本物の太陽が。温かい光が、傷ついた戦士たちを優しく照らしていた。


「終わった...のか?」


カールが呟く。まだ実感が湧かないような、呆然とした表情。


広場には、虚無に飲まれたはずの兵士たちもいた。皆、無事に戻ってきている。そして——


グレイスとアルテミスの姿もある。ただし、半透明で。


「我々は、魂だけの存在となった」


グレイスが微笑む。実体はないが、確かにそこに存在している。


「だが、見守ることはできる」


アルテミスも頷く。


「これからも、この国を、仲間たちを見守っていく」


世界中から、歓声が上がった。


虚無の脅威が、完全に消え去ったのだ。人々は泣き、笑い、抱き合って喜びを分かち合った。



「翔太!」


エリーゼが翔太に飛びつく。実体を完全に取り戻した彼女の体は、温かく、確かにそこにあった。


「もう、離さない」


翔太がしっかりと抱きしめ返す。


「うん、ずっと一緒だ」


二人の姿を見て、仲間たちが温かい笑顔を浮かべる。長い戦いの末に掴んだ、本当の幸せ。


「私は、弱い女王でした」


クリスタルが民衆の前に立つ。正気を取り戻した女王は、深々と頭を下げた。


「虚無に心を奪われ、皆様を危険に晒してしまいました」


しかし、民衆からは非難の声は上がらない。むしろ、温かい声援が送られる。


「でも、これからは違います」


クリスタルが顔を上げる。その瞳には、新たな決意が宿っていた。


「皆で力を合わせて、より良い国を作っていきましょう」


「クリスタル様、そして翔太」


ヴァルガスが片膝をつく。


「俺は両方に仕える。それが、新しい騎士の形だ」


重傷は負ったが、命に別状はない。これからも、二人の主君を守り続けるだろう。



一週間後。


翔太たちは、ギルドで日常を取り戻していた。


「またSランクの浄化依頼か」


翔太が苦笑する。レベルは100に戻っていたが、調和の力は残っている。世界を救った英雄として、依頼が殺到していた。


「贅沢言わないの」


エリーゼが笑う。彼女のレベルは80で安定していた。封印術師として、翔太と共に依頼をこなす日々。


「そうだ、今日は訓練所の掃除当番だった」


ミーナが思い出したように言う。


「ええ!? まだやるの!?」


翔太が大げさに嘆く。世界を救った英雄も、掃除は苦手らしい。


「当たり前でしょ」


カールが張り切る。


「世界を綺麗にした掃除士が、訓練所を汚いままにはできないだろ?」


「それもそうか」


みんなが笑った。


リクが部下たちと一緒に、掃除道具を準備する。レオも張り切って手伝っている。


窓の外では、復興が進む王都の姿があった。虚無の傷跡は深いが、人々は前を向いている。商人たちが行き交い、子供たちが遊び、日常が戻ってきている。


「さあ、掃除だ掃除!」


翔太が気合を入れ直す。


平和な日常。それが、一番の幸せなのかもしれない。


太陽の欠片が、優しく輝いていた。調和の光は、もう必要ない。でも、いつでも仲間たちを守る準備はできている。



その夜、翔太は夢を見た。


巨大な門が、空に浮かんでいる夢。門の向こうには、別の世界が広がっていた。見たこともない景色、知らない人々、新たな冒険の予感。


「まだ、終わりじゃない」


謎の声が聞こえる。それは警告なのか、予言なのか。


「真の試練は、これからだ」


翔太が目を覚ます。隣では、エリーゼが安らかに眠っていた。


太陽の欠片が、不安そうに震えていた。まるで、新たな脅威の接近を感じ取っているかのように。


窓の外を見ると、星空に奇妙な光が瞬いている。それは流れ星ではない。もっと不吉な、何か。


翔太が呟く。


「新たな冒険が...」


でも、今は違う。一人じゃない。信頼できる仲間がいる。愛する人がいる。


どんな試練が来ても、きっと乗り越えられる。


調和の王として、新たな冒険が始まる予感がした。


世界は広い。まだ知らない場所、まだ会っていない人々、まだ経験していない冒険が待っている。


「明日も、頑張るか」


翔太は微笑んで、再び眠りについた。


太陽の欠片が、温かく輝き続けていた。

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