第26話 決戦前夜

朝焼けが王都を包む。


いつもなら、この時間には鳥の鳴き声が聞こえるはずだった。商人たちが荷車を引く音が響き、パン屋から焼きたての香りが漂ってくるはずだった。


だが今朝は違う。


「……静か過ぎる」


翔太は浄化士ギルドの屋上から、不気味なほど静寂に包まれた王都を見下ろしていた。石畳の街路に人影はなく、窓という窓には板が打ち付けられている。まるで街全体が息を潜めているかのようだった。


「翔太様」


背後から声がして振り返ると、リクが立っていた。彼の表情もまた、張り詰めたものだった。


「斥候からの報告です。王都の周辺……終焉の使徒の部隊が展開を完了したと」


翔太の胸に冷たいものが走った。リクが差し出した報告書に目を通す。北の森、東の丘陵、南の平原——すべての方角から瘴気の濃度上昇が確認されている。


「包囲は完成している、か」


重い溜息が漏れた。新月まで、あと十二時間。大召喚陣の発動を阻止できなければ、この世界に破滅が訪れる。


「翔太様!」


今度はミーナが階段を駆け上がってきた。普段の冷静な彼女には珍しく、息を切らせている。


「王城から召集です。エリーゼ王女様直々の……全ギルドマスターを集めた、最終作戦会議だそうです」


翔太は頷いた。いよいよ、王国の存亡を賭けた戦いが始まる。



王城の大広間には、王都の主だった者たちが集結していた。


玉座には国王陛下が座し、その横にエリーゼ王女が控えている。騎士団長グレイソン、魔導師団長メルヴィナ、そして各ギルドのマスターたち。冒険者ギルド、商人ギルド、職人ギルド——普段は別々に活動する組織の長たちが、今日ばかりは一堂に会していた。


「諸君」


国王陛下の重々しい声が広間に響いた。白髪の混じった髭を撫でながら、鋭い眼光で一同を見渡す。


「もはや多くを語る必要はあるまい。我が王国は、建国以来最大の危機に直面している」


空気が一層重くなる。誰もが息を呑んで、次の言葉を待った。


「しかし、我々には希望がある。ここに集った勇敢なる者たちこそ、その希望だ」


騎士団長が一歩前に出た。


「陛下、ご報告申し上げます。偵察部隊の情報により、大召喚陣の位置が判明いたしました」


彼が広げた地図には、王都を中心とした巨大な魔法陣が描かれていた。その規模は、直径にして五キロメートルを超える。


「この召喚陣は、三つの要石によって制御されています」魔導師団長メルヴィナが説明を引き継いだ。「北、南、そして中央。これらを同時に破壊しなければ、陣の発動を止めることはできません」


「新月の瞬間に発動する」ソフィアが付け加えた。「つまり、今夜の午前零時。それまでに、すべての要石を破壊しなければなりません」


重い沈黙が広間を包んだ。誰もが、この作戦の困難さを理解していた。


「作戦を説明する」


騎士団長が地図を指し示した。


「三部隊を編成する。A部隊は騎士団主力が北の要石を攻撃。B部隊は魔導師団が南の要石を担当。そして——」


彼の視線が翔太に向けられた。


「C部隊、浄化士ギルドには中央制御点の攻略を任せたい。そこには、おそらく終焉の使徒の最精鋭が待ち構えているはずだ」


翔太は深く頷いた。最も危険な任務を任されたことに、恐れはなかった。むしろ、信頼されていることを誇りに思った。


「承知しました」


「よろしい」


国王陛下が立ち上がった。その威厳ある姿に、全員が膝をついた。


「諸君らに王国の命運を託す。もし、この戦いに勝利したならば……」


陛下は一呼吸置いた。


「全員に騎士叙勲を約束しよう。最弱職と呼ばれようと、関係ない。勇気ある者こそが、真の英雄なのだから」


翔太の胸が熱くなった。隣でヴァルキリー——いや、アルテミスも感動に震えている。


立ち上がろうとした時、エリーゼと目が合った。彼女の瞳には、言葉にできない想いが込められていた。心配と、信頼と、そして——


(必ず、生きて帰ってきて)


その無言のメッセージを、翔太はしっかりと受け止めた。



浄化士ギルドに戻ると、メンバー全員が準備に追われていた。


ローラは作業台に向かい、薬品の最終調整を行っている。彼女の手は微かに震えていたが、それでも正確に調合を続けた。彼女が開発した特製薬品——清浄の霊薬・改は、浄化効果を五倍に増幅させる。ただし、効果時間は十分。使いどころが勝負を分けるだろう。


「これで全部です」


彼女は小瓶を並べた。五十本。ギルドメンバー全員分だ。一本一本に、彼女の祈りが込められている。


「ありがとう、ローラ」


翔太が礼を言うと、彼女は照れたように頬を染めた。


「当然のことをしたまでです。みんな、無事に帰ってきてくださいね。私……みんなのことを、ずっと待っています」


彼女の瞳に涙が光った。戦いに参加できない自分の無力さと、仲間を送り出す不安が入り混じっている。


マルコは武器庫で、全員の装備を点検していた。彼の表情は真剣そのものだ。かつて王都一の鍛冶師と呼ばれた誇りが、今この瞬間に集約されている。特に聖剣エクスカリバーには、入念な手入れが施されている。


「翔太、この剣……何か違う」


マルコが眉をひそめた。確かに、聖剣からは今までにない波動が発せられている。まるで、何かに共鳴しているかのような——剣自体が意志を持ち、戦いを求めているようだった。


「時が来た、ということかもしれない」


アルテミスが静かに言った。彼女の聖槍グングニルもまた、微かに震えている。


「千年前の記憶が蘇る。あの時も、聖なる武器は戦いの前にこうして震えた。まるで、宿敵との再会を喜んでいるかのように」


ソフィアは、全員に配る情報共有装置の最終調整を行っていた。これがあれば、戦場で離れていても連絡を取り合える。


「通信可能距離は約二キロメートル。魔法による妨害も、ある程度は防げるはずです」


「頼りにしてるよ」


翔太が声をかけると、ソフィアは珍しく微笑んだ。


「データによれば、我々の勝率は三十七パーセント。でも——」


彼女は眼鏡を押し上げた。


「翔太様がいれば、その数字は意味を持ちません。奇跡は、いつも予測不能ですから」



夕暮れ時、全員が食堂に集まった。


アンナが腕によりをかけて作った料理が、テーブル狭しと並んでいる。肉料理、魚料理、野菜の煮込み、焼きたてのパン、そして大きなケーキまで。


「最後かもしれない晩餐なんて、縁起でもないけど」


アンナは苦笑いを浮かべた。


「でも、お腹いっぱいじゃないと、力も出ないでしょ?」


「アンナさんの料理は最高です!」


リクが満面の笑みで肉を頬張る。その隣で、ミーナも珍しく大盛りのシチューを食べていた。


「私の魔法、全部使います。だから、エネルギー補給は大切」


カールは静かにワインを傾けながら、仲間たちを見回していた。


「思えば、不思議な縁だ」


彼の言葉に、皆が顔を上げた。


「元は落ちぶれた騎士だった俺が、今はこうして仲間と共にいる。命に代えても、お前たちを守る。それが俺の誇りだ」


「カールさん……」


クララが目を潤ませた。


「私も、このギルドに入れて本当に良かった。皆さんは、私の家族です」


グスタフが立ち上がり、グラスを掲げた。


「勝利を信じて、乾杯!」


「「「乾杯!」」」


グラスが触れ合う音が、温かく響いた。


束の間の家族団欒。この光景を守るために、戦うのだと翔太は改めて決意した。



食事の後、翔太はヴァルキリー——アルテミスと二人で話をしていた。


「終焉の使徒第一位の正体……まだ分からないの?」


アルテミスは首を横に振った。


「誰も、その素顔を見たことがない。声すら、聞いた者は数えるほど。ただ——」


彼女は言葉を選ぶように続けた。


「もし私の推測が正しければ、第一位は……」


「は?」


「いえ、確証はありません。でも、もしそうだとしたら、この戦いの本当の意味は——」


彼女の表情が曇る。不吉な予感が、翔太の背筋を冷たく撫でた。


「とにかく、油断は禁物です。影の賢者も、まだ本気を出していないはずですから」



月が昇り始めた頃、翔太は一人、中庭にいた。


「翔太様」


振り返ると、そこにエリーゼが立っていた。月光に照らされた彼女は、この世のものとは思えないほど美しかった。


「エリーゼ……」


「少し、お話ししてもよろしいですか?」


二人は並んで、月光の庭園を歩いた。白い花が咲き誇る小道を進みながら、エリーゼが口を開いた。


「明日、生きて帰ってきてください」


その言葉は、王女としてではなく、一人の女性としての願いだった。


「初めて会った時から、あなたは特別でした」


エリーゼは立ち止まり、翔太の方を向いた。


「最弱職なんて関係ない。あなたの優しさが、この国を救う。私は信じています」


「エリーゼ……」


彼女は懐から、小さな石を取り出した。青く輝くその石は、見る者の心を落ち着かせる不思議な力を持っている。


「これは王家の守護石です。代々、王族が大切な人に託すもの」


翔太の手を取り、そっと石を握らせた。


「これは……婚約の証にもなる石です」


翔太の心臓が大きく跳ねた。エリーゼの頬が、月光の下でほんのりと赤く染まっている。


「私……王女である前に、一人の女性として、あなたのことを——」


「必ず帰ってきます」


翔太は彼女の手を優しく握り返した。


「この戦いが終わったら、ちゃんと話をしましょう。僕の気持ちも、伝えたいことがあるから」


二人の手が、しっかりと結ばれた。月光が、まるで祝福するかのように二人を包み込んでいた。



その頃、王都の外れにある廃墟で、影の賢者が一人佇んでいた。


黒いローブに身を包んだその姿は、闇に溶け込んでいる。月のない夜空の下、彼の周囲だけが異様な静寂に包まれていた。


「計画は順調に進んでいる」


独り言のように呟く。だが、その声にはどこか寂しげな響きがあった。


脳裏に、遠い昔の記憶が蘇る。


かつて、この世界を守ろうとした一人の魔導師がいた。セイレン・アルカディウス——王国最高の魔導師として、誰もがその名を知っていた。彼は全身全霊を注いで研究を重ね、ついにシステムの真理に到達した。しかし、そこで見たものは——


「このシステムには、致命的な欠陥がある」


絶望的な真実。世界は緩やかに、しかし確実に崩壊へと向かっている。瘴気は単なる汚染ではない。システムそのものが自壊する際のエラーコードなのだ。


彼には愛する家族がいた。優しい妻のセレナ、そして七歳になる娘のリリア。幸せな日々は、ある日突然終わりを告げた。システムの欠陥による瘴気の大発生——予測不可能な災厄が、彼の全てを奪った。


「パパ、苦しい……」


娘の最期の言葉が、今も耳に焼き付いている。


それを止める方法は、たった一つ。


「破壊なくして再生なし、か」


苦い笑みが漏れた。この選択が正しいのか、彼自身にも分からない。だが、このまま何もしなければ、世界は百年以内に完全に瘴気に呑まれる。彼の計算は正確だった。


突然、空間が歪み、誰かが現れた。その姿は影に包まれ、顔は見えない。終焉の使徒第一位——その正体は、未だ謎に包まれている。ただ、その存在から放たれる圧倒的な威圧感が、空気を凍てつかせる。


『準備は整ったか』


声なのか、それとも直接脳内に響いているのか。不気味な問いかけに、影の賢者は頷いた。


「ええ。大召喚陣の要石はすべて配置済み。瘴気結晶の備蓄も十分です。お前の望み通りになるでしょう」


『ふん』


第一位は鼻を鳴らした。その仕草から、まるで全てを見下しているような傲慢さが伝わってくる。


『だが、あの掃除士は……予想以上に成長している。聖剣エクスカリバーも覚醒し始めたようだ』


「確かに。彼は興味深い存在です。最弱職でありながら、ここまでの力を手に入れるとは。もしかしたら、彼こそが——」


『余計な感傷は不要だ』


冷たく言い放つと、第一位の姿は闇に溶けて消えた。ただ、最後に一言だけ残していく。


『明日の新月、すべてが明らかになるだろう』


一人残された影の賢者セイレンは、夜空を見上げた。新月前夜の空に、不吉な赤い星が輝いている。それはまるで、この世界の最期を告げる警鐘のようだった。


「感傷は不要、か。その通りだ」


自分に言い聞かせるように呟く。だが、その声には迷いが潜んでいた。


「明日、すべてが終わる。この腐った世界も、偽りの平和も、すべて——そして、新たな世界が生まれる。リリア、セレナ……私はもうすぐ、お前たちのもとへ行く」



夜明け前、浄化士ギルドに五十名全員が集結した。


それぞれが最高の装備を身に着け、決意の表情を浮かべている。年齢も、出身も、レベルもバラバラ。でも今、彼らは一つの目的のために団結していた。


翔太は皆の前に立った。


「みんな、聞いてくれ」


静寂が広がる。五十の瞳が、翔太に注がれた。


「正直に言う。この戦いは、今までで最も危険なものになるだろう。生きて帰れる保証はない」


誰も動じなかった。皆、覚悟を決めている。


「でも、僕たちには守るべきものがある。この街、この国、そして大切な人たち。その笑顔を守るために、僕たちは戦う」


リクが拳を握りしめた。ミーナが杖を強く握った。カールが剣の柄に手をかけた。


「浄化士は、ただ掃除をするだけの職業じゃない。世界を綺麗にし、人々に笑顔を取り戻す。それが僕たちの誇りだ」


「そうだ!」


誰かが叫んだ。それを皮切りに、歓声が上がる。


「浄化士ギルド、万歳!」


「翔太様についていきます!」


「最後まで戦い抜く!」


翔太の胸が熱くなった。この仲間たちとなら、どんな困難も乗り越えられる。


突然、聖剣エクスカリバーが激しく光り始めた。


「これは……」


剣から声が響いた。いや、声というより、意思が直接伝わってくる感覚。


『時は来た。我が真の力、解放せん』


聖剣の光が収まると、刀身に新たな紋様が浮かび上がっていた。古代文字で何かが刻まれている。


「『浄化の極致、ここに在り』……」


ソフィアが読み上げた。


「聖剣が、覚醒したんです」


アルテミスの聖槍グングニルも同様に輝いていた。千年の時を経て、聖なる武器が真の力を取り戻そうとしている。


「行こう」


翔太が先頭に立った。


「生きて、また会おう」



王都の城門が開かれた。


まだ薄暗い中、三つの部隊が同時に出撃する。


北へ向かう騎士団。その先頭には、騎士団長グレイソンの勇姿があった。


南へ向かう魔導師団。魔導師団長メルヴィナが、杖を掲げて進む。


そして中央へ向かう浄化士ギルド。翔太を先頭に、五十名の浄化士たちが進軍する。


城壁の上から、エリーゼが見送っていた。彼女の瞳には涙が光っていたが、それでも凛とした表情を崩さない。


「どうか、ご無事で……」


東の空が、少しずつ白み始めた。決戦の時は、刻一刻と近づいている。


道中、瘴気に覆われた大地が広がっていた。


黒い霧が立ち込め、木々は枯れ果てている。草一本生えていない荒野を、一行は進んでいく。


「気をつけて」


アルテミスが警告した。


「瘴気の濃度が異常に高い。普通の人間なら、とっくに意識を失っているレベルです」


確かに、息をするのも苦しいほどの重圧を感じる。だが、ローラの薬のおかげで、なんとか耐えられている。


「翔太様」


リクが前方を指差した。


「何か、います」


黒い影が、ゆらゆらと近づいてくる。終焉の使徒の斥候部隊だ。レベル30前後の瘴気兵が、十体ほど。


「ここは俺が」


カールが前に出ようとしたが、翔太が制した。


「温存して。ここは——」


聖剣を抜き、一歩前に出る。


「聖浄化・天照!」


金色の光が放たれ、瘴気兵たちを一瞬で浄化した。黒い霧となって消えていく敵を見ながら、翔太は先を急いだ。


やがて、目的地が見えてきた。


王都の中心部にそびえる、巨大な黒い塔。その周囲には、無数の終焉の使徒が待ち構えている。


「すごい数……」


ミーナが息を呑んだ。


ざっと見ただけでも、二百は下らない。しかも、どれも並みの兵士ではない。最低でもレベル40以上の精鋭たちだ。


「来たか、掃除士」


塔の前に、一人の人影が現れた。


黒いローブを纏った、影の賢者。その姿を見た瞬間、全員の背筋に冷たいものが走った。


「ようこそ、最期の舞台へ」


彼が手を挙げると、終焉の使徒たちが一斉に戦闘態勢を取った。


新月まで、あと十二時間。


王国の、いや世界の運命を賭けた決戦の幕が、今まさに上がろうとしていた。



━━━━━━━━━━━━━━━

【翔太】

 職業:掃除士

 称号:慈悲の浄化士

 レベル:62

 HP:1,320 / 1,320

 MP:2,000 / 2,000

 

 装備:

 ・聖剣エクスカリバー(覚醒中)

 ・王家の守護石(NEW)

 

 スキル:

 ・浄化 Lv.17

 ・聖浄化 Lv.5

 ・浄化領域展開 Lv.4

 ・聖浄化・極光

 ・聖浄化・完全解放

 ・聖浄化・天照

 ・聖浄化・連撃

 ・聖浄化・断

 ・聖浄化・黎明

 ・聖浄化・双光撃

 ・聖浄化・調和

 ・鑑定 Lv.5

 ・収納 Lv.5

 ・剣術 Lv.6

━━━━━━━━━━━━━━━


━━━━━━━━━━━━━━━

【決戦準備状況】

 

 浄化士ギルド:50名(全員準備完了)

 騎士団:200名(北部隊配置)

 魔導師団:100名(南部隊配置)

 

 作戦開始:新月12時間前

 目標:大召喚陣の無力化

━━━━━━━━━━━━━━━

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る