面談の日①

 書面から顔を上げ、ダナモスはぐっと体を伸ばす。それから脇に置いたティーカップを手に取り、冷めた紅茶を啜る。

「今日はここまで、かな」

 ダナモスはうず高く積まれた書類の山を見やる。彼の肩書は大執事、すなわち城内の雑事の取りまとめが主たる役回りなのだが、その仕事はそれ以外にも多岐に渡る。城下町の整備、直轄領の運営、聖祭の準備等々。早い話が、魔王の手元で燻っている事柄は自ずと彼の元へと回ってくることになるのだ。

 窓の外の空は、やや赤みを帯びてきたくらいの色調だ。もう少しこの山を減らしておきたいのはやまやまなのだが、今日はこれから外せない用事がある。週に一度の大事な時間。これをやらねば、今後の業務にも支障をきたす。

 扉を叩く音が、短く室内に響く。

「おっと、もう来たか」

 週末の午後は、週に一度の面談の日である。


「失礼いたします」

 端正な所作で、ひとりめの面談者―魔王付きのメイドであるサジャは、ダナモスの向かいの椅子に腰かける。まだこちらに来てから半年ほどなのだが、すでに長年勤めているメイドのような風格が備わりつつある。

 ……考えてみれば、この子は最初からこういう感じだったな。

 帝都にある彼女の生家を訪ねた日を、ダナモスは昨日のことのように思い出せる。人通りの少ない、細く薄暗い路地に建つ小さな民家。名のある貴族の末裔がそこに住んでいると言っても、おそらく誰も信じはしないだろう。

 ダナモスが薄い板の扉を叩くと、小柄で痩せた少女―今でも痩せているが、あの頃の彼女は少々やつれていると言っても良かった―が姿を現した。来訪者の異様な風体にも怯むことなく、冷静にこちらを見返してくる薄灰色の瞳。好意も、一滴の敵意すらも交えず発せられた「どなたですか?」と言う一言。

 ……そう。あの瞬間に、この子だ、と思ったのだ。

「ダナモス様?」

 あのときと同じ―いや、あのときよりは幾らか柔らかさを帯びているだろうか―冷静な声に、ダナモスは意識を引き戻される。

「ああ、すまない。少し、昔のことを思い出していたんだ」

「昔のこと?」

「と言っても、半年前のことだがね」

「半年前。……ああ」

 合点がいったらしく、サジャは淡く笑む。

「言われてみれば、こちらに来てからもうそれくらいの月日が経つのですね」

「どうだい、もう慣れたかい……などというのは愚問だな。きみはもう、どこからどう見ても一人前のメイドだ」

「いえ、まだアンナさんの足元にも及びません」

「そんなことはない。アンナだってきみのことを大層褒めていたよ。自分が今まで出会った中で、一番物覚えの良いメイドだってね」

 アンナはサジャの前任のメイドで、長年魔王に仕えてきた帝国人の女性である。現在は城の近くで魔族の夫とともに暮らしている。

「たしかに、日々の仕事はだいぶ身についてきたかなと思います。ですが、そういった定型の仕事の枠の外にある事柄については、なんというか、その……」

 珍しく歯切れの悪いサジャに、ダナモスはわかっているという風に苦笑する。

「あの方の扱いは、私にとっても長年の課題なんだ。きみは相当良くやってくれているよ」

「そうでしょうか」 

「ああ。あまり気負わず、珍しい獣の飼育係になった、というくらいの気持ちでお仕えすればいい」

「珍しい獣……先日いらっしゃったベンディット伯の一角獣のような、でしょうか」

「そうだね。まあ、うちの獣のほうがもっと怠惰だが、食い意地の張り具合で言えば良い勝負だろう」

「わかりました。ニコラに一角獣の世話について教えてもらって、それを参考にしつつ今後の方針を検討します」

 いたって真剣な顔で言うサジャに、ダナモスは期待しているよと返す。

「そういえば、近頃帝都から文は来ているかな?」

 そう振ると、サジャの顔がぱっと明るくなる。

「はい。つい数日前に受け取りました」

「お変わりない様子かな?」

「そうみたいです。最近は、メイスン第二皇子を見に行ったと書いてありました。距離があったので、豆粒のようにしか見えなかったそうですが」

「なるほど。行事に出かける元気があるなら何よりだね」

 サジャの母は現在、帝都にひとりで暮らしている。ダナモスは彼女にも王都行きを提案したが、彼女は夫と暮らした場所に留まることを選んだ。

「手紙を読む限りはいたって元気みたいです。無理をしているわけではないと思いたいのですけど」

「そうだね。きみ宛の手紙にあまり暗いことは書かないだろうが」

 ダナモスは帝都で出会ったサジャの母の姿を思い浮かべる。サジャよりも幾分柔らかい雰囲気の、線の細い女性。彼女のような人をひとりで残していくのは、誰にとっても気の咎めることに違いない。

 ……などということを思う資格は、私にはないか。

「もし母君に何か困りごとがあるようなら、すぐに知らせてくれ。私もできる限りのことはさせてもらうよ」

「ありがとうございます。本当に、何から何まで良くして頂いて、どう御礼を言えば良いのか……」

「よしてくれよ。私はタイアードとの約束を守っているだけさ」

 タイアードはサジャの祖父である。ダナモスは王国まで旅してきた祖父と知り合って以来、彼が亡くなるまで親交を保ってきたのだった。

「そうでしたね。正直に言うと、これまで祖父にはあまり良い印象を持っていなかったのですが……」

「まあ、それは無理もない。きみの家が傾いた理由の少なく見積もっても三割はあいつのせいだし」

「かもしれませんね。ですけど、祖父がはるばる王国まで旅してダナモス様に出会ってくれたからこそ、わたしも今こうして路頭に迷うことなく生活できているわけですし」

「ああたしかに、それは間違いない」

 その後も面談は和やかに進んでいき、サジャは最後にもう一度御礼を言うと、来たときと同じ端正な所作で部屋を後にした。

 扉が完全に閉じた後、ダナモスはふぅと息を吐く。

「結局、今回も言えなかったな……」

 実を言うとサジャの祖父は、賭け事で負けた支払いに代えて、孫娘を魔王の元に差し出していたのである。あんまりと言えばあんまりな話だ。その取引に応じる自分も人のことは言えないのであるが。

 ……だが、まあ。

 ダナモスは、サジャが去り際に見せた表情を思い出す。あまり感情を表に出さない彼女らしい控えめな、しかしどこか満ち足りた雰囲気の笑顔。

 今、彼女がああいう風に笑えているのだから、タイアードは結局正しいことをしたということなのかもしれない。

 どのみち、自分のやることは変わらない。彼女のような人々が、あんな風に笑っていられる国を作っていく。それがあの人の願いであり、残された自分が果たすべき役割なのだ。

 そんなことを考えていると、コツコツと骨ばった音が聞こえてきた。


「きみとこの部屋で話すのは、かれこれ一年ぶりだね」

「おや、そんなになりますか」

 サイラスはダナモスの飲み友達である。といっても飲むのはもっぱらダナモスの仕事で、サイラスは傍らで酔っ払いの放言に相槌を打つのが主な役回りであるのだが。

「そういえば、近頃ティフォードの訓練に付き合ってくれているそうだね」

「ご存知でしたか。周りには黙っていてほしいと言われたのですが、ダナモス様にはお伝えしていたのですか?」

「いや。あいつ、わかりやすいからね。ちょっと見てればそれくらいわかるよ」

「今まで彼からそんなことを言われたことは一度もなかったのですが、どういう風の吹き回しでしょうね?」

 ダナモスはふっと笑みを浮かべる。

「彼なりに、強くならないといけない事情ができたのかもしれないな。それで本題なんだが」

「はい」

 普段からよく話しているので、面談を行うのは余程重要な事柄がある場合に限られる。

 ダナモスはこほん、と咳払いをする。

「……それで、最近ライラさんとはどうだい?」

「……やはりそれですか」

 そりゃそうだよ、とダナモスは力強く頷く。

「きみ、この話題を振るといつも適当にはぐらかして終わらせようとするだろう。今日こそは明確な答えを聞かせてもらうぞ」

「この場で話すような事柄でしょうか……?」

「もちろんだよ。最重要検討事項だ」

「……最近ですと、先週また歌劇場に行きました」

 おっ、とダナモスは身を乗り出す。 

「いいね。何を観たんだい?」

「首狩り公と十三人の犠牲者です」

「ああ、あれか……うん、名作には違いないと思うんだが……」

「想像以上に凄惨な展開が多く、私は少し面食らってしまったのですが、ライラさんには楽しんで頂けたようです」

「ほう、案外刺激の強い作品がお好きのようだね。知り合いの劇場で、同じ作者の舞台を来月演るはずだから、今から席を押さえておくかな。首狩り公に負けず劣らず、目を覆いたくなるような場面が満載でね……」

「あ、いえ、心遣いは大変ありがたいのですが……」

「遠慮はいらないよ。きみと私の仲じゃないか」

「いえ遠慮ではなく、半月前にも歌劇を観に行きましたので、そろそろ別の方向性にしたほうが良いかなと……」

「ああ、なるほど。歌劇じゃないなら普通の劇という手もあるが……そういや、ダダールスの券が余ってるんだったな」

「それもたしか、かなり陰惨なものを書く劇作家でしたよね? あと、できれば次はがらっと目先を変えたいと思ってるのですが……」

「ふむ。じゃあ劇はまた今度にして、買い物にでも行ったらどうだい? 最近、黒鳥通りに新しい宝石屋ができたんだよ」

「ほ、宝石屋ですか」

「そんな堅苦しい店じゃなくて若い子向きの宝飾品も取り揃えてるところだから、ライラさんに何か贈ってあげればいいんじゃないかな。たとえば、指輪とかどうだろう」

「はあ……指輪ですか」

 途方に暮れた様子のサイラスに、ダナモスは自信ありげな笑みを向ける。

「安心してくれ。私がライラさんに相応しい最高の指輪を見つけだしてみせるよ。いくつか見繕うから、その中からきみがこれぞと思う一品を選んでくれればいい」

「いえ、そうではなくてですね……」

「まさか予算の心配かい? 大丈夫だよ、きみの給料なら余裕で買える品ばかりさ」

「予算のことでもなくてですね……」

「では、何だい?」

 言い淀むサイラスの次の言葉を、ダナモスは辛抱強く待つ。

 サイラスの眼窩が躊躇いを映すように揺らぐ。

「彼女を困らせてしまうかもしれません」

「困りやしないよ。喜ぶに決まってんだろう」

 呆れた風の口調とは裏腹に、ダナモスの表情は柔らかかった。

「きみはライラさんと過ごす時間を楽しんでいるのだろう? その気持ちを形にして、彼女に贈る。そんな風に考えればいいのさ」

「形に……ですか」

「ライラさんだって、きみといるときは楽しそうにしてるんだろう?」

「笑ってはくれている……と思います」

「だったら何も問題ないさ。彼女は最高の笑顔で、きみの贈りものを受け取ってくれるよ」

 ダナモスにそう言われてもなお、サイラスの顔には迷いが残っていた。

 ダナモスはふむ、と膝の上で指を組む。

「まあ、気持ちはわからないでもないけどね。私がきみの立場だったら、やはり迷うだろう」

「……はい」

「きみはライラさんのことが好きだ。好きだからこそ、彼女の手を取るのが怖くてたまらないんだな」

「はい。近づけば近づくほど、私は怖くなります。これ以上近づいてしまって良いのだろうか。彼女の手を取るのは、私以外の誰かであるべきなのでは、と」

「わかるよ。だけど、ひとつ言わせてもらえば、きみはライラさんを舐めすぎだ」

 サイラスの眼窩にぽかんと当惑が広がる。

「な、舐めすぎですか」

「彼女は強い人だよ。それくらいのことは彼女をよく知らない私にだってわかる。彼女は、きみが躊躇っているなら自分から手を伸ばしてくるだろう。そのときが来てもなおきみは、あなたにはもっと相応しい人がいますとかなんとか後ろ向きな発言をうだうだと繰り返すつもりかい?」

「そ、そんなつもりは。ただ私は、私に彼女を幸せにできるのだろうかと……」

「彼女を幸せにしてあげるんじゃない。ふたりで幸せになるんだ。きみが至らなければ、ライラさんがその分頑張る。逆にライラさんが弱っているときは、きみが普段の十倍でも百倍でも力を発揮すればいい。わかるかい?」

 そう力説され、サイラスはたじたじになるが、その表情は先ほどまでより明るく見える。

「わかるようなわからないような、というところですが……ひとまず指輪選びには付き合って頂けますか。私はそういったものには、とんと疎いので」

「ああ、もちろんだ」

 その後ふたりは来週の計画をじっくりと練り上げた。

 サイラスが去った後、ダナモスは椅子の背にどさりと凭れかかる。

「ついつい熱くなってしまったな……」

 しかし、サイラスにはあれぐらいの勢いで言っておいたほうがいい。彼には些か自己評価が低すぎるきらいがある。多少強引に焚きつけておいたほうが、結果として上手くいくことだろう。

 サイラスの気持ちが理解できないわけではない。たとえば自分が年若い女性に恋をしたとして、その気持ちを素直に伝えることができるだろうか。相手の幸せを自身が摘み取ってしまう可能性に怯え、びくびくと逃げ惑うのがオチではないだろうか。

 ―だがサイラスは、私とは違う。

 彼は堅物で、放っておくといつまでもぐるぐると考えを巡らせ続けているが、それでも自分よりもよほど勇敢だ。彼ならば散々悩んで躊躇った末に、ライラの手を取ることができるだろう。

 ―それはもうじきやってくる、あの子も同じだ。

 ダナモスは、徐々に赤紫から闇色に染まりつつある窓の外を見やりながら、祈るように想う。


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