厨房係の憂鬱①

 王都の空に一日の終わりを告げる鐘が響く頃、彼らの忙しさも最高潮に達する。

「人参はもう鍋に入れちゃって! 蕪はまだだよ!」

「倉からワイン取ってきて! ペーダーさんにシチュー用って言えばわかるから!」

 賑やかな声の飛び交う厨房の片隅、リックは一羽丸ごとの黄金鳥が吊るされた串の前でじっと座りこんでいた。串の下で燃え盛る炎に手をかざしている様は暖を取っているようにも見えるが、いくら北の都とはいえすでに六月、暖より涼を取りたい季節になりつつある。

「リック」

 背後からの声にリックは振り返る。十六にしては小柄で幼さの残る面立ちに、帝国人としては珍しい琥珀色の瞳。ややちじれた黒髪は、口さがない同僚から「よう、また焦がしたのか」とからかわれることもある。そのたびにリックは、僕が焦げ頭ならお前の頭は燃えてる真っ最中だよと返すのだが。

 振り返った先ではシュミットが―細長い緑色の蛇が穏やかに微笑んでいる。見た目は帝国でよく見かけたような蛇とたいして変わらないのに、ちゃんと表情がわかるというのも不思議なものだとリックは思う。

「もうここは問題ないから、よその火を見ておいで。あっちの茹で卵が要注意かもね。あれじゃあ、かちかちの固茹でになっちまう」

「了解です」

シュミットは厨房全体の司令塔の役割を担っている。彼がいなければ、厨房の混乱は今の比ではない次元に達してしまうことだろう。

 リックはぶくぶくと泡を立てている鍋の元に移動すると、ごうごうと燃え盛る火に手をかざす。すると途端に、火はするすると勢いを弱めていく。

「おお、流石。たいしたもんだねぇ」

「一家にひとり、リックくん!」

 周囲の賞賛を適当に受け流しつつ、リックは次なる火元へと向かう。

 彼の役割は厨房の火力の調節である。火の勢いが弱ければ、火力を継ぎ足す。逆に強すぎる場合は、火力を吸収する。幼い頃から火の魔術の修練を積んできたリックにとっては、これくらい朝飯前だ。

「いやー、リックくんが来てから助かってるわ。今まであんなに苦労してたのが嘘みたい」

「本当にねえ。だけど魔術がこんなに料理の役に立つなんて知らなかったわあ」

「そりゃまあ、普通は魔術が使える子なんて厨房にはまず回されないからねえ」

「……」

 背後から聞こえてくる会話を極力意識から排しつつ、リックはその日も淡々と己に与えられた仕事をこなしていった。


「納得いかない」

 リックはパスタをくるくるとフォークに巻きつけながら言う。すでに時刻は夜の九時を回っているが、厨房係の食事時間は大体いつもこんなものだ。

「何がだ」

 正面に座るティフォードが、スープに浸したパンを頬張りながら尋ねる。彼はリックの知る限り、城内に三人しかいない帝国人のひとりだ。年はリックより三つほど上だが、あまり敬意を払う気の起きない、もとい重圧を感じさせない人柄のため、同年代の友人のような感じで付き合っている。

「僕が厨房係で、お前が衛兵をやってることがだよ」

「またかよ。もう五回くらいした話だぞ、それ」

「何度話しても納得できないものはできないんだよ!」

「俺じゃなくてダナモス様に言えよ」

「言ってるさ、面談のたびに! けど……」

「けど?」

 リックは、ぐっと目を伏せる。

「職場でのきみの評価を考慮すると、当面の異動は難しいって……」

「へえ、そりゃ良かったな」

「良くない! なんだって北の魔都までやってきて、台所で火の番なんかやってなきゃならないんだ」

「いや、適材適所だろ。毎日火を使う職場で、しかも城の住人の生活を支える要だ。俺が今食ってるスープだって、お前の活躍があってこそこうして丁度いい塩梅に……」

「うるさい。つべこべ言わずに仕事代われよ」

「……断る」

「なんだって?」

 リックは思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。別に本気で仕事を代わってもらおうと思ってるわけではないし、そもそもティフォードにそんなことを決める権限などない。だからようするに、今のリックの発言はほんの戯言だったのだが。

「いやにきっぱり否定するじゃないか。てっきり先日の一件で、衛兵なんてこりごりだろうと思ったのに」

 ティフォードは少し前、仕事中に酔漢に襲われて怪我を負った。幸い大事には至らなかったものの、しばらくの間は痛々しい傷跡が残っていた。

「ああ、あんなことは二度とごめんだ」

「じゃあ、もう衛兵なんてやめろよ。お前、一応治癒魔術が使えるんだから医務室にでも回してもらえばいいだろ」

「そういうわけにはいかない」

「……妙なこと言うやつだな」

 妙と言えば、そもそもこんな時間に食堂でティフォードと会うこと自体が妙なのだ。彼の昼勤の際の勤務時間は夜の七時までなので、リックが食堂に来る頃には、すでに風呂から上がってベッドに入っていてもおかしくないのである。それが、ここ数日は彼と夕食をともにしている。本人は仕事が遅くなったと言っているが、衛兵の仕事に残業などあるまい。そして、よくよく見ると彼は結構汗をかいている。真夏ならまだしも、この時期にただ立っているだけでこうはならないだろう。

「お前、ひょっとして……」

「よっ、今日もよく焦げてんなあ!」

 陽気な声とともに、背中に豪快な一撃が見舞われる。

「……」

 リックはパスタにめりこみかけた頭を持ち上げ、わなわなと背後を振り返る。

「……おい」

 彼の背を叩いた人物、燃えるような赤髪と人懐っこそうな笑みを併せ持つ少女は、もはや彼のほうを見ていなかった。

「あれ、ティフォードもいるじゃん。珍しい」

「そういうお前こそ、こんな時間まで何してたんだ」

「厩舎の掃除の手伝い。だんだん手伝いじゃなくなってるけど。そのうち気がついたら厩舎番に転職してるかもしれないや」

 少女はリックの横の椅子をするりと引き出し、腰かける。……言われてみるとなんか獣臭いな、こいつ。飯の前に、風呂入ってこい。

「いいんじゃないか。動物、好きなんだろ」

「好きっつーか、なんか懐かれるんだよな。あたし、こんななりなのに怖くないのかね」

 少女は自身の背中の刺々しい翼を指し示しながら笑う。今現在、魔王の城には翼を持つメイドがふたりいるが、そのうちごつごつした竜のごとき翼の主がこのニコラである。

「でも、あいつはちょっと違うかな。あんまりべたべたせず、つーんと澄ましてるかも」

「あいつ?」

「ほら、あの……なんとか伯の一角獣」

 黙々と食事をしていたリックの手がぴたりと止まる。

「ああ、ベンディット伯の連れてきたやつな。よく知らんけど、珍しい生き物なんだっけ」

「あたしもその辺は知らんけど、ただの獣じゃないって感じはするかな。すごく気位が高いんだけど、それに見合った気高さがあるっていうかさ」

「……一角獣は本来人に飼われるような生き物じゃないんだよ」

 リックがぼそりと呟くと、ニコラは「そうなの?」と尋ねる。

 リックはニコラとは目を合わせぬまま、こう続ける。

「一角獣はとても賢く、そのうえ高い魔力を備えた生き物だ。だからあいつらが主と認めるのは、よほど優れた力量を持つ魔術師……それこそベンディット伯のような人物だけなんだよ」

「ふうん。じゃあ、あたしみたいな魔術のまの字もわからないようなのには絶対懐かないってこと?」

「当たり前だ」

「ちぇっ、可愛くないな。どんなこだわりがあるのか知らないけど、餌くれる人にはちゃんと懐けよな」

「……お前、一角獣に餌あげられるのか?」

 リックの問いに、ニコラは呆れたような笑顔を返す。

「当たり前だろ。いくらあたしに学がなくたって、それくらいできるわ。なめんなよ、この学者先生め」

 ニコラの口調は冗談のそれだったが、対するリックの表情は険しい。

「……ひとつ、いいことを教えてやる。一角獣は雑食なんだ」

「知ってるよ。あいつ、意外と何でも食うよな。繊細に見えてわりかし雑な胃袋してるっていうか」

「過去の文献によると、一角獣は自分より体の大きい生き物……たとえば竜をも捕食することがあるという」

「りゅ、竜を?」

 ニコラは翼を隠すようにぎゅっと折り畳む。

「やつらは角に宿る魔力で、竜を眠らせる。そして鼾を掻いて爆睡している竜の喉笛に、その強靭な顎で食らいつき……」

「わー、待て待て! あたし、その手の血なまぐさい話は駄目なんだよ!」

「竜のごつごつした皮膚は、一角獣にとっては最高の美味で……」

「ぎゃー!」

 ニコラは絶叫しながら、食堂から飛び出していく。

 ティフォードは呆れ顔で、瞬く間に遠ざかっていくニコラの後姿を、それから澄ました顔で食事を再開しているリックを見る。

「お前さ、今の話……」

「一から十まで出鱈目だよ。一角獣が竜を食うなんてこと、あるわけないだろ」

「……大人げないやつ」

 その自覚はリックにもあった。あったが、ニコラの話を聞いているうちについ頭に血が上ってしまったのだ。

 そしてその勢いのまま、食後、リックの足は自然と厩舎へと向かっていった。


 こんなことをして何になる? こんなことで何が証明できる?

 幾度もそう自問したが、リックの足は止まらず、そうするうちに目的地が近づいてくる。

 リックは左の手のひらに、握った拳ほどの大きさの炎を生みだす。もう少し大きな炎のほうが灯りとしては便利なのだが、あまり動物たちを刺激したくないし、近くの宿舎で寝ている厩舎番に気づかれる危険も極力減らしたい。……決して、これ以上大きな炎を作れないとか、無理に作ると消耗してヘトヘトになってしまうとかではないのである。

 厩舎はいくつかの棟に分かれているが、一角獣にあてがうとしたら、ニコラが「偉いやつ用」と呼んでいる特別棟だろう。通常、厩舎は木造だが、この特別棟は石造だ。波打つ文様の彫りこまれた白い柱の立ち並ぶ様は、さながら古代の神殿である。

 とはいえ、見た目は立派なものの、入り口に鍵が付いているわけではない。リックは炎の大きさをさらに絞りつつ、足音を忍ばせて内部に続く階段を登っていく。そして棟に足を一歩踏み入れた瞬間、氷のように透明でひんやりとした視線がこちらに向けられていることに気づく。

 リックはおそるおそる、視線の方向に炎をかざす。

 そこにいたのは雪の彫刻のごときものだった。その身は白く、立髪は白く、額から伸びる細長い角もまた白い。全体の姿形は馬に似ているが、並みの馬よりも遥かに大きい。しかし威圧感はあまり感じさせず、その佇まいはあくまで優美だ。

 リックは炎をかざした姿勢のまま、しばし茫然としていた。彼をまっすぐ見つめる澄んだ湖の色合いの双眸に、心を抜き取られてしまったかのようだった。

 低いいななきが耳を打ち、リックはようやく現実へと引き戻される。

 ……しっかりしろ。呑まれるな。

 リックは大きく深呼吸をして、湖の色の瞳を見上げる。またも意識を持っていかれそうになるが、すんでのところで踏みとどまる。そして右手で腰に吊るした袋を探り、よれよれの草を取り出す。

「……ほら、餌の時間だぞ」

 その貧相で細長い草は高級品だった。慈幽草という、万病に効く薬の素になるという植物だ。王都よりさらに北の深い雪山でしか採れないこの草は、厨房係の安賃金で買える代物ではないのだが、リックはこれをある人物から餞別として譲り受けていた。

「ほら、ほら」

 一角獣が慈幽草を好むかはわからない。わからないが、リックの手元にある最高級食材というか薬材には違いないし、生で食べると毒になるような類の植物でもない。軽く調べてみたところ、家畜に飲ませる薬に使われることもあるようだし……まあ、たぶん大丈夫だろう。

 リックは一角獣の鼻先で、慈幽草をちょこちょこと振る。一角獣は透明な瞳で、それをただじっと見ている。

「……やっぱり、認めてもらわないと駄目か」

 リックは手元の炎に意識を集中させる。より小さく。より魔力を一点へ。

 しゅるしゅると縮んでいく炎は、やがてリックの人差し指の先端に収束する。

 ちろちろと、赤い花びらのように揺らめく炎を纏った指先を、リックは一角獣に示してみせる。微弱な魔力の継続的放出。魔術の師からも賞賛された繊細な技術。すなわちリックが魔術師として並みより優れていると胸を張って言える唯一の部分。

 一角獣の眼差しを、リックは審判を受けるような気持ちでじっと受け止める。

 ふいに、ふわりと空気が揺れる。次いで背中を襲う硬い衝撃。

「……!」

 床に体を打ちつけてからようやく、壁に叩きつけられたのだと悟った。リックがよろよろと顔を上げると、暗闇を眩く照らす輝きがそこにはあった。

 リックは茫然と口を小さく開け、やがて自嘲するような笑みを浮かべる。一角獣の角が光を帯びるとき。それは、この美しい獣がその甚大な魔力を解放するときだ。

 一角獣は気位こそ高いものの、争いを好む生き物ではない。しかし、ひとたびその力を振るうと決めたならば、相手が二度と動かなくなるまで容赦なく攻撃を加え続けるという。

 再び、ふわりと体がひとりでに浮き上がり、そのまま激しく壁に叩きつけられる。

 こんなことが何度も繰り返されれば、いずれ確実に死に至るだろう。だが、自分にはここから逃れる術などない。この強大な力に対抗する力もない。このまま無様に死が訪れるのを待つしかない。

「……ラジン様」

 弱弱しく呟いてから、リックは口元を歪める。この後に及んでその名を呼ぶか。自分から袂を分かっておきながらなお、かつての師にすがるか。

 リックの体から力が抜ける。もはや抵抗する気も失せた。こんな惨めな生など、このままここで途切れてしまえ。そう思って目を閉じた瞬間―。

 ぺたぺたと、緊張感のない足音が近づいてくる。サンダルのような薄い履き物が立てる、今のリックの気分にはあまりにそぐわない音。

 リックはぎこちない動きで顔を上げ、音の方角に目を向ける。

「あら……?」

 ゆったりと揺らめく深い紫の炎。その炎に照らされる、緩やかに波打つ髪は翡翠の色。

 そこにいたのはまぎれもなく、この城の主、魔王その人だった。

 魔王はまずリックに目を落とし、それから依然として角に眩い輝きを帯びたままの一角獣に目を向ける。一角獣もまた、彼女に視線を向ける。

すると短いいななきの後、角の輝きは瞬く間に消え失せる。さらに獣は服従の意を示すように頭を垂れる。

 魔王は安堵の息を吐き、リックのすぐ傍で腰を落とす。菫色の瞳がリックの顔を覗きこむ。

「大丈夫?」 

 リックは「はい」と返そうとするが、緊張のあまり声が上手く出ない。足元はサンダルだし、着ているものは半袖のドレスだが―正式な場で身に着ける服ではなく、もっとくつろいだ場面で着るものだろう―それでもこの方はあの偉大なる、畏れるべき魔王陛下なのだ。そして手元で揺らめいているのは、かの有名な魔王の紫炎。彼女の血筋に代々伝わり、幾人もの勇士を亡き者にしたと謳われる冥府の炎だ。

「あ、ちょっと怪我してる。あんまり得意じゃないけど、治癒魔術かけるからじっとしててね」

 そんな、畏れ多いです。という言葉は声にならず、リックは柔らかな光に包まれる。

「どう? 少しは楽になった?」

 リックは息を整える。干からび切っていた喉も、ようやく音が出るようになった。

「はい、だいぶ良くなりました。ええと、その……ありがとうございます」

「どういたしまして」

 花のような微笑みに、リックはしばし見惚れる。そしてふと我に帰るやいなや、床に額を叩きつける勢いで額づく。

「ど、どうしたの?」

「申し訳ございません。許しを得ることなく面を上げるなど……」

「ああ、別にそんなこと気にしないで」

「そういうわけには……」

「傷に響いちゃうでしょ。無理せず、楽な姿勢を取りなさい」 

 きっぱりとした口調で言われ、リックはようやく顔を上げる。

「ほら、座って」

 魔王は壁に凭れかかり、近くの床をぽんぽんと叩く。リックは若干躊躇った後、失礼しますと断ってから、ぎくしゃくした動作で魔王の横に座る。

「あたし、前々からリックとお話してみたかったのよね」

 魔王の言葉に、リックの思考は停止する。まさか彼女が自分の名前を覚えていてくれたとは。

「だけど、まさかこんなところで会えるとは思わなかったな。こんな時間に厩舎で何をしてたの?」

 リックの思考が、今度は別の理由で停止する。

「あ、あの、それは……」

「ひょっとして、こっそりこの子を見にきたの? だったらあたしと同じね。ベンディットのじい様がなかなか許しをくれないから、勝手に会いに来ちゃった」

 菫色の瞳が、すぐ真横からリックを見つめる。その瞳に責めるような色が欠片も含まれていないことにリックは気づく。純粋な好奇心。彼の愚かな罪を咎める気など、彼女は一切持ち合わせていない。

 それで、かえって諦めがついた。

「こいつに餌をあげに来たんです」

「餌? リックの仕事場は厨房でしょ?」

「はい。ですから、これは誰に頼まれたわけでもなく、僕自身の意思でやったことです」

「どうしてそんなことをしようと思ったのか、訊いてもいい?」

 はい、とリックは憑き物が落ちた表情で頷く。

「陛下はご存知かも知れませんが……」

「やめてよ、そんな堅い呼び方。魔王様って呼んで」

「わかりました。魔王様はご存知かも知れませんが、一角獣は非常に気位の高い生き物で、優れた魔術師以外には決して心を許すことがないと伝えられています」

「うん、ベンディットのじい様もそんなこと言ってた。だからお前なんぞを会わせるわけにはいかん、とか言うのよ。ひどくない?」

「……普通なら、認めていない者からは餌をもらうことすら拒むそうなのですが、厩舎の世話を手伝っているメイドから、一角獣に餌を与えていると聞きまして」

「あ、ニコラでしょ? あたしもじい様からそれ、聞いたわ。すごいんだよね、あの子」

「彼女にできるなら、多少は魔術の心得がある自分にだって同じことができるだろうと浅はかにも思いこみ、今宵の愚行に至った次第です」

「あはは、なるほど。ついつい対抗心を燃やしちゃったわけね。でもそういう気持ちってわかるかも」

 うんうんと頷いている魔王の横でリックは姿勢を改めていき、彼女が振り返った頃には再びぴたりと地面に額をつけていた。

「まあ、人には得意不得意があるから、ニコラにできることができなくたって別に……って、え、うん?」

「どうぞ、何なりと処罰を」

「しょ、処罰?」

「僕がしたことは客人の騎獣を危険に晒しかねない、身勝手な行いでした。どうか魔王様の手で罰をお与えください」

「え、えー……?」

 魔王はおろおろとリックを見下ろしたり、一角獣を見上げたり、目を瞑ってうーんと唸ったりしていたが、やがて決心したように小さく頷く。

「たしかに、リックの行動は少し軽率だったかもね。体に合わないものをあげたら、この子もお腹を壊しちゃってたかもしれないし。でも結果として何も起こらずに済んだんだし、この話はもうこれで終わりにしない?」

「ですが、未遂とはいえ罪は罪です」

 魔王はふーむ、と再度思案する。

「……わかったわ。第七代魔王イシュルメールの名の下に、あなたに罰を下します」

 毅然と宣告され、リックはようやく肩の荷が降りた気がした。これでいいのだ。浅はかな自分には、こんな末路が相応しい。

「あなたはこれから毎晩……」


 翌朝、リックは魂の抜けた顔で黙々と仕事をこなしていた。

「リック、向こうの大釜の火を少し強く……おや、随分とお疲れみたいだね。大丈夫かい?」

 心配そうに尋ねるシュミットに、リックはただの寝不足です、と力なく答える。

「夜中まで魔術の本でも読んでたのかい?」

「まあ、そんなところです」

 覇気のない声で答えるリックを、シュミットは怪訝そうに見る。

「そういえば、今朝から鍋がひとつ見当たらないんだけど、リックは何か知ってるかい?」

 シュミットが何気ない調子で呟いた途端、リックの背筋がぎくりと伸びる。

「い、いえ。何も存じ上げません」

 リックの声は半ば裏返っていたが、シュミットは「そうかい、ありがとう」と穏やかに返すと、そのままするすると去っていった。

 リックは肩を落とし、大きく息を吐く。

 ……ごまかせた、のか?

 表面上は納得してもらえたように見えたが、好々爺然としたシュミットにはどうにも本心を掴みかねるところがある。

 そもそも、これは隠すべきことなのだろうか。仮に全てを白日の下に晒したとして、一体誰がそれを裁けるというのか。

 ……でもやっぱり、そういう問題でもないような。

 煮え切らない思いを抱えたまま、リックは朝食のスープを手際よく煮込む。

 そしてその日の夜遅く、リックは足音を忍ばせて厨房を訪れた。

 厨房には薄明りが灯っている。その明かりの下、木椅子に腰かけ、読書に勤しんでいる人物がいる。

 その人物はリックの到来に気がつくと、すっと本から顔を上げる。

「お疲れー」

 時刻にそぐわぬ能天気な声。これほど気の抜ける、もとい朗らかな声を発することのできる人物は、この城にただひとりしかいない。

「それじゃあ始めましょうか。昨日は失態続きだったけど、今日のあたしは一味違うんだから!」

 声の主、すなわち偉大なる魔王その人は立ち上がると、片腕の袖をまくる。白い寝間着の上には、一体どこから調達してきたのか厨房係と同じエプロンを身に着けている。

リックは釈然としない気持ちを押し殺しつつ、仰せのままに、と返す。

リックに与えられた罰は、お料理教室の教師役、すなわち魔王の料理の練習に付き合うことである。

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