裏門の番人たち①

 

 王都の空が赤紫に染まる頃、さびついた色味の裏門のすぐ脇で、ティフォードは大きな欠伸を噛み殺した。

 彼は裏門の警備を任されている衛兵の片割れである。己の使命を全うすべく、日々眠気と戦いながら裏門からの代わり映えしない景色を監視している。

 ……王国の北のほうでも、五月の末にもなるとだいぶ暖かくなってくるんだな。

 帝国南部の港町出身である彼にとって、王都の凍える冬は些か堪えるものだった。

 ……この調子でほどほどに暖かくなってくれれば昼寝、もとい仕事もしやすくて大変結構なんだが。

 そんなようなことをとりとめもなく考えているうちに、一日の終わりを告げる鐘が鳴った。

 ……今日も異常なし。来客は、食材の輸送業者と聖水の交換に来た司祭様のみ、と。

 夜勤の衛兵が来るまでは帰ることができないので、その間に日誌に書く内容を頭の中でまとめておく。すでに勤務時間は過ぎているので、ただでさえ締まりのない気持ちがさらに弛緩する。

 ……腹、減ったなあ。

 ここよりさらに北、ガルプ伯の領地に聳えるダラ山脈に沈みゆく夕陽を眺めながら、ティフォードはぼんやりと思考する。早く食堂に行かないと、食べたいものがどんどん無くなっていってしまうのだが。

 裏門の手前に広がる林から夜勤の衛兵が姿を現した頃には、月がだいぶくっきりと見えるようになっていた。この時刻だと、黄金鳥のシチューはもうないか。焼き串のほうはどうだろう。

「……きょ」

 魚はこの時期だと何があるだろうか。王都近海はティフォードの地元ほど魚介の種類が豊富ではないが、味はどれもなかなか悪くない。

「……今日も一日、お疲れ様でした」

 すぐ横から聞こえたか細い声に、ティフォードは夕飯の検討を継続しつつ、お疲れと返す。

 林の小径に消えていく小さな後姿が見えなくなってから、ティフォードは今日もひとりで食堂へと向かう。


 裏門とはようするに通用口のことなので、正式な来客がやってくることはない。裏門の主な利用者は城内で働く使用人や、外部から荷物を運びこむ商人などである。―二週ほど前に帝国人の若い女性が訪ねてきたが、彼女とサイラスはあれからどうなったのだろうか。ダナモスは何か知っているようだが、聞いてもはぐらかすようなことを言われるばかりだし、サイラス本人はといえば、この件になると急に口が重くなる。

 林で城と隔てられた裏門の辺りは物音も少なく、聞こえてくるのは小鳥のさえずりぐらいのものだ。最近、城門の上に巣ができたらしい。ダナモスに報告したところ、よくあることだから気にしなくて良いとのことだった。

 ……魔性の住まう城の外壁には、生贄として捧げられた者たちの首が並び……。

 ティフォードの頭の中に、厳粛という言葉をそのまま音にしたような声が響く。

「そんなの、誰が確かめたんだよ」

 ついつい漏れた呟きに、横に立つ少女の視線がわずかに動くが、ティフォードと目が合いそうになるとまた下を向いてしまう。いつものことなので、ティフォードも特に気にはしない。気にはしないが、この性格でよく衛兵などやる気になったな、とは思う。自分だって人のことは言えないのだが。

 少女はいつも俯いている。年はダナモスか誰かから、十六と聞いた覚えがある。こちらの者の年の取り方はよく知らないが、帝国の十六の娘と比べると幾分幼く見えるように思える。犬か狼のような耳も、基本的にいつも俯いている、というか寝ている。犬の耳があるなら犬の尻尾もありそうなものだが、彼女の服の上からはその辺りがどうなっているのかはよくわからない。

 ……いや、別にそんなのどうだっていいんだけど。

 ティフォードが少々不躾な想像をしていると、林の奥から話し声が近づいてくる。年頃の少女たちの活発な、姦しいと言っても差し支えない声。

「……だからさ、あたしの見立てではダナモス様と魔王様の仲はもうほとんど確定事項なわけさ。この前だって、ダナモス様の私室を魔王様が尋ねてるとこを目撃しちゃったし」

「単に政務の相談をしに行ったんではなくて?」

「魔王様に限ってそれはありえないって」

「そうねえ。そんなに真面目な魔王様なら、サジャのため息ももう少し減りそうだし」

「……相変わらず馬鹿な話してるみたいだな」

 林を抜けてきたのは、ふたりのメイドの少女だった。ふたりとも背中に翼があり、竜のように猛々しい翼を背負っているのがニコラ、絵画の天使のように優美な翼を背負っているのがシファだ。性格のほうも見た目の印象通り、少なくとも表面的には、ニコラが活発、シファはおっとりという感じである。

「あっ、ティフォードだ。なんでこんなとこにいんのさ」

「衛兵だからだよ」

「衛兵ならもうちょっと強そうな雰囲気出せよ。槍の構えがなってないぞ」

 その自覚はティフォード自身にもあった。上背はあるものの、体型はがっしりしているというよりひょろ長く、武器も構えているというよりはただ単に手に握っているだけだ。それもそのはずで、ティフォードには武器を振るった経験がほとんどない。傭兵団に籍を置いていたことはあるものの、仕事の内容は下働きのようなもので、戦闘に加わる機会はついぞ一度も訪れなかった。

「いいんだよ。俺はお飾りの衛兵だから」

「いや、開き直るなよ。ディアも大変だな、こんなのが相方で」

 名を呼ばれた少女は若干顔を上向け、「う、ううん」と肯定とも否定とも取れるような返事をする。

「でも衛兵の仕事も大変よね。この時間から夜までずっと立ちっぱなしでしょ? これからどんどん陽射しが強くなってくるから、体調を崩さないように気をつけてね。特にディアは、あんまり暑さに強くなさそうだし。ティフォードは……まあ、別に大丈夫よね」

 ディアには労いを、ティフォードにはぞんざいな言葉を投げかけた後、少女たちは町へと繰りだしていった。翼があるのだから壁など飛び越えていけばいいのではと思うのだが、毎回律儀にこの門を通っていく。毎回必ず無駄話をしていくし、魔王の城のメイドは存外暇なのかもしれない。

 手を振りながら去っていくふたりに手を振り返しながら、ティフォードは横に佇むディアに目をやる。

 彼女もまた、極めて控えめな仕草ながらもニコラたちに手を振っている。のみならず、その口元には淡い笑みが浮かんでいる。ほんのわずかであれ、笑顔は笑顔。それは、ティフォードとふたりでいるときには決して見せない表情だった。

 ……だったらどうってわけでもないんだけどさ。

 種族は違えど同じ国の者同士なのだから、よそ者の自分と比べればはるかに気安い相手には違いない。あのふたりは友好的だから、彼女にとっても比較的接しやすいのだろう。

 そう自分に言い聞かせていると、再び林から物音が聞こえてきた。話し声ではなく、ガラガラと何かを引いていると思しき音。

 姿を見せたのは、またもメイドだった。小柄で黒髪の少女。この城で働く三人の帝国人のひとりで、魔王様のお付きのメイド。

 彼女は普段通りの冷静な顔つきで、行商が使うような荷車を引いていた。

「何やってんの」

 ティフォードの問いに、サジャは表情を変えることなく淡々と答える。

「魔王様が黒曜貝パーティーを開きたいとおっしゃるので」

「黒曜貝パーティー」

「ガルプ伯がお帰りになられたので、好きなものをお腹いっぱい食べたいそうです」

「……ああ」

 先日から滞在していた客人の機嫌を魔王様が損ね続けた結果、魔王様の好みのものが全然食卓に上らなくなっているという噂は聞いていた。……そんな子どものおやつ没収みたいな話が事実だとは思わなかったが。

「で、サジャが大量の黒曜貝を買ってくることになったのか」

「ええ。あまり日持ちしない食材だから蓄えがないのよ。そういうわけで今夜は黒曜貝づくし。肉が食べたかったら、ごめんね」

「それはいいけど、流石にひとりで行くのは無茶じゃないか」

 サジャが引いている荷車に黒曜貝をなみなみと注いだら、一体どれほどの重さになるのか。それに宴を開けるほどの貝を買うとなったら、何往復もしないといけなくなるだろう。

「俺も手伝おうか」

「門番の仕事があるでしょ。それに、これは魔王様のわがままなんだから、魔王様のメイドのわたしが責任持って処理しないと」

「処理って……」

 サジャは真面目で責任感が強い。この性格で主人があれでは身がもたないのではないだろうかと、他人事ながら心配になる。

「……ちょっと前に、ニコラとシファが出ていったよ。あいつら、どうせだらだら喋りながら歩いてるだろうし、今から追えば追いつけるだろ」

 サジャは思案するように視線を落とし、それからまた顔を上げる。

「わかった、ふたりにちょっとお願いしてみる」

「あんまりしょいこみすぎるなよ」

「うん、ありがとう」

 サジャはそう言うと、門の脇で置物のようにじっとしているディアに目を止めた。

「ディア、その格好じゃそろそろ暑いんじゃない?」

 たしかに、とティフォードは心の中で相槌を打つ。ディアは腰を太い帯で止めた、ゆったりとした服を着ている。布は厚手で、袖は指先がすっぽり隠れるほど長い。彼女は武器を手にしていないが、ひょっとしたらこの服の下に暗器でも隠しているのかもしれないとティフォードは勝手に想像している。

 ディアは俯いたまま、それでもティフォードにも聞き取れる程度には声を張り、「これは、おばあ様からもらった服だから」と答える。

 祖母がくれた服だろうと季節に合わないなら無理に着なくていいのでは、とティフォードは思ったが、サジャは何か感じるところがあったらしく、優しい笑みを浮かべて言う。

「気持ちはわからなくもないけど、体調を崩したら元も子もないし、ダナモス様にお願いして夏用の服をもらったほうがいいと思う」

「……うん。もう少し暖かくなったら、そうするね」

「頼んだからって、丈の合う服がすぐに調達できるとは限らないでしょ。今日頼んだほうがいいよ」

「……それもそっか」

 背丈はほとんど同じくらいだが、こうして話しているとサジャが世話焼きな姉のように見えてくる。サジャはたしか十五と言っていたので、実際にはディアのほうが年上なのだろうが。

「それじゃあ、また後で。見たことないくらい大量の黒曜貝を運んでくるから、覚悟しといてね」

 よくわからない脅し文句を放って去っていくサジャの後姿を、ティフォードは遠くを見るような目つきで追う。彼女の城への馴染みぶりはたいしたものだ。今年から入ってきたばかりなのに、自分やもうひとりの帝国人の使用人―厨房で働く小生意気な少年だ―より、よほど周囲と上手くやっている。

 ……うらやましいんだろうか、俺は。

 自分でも自身の気持ちを掴みきれぬまま、ティフォードは自問する。別に、皆と仲良くやりたいわけではないと思うのだが。静かに、目立たず、誰とも衝突せずにのらくらと。それがティフォードの信条だし、これまではおおむねその通りに生きてこられたとも思う。

 だからこそ、明確な拒絶にはあまり慣れていなかったのもたしかだ。

 ティフォードは、ディアと初めて出会った日のことを思い出す。彼が何気なく差し出した腕を払った、思いの外強い力を。その瞬間、彼女の瞳に浮かんでいた鮮やかな恐怖の色を。


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