骸骨の恋③
城壁をぐるりと回りこんだ先にあるこじんまりとした裏門の前には、ふたりの衛兵がいた。そのうちひとりは意外にも帝国人の青年で、彼は眠たげな目でライラたちを一瞥すると、ご用件は、と肩の力の抜けた声で尋ねてきた。
「サイラスという名の騎士様に会いたいのですが」
「サイラス様? 今はたぶん訓練中だと思いますけど。失礼ですけど、サイラス様とどういったご関係で?」
「以前仕事場……城下町の酒場で厄介事に巻きこまれたとき、サイラス様に助けて頂いて……」
ああ、と青年は合点がいったように呟くと、呼んできます、と言い残して去っていった。
……もうひとり残っているとはいえ、衛兵がこんなにあっさりと持ち場を離れていいのだろうか? そのもうひとりは、自分より小柄なくらいの女の子だし。
そんなことを考えているうちに、耳慣れたコツコツという硬い足音が聞こえてきた。
「……ライラさん」
ライラをひとめ見るなり、サイラスの瞳に揺らぎが生じた。
「サイラス様。急にお訪ねして申し訳ありません。帝都に帰ることになったので、最後に挨拶をしたくて」
「……そうですか」
タファンはサイラスの風貌に面食らったようだったが、表面上は礼儀正しく挨拶をした。
「私はお邪魔でしょうから……そうですね、ライラ様が働いておられる酒場で待たせて頂きます。騎士様、ライラ様があなたを信頼している以上、私もあなたを信頼させて頂きますが、くれぐれも妙な気を起こされぬよう、お願い申し上げます」
ふたりきりになると、ライラはサイラスに頭を下げる。
「すみません、タファンも悪気はないのですけど……」
「いえ、当然のことです。大切なご令嬢を魔物とふたりきりにはできないでしょう」
「そんなことは……」
「貴方は帝国人で、私は先代魔王の手で生みだされた魔物です。私は本来、貴方の隣に立っていてはいけない存在なのです。本当なら、あの誘いも断るべきでした」
「私が無理に誘ってしまったから、断るに断れなかったのですね」
「いえ。全ては私の弱さが招いたことです。貴方の差し伸べてくれた手を取れば、私も光に手が届くと、ふと思ってしまったのです。私は影に生きることを宿命づけられた魔物だというのに、一体何を思い上がっていたのでしょうね」
「そんな風に自分を卑下しないでください。それにどのみち、あの日のことが全て間違いだったとしても、過ちはすぐに正されます。私はもうじき帝都に帰りますし、サイラス様と出会うことはもう二度とありません」
「そうですね。それで全てが、あるべき形に戻る」
「サイラス様」
ライラは凛とした眼差しで、サイラスを見上げる。
「たとえ私たちの出会いが間違いだったとしても、あなたと出会えたことは、私にとって何よりも大事な宝物です。あなたは私がこれまで出会った中で一番誇り高く、一番素敵な方です」
サイラスはライラから目を逸らし、消え入るような声で「……店まで送ります」とだけ言った。
ふたり並んで、ひとつも言葉を交わすことなく歩いていくと、酒場の方角から毛むくじゃらの鞠のようなものが凄まじい勢いで迫ってくるのが見えた。
「……女将さん?」
「ライラ! 大変だよ!」
女将はライラたちの眼前に転がり出るや、声を張り上げる。
「あんたの連れの爺さんが、ラフニッド家のごろつきどもに連れ去られちまった!」
そこは昼間でも人通りの少ない、薄暗い路地に面した館だった。かつては栄華を誇った貴族の、今では見る影もなく朽ち果てた住まい。
「……さてさて」
館に入ってすぐの広間には、十人ばかりの魔族や獣人がたむろしている。彼らの中心には、縄で縛られたタファンの姿がある。
「あのお嬢さんの知り合いらしいって聞いたから、ひとまずふんじばってみたわけだけど……あんた、一体何だい? お嬢さんの身内かい?」
青白い肌の青年が、タファンの髪を無造作に引っ張る。
「あんたがお嬢さんのお父上かな?」
「……貴様らに答える義理はない」
青年はタファンの首筋に尖った爪を押し当てる。
「俺はさ、できればあの子と仲良くなりたいんだよね。だからあの子の身内にはなるべく優しくしてあげたいんだけどさ」
爪の先が肌に食いこみ、細い血の筋がタファンの首を伝っていくが、タファンは眉ひとつ動かさず青年を睨み続ける。
「お嬢様に手を出してみろ、ただじゃおかんぞ」
「お嬢様? ということは、あんたはあの子の家に仕えてる使用人なのかな。随分と良い身なりしてるから、てっきりあんたがあの子の親なのかと思ったんだけど」
「兄貴、ジジイの懐にこんなもんが入ってやした」
脇に控える魔族の若者が、青年に一枚の紙切れを差し出す。
「こいつは……へえ、帝都の都議会の紹介状かい。驚いた、どうやらあの子は本物のお嬢様らしい」
青年は紹介状をタファンの眼前でひらひらとさせる。
「なるほど。ご主人様に命じられて、あんたははるばる王都まであの子を探しに来たわけだね。老い先短い身に鞭打って、ご苦労様。だけどようやく見つけたと思ったら、大事なお嬢様は骸骨の化け物にうつつを抜かしていたんだから、ひどい話だよね。あんな骸骨よりも俺を選んでくれって、あんたからも言ってあげてくれないかな?」
「……お前のような魔物を、お嬢様に近づけさせるわけにはいかん」
タファンがそう呟いた瞬間、青年の身に纏う空気が一変する。
「……魔物って言うのはさ」
青年はゆらりと立ち上がり、タファンの顔面を蹴り飛ばす。身を折り口元から血を流すタファンを、青年はさらに足蹴にする。
「あの骸骨みたいなやつのことを言うんだよ。俺みたいな由緒正しい貴族を捕まえて魔物呼ばわりされちゃ、困るんだけどなあ」
「……そうか、お前は貴族か」
「そうそう、やっとわかった? あんたも平民なら平民らしく、俺のことを敬うのが筋ってもんで……」
「道理でお嬢様に求婚してきた貴族どもにそっくりな、浅ましい目をしていると思った。お前のような下郎では、お嬢様とは到底釣り合わん」
青年はわずかな沈黙の後、ぱちぱちと手を叩き合わせ、哄笑する。
「見上げた忠義心だね。あんなおめでたいお嬢さんにはもったいないくらいだよ」
「なんだと……!」
「だって、家出した挙句あんな骸骨に入れ込んでるんだぜ? よっぽど頭の中が空っぽなのかね。まあ、俺はそういう女の子も嫌いじゃないけど……」
「そこまでにしておけ」
涼やかを通り越し、氷のような冷気を帯びた声が薄暗い広間に響く。
「私のことは何とでも言うがいい。しかしこれ以上彼女を愚弄するなら、二度と下らない口を叩けないようにしてやろう」
「おっと、騎士様のおでましだ。よくここがわかったね」
「タファン!」
床に蹲るタファンに駆け寄ろうとするライラを、サイラスは制する。
「すぐに終わらせますので、しばしお待ちを」
「たいした自信だけど、こっちも今回は駒を揃えてきたんだぜ」
青年が腕を上げると、周囲に控えていた獣人たちが立ち上がる。
「なるほど、ただのごろつきではなさそうだな。よく没落貴族に、獣人の傭兵を雇う金があったものだ。―だが」
サイラスは一見優雅にすら見える動作で、獣人たちとの距離を詰める。そして獣人たちの振り上げた爪や武器を巧みに避けたと思うと、ひとり、またひとりと、瞬く間に床へと沈めていく。
「あらら、やっぱり王都一の騎士様は違うねえ」
「あ、兄貴! そんな悠長なこと言ってる場合じゃ……」
「狼狽えんなって」
青年は腰に提げた短剣を抜き放つと、タファンの喉元に突きつける。
「一歩でも動けば、この爺さんの萎れた喉をぐさりだぜ」
タファンは血に汚れた顔を上げ、サイラスを見る。
「騎士殿。私には構わず、このごろつきどもを切り伏せて頂きたい」
「タファン! 馬鹿なこと言わないで!」
サイラスは立ち止まり、下卑た笑みを浮かべる青年を見据える。
「私が武器を捨てれば、その方やライラさんには手を出さないと誓えるか」
青年は「ああ」と笑みを浮かべたまま言う。
「あんたをばらばらの骨屑にさせてもらえるなら、それくらいお安い御用さ」
「いいだろう」
「サイラス様! いけません、そんなの嘘に決まってます!」
「心配ありませんよ、ライラさん」
サイラスは床に落ちた紹介状を指差す。
「あれは帝都の議会が発行した紹介状でしょう? あれがある以上、彼らだって貴方たちをおとなしく引き渡したほうが賢いことくらい、わかっているはずです」
「……私たちが助かっても、サイラス様が死んだら意味がありません」
サイラスは振り向かず、手にした剣を床に投げ捨てる。青年は口笛を吹き、サイラスの元まで歩み寄る。
「流石は王都一の騎士様、見上げた騎士道精神だね。安心しな、あんたのお姫様はきちんとおうちまで送り届けてあげるからさ。なんなら、あんたを粉々に砕いた後、首飾りにでもして渡してやろうか? きっとお嬢ちゃんも泣いて喜ぶことだろうさ……」
ライラは石のように硬直したまま、その場に立ちつくしていた。動かなければ―動かなければ、サイラスが死んでしまう。でも動けば、タファンが。でもこのままでは、サイラスが。
サイラスの細い首筋に、短剣の切先が突きつけられる。
それを目にした瞬間、ライラは無我夢中で駆け出していた。
「駄目っ!」
ライラの予想外の行動に面食らった青年は、彼女の体当たりをもろに受けた。
青年は一瞬よろめいたが、すぐに体勢を立て直すとライラの髪を掴む。
「なめた真似してんじゃねえ!」
強引にライラを引き寄せると、その首筋に短剣を突きつけようとしたが、サイラスはその手首にすかさず手刀を叩きこむ。
「がっ……!」
青年の取り落とした短剣を、サイラスは空中で掴み取り、そのまま青年の首筋に押し当てる。
サイラスは青年の取り巻きたちを見回して言う。
「降伏しろ。こいつの命が惜しければな」
青年は額に青筋を浮かべながら、浅い笑みを浮かべる。
「偉そうに。こっちにもまだ人質がいるって忘れたのかい?」
「おとなしくそちらの帝都からの客人を引き渡せば、首謀者のこいつはともかく、お前たちには魔王様の恩情が下るかもしれんぞ」
取り巻きたちは探るような視線を交わし合った後、弾かれたように出口へと一目散に駆け出していく。
「兄貴わりぃ! 俺たちまだ捕まりたくねえんだ!」
「骸骨の旦那! そのジジイはくれてやる! 魔王様にはよろしく言っておいてくんな!」
「……逃げて構わないとは、一言も言ってないのだが」
サイラスは青年の首筋に手刀を打ち込み、ぐったりとうなだれた青年をその場に捨て置くと取り巻きたちを追う。しかしその足は、出口の傍でぴたりと止まる。
取り巻きたちもまた、出口の手前でぴたりと足を止めている。その視線の先、扉の向こうには、奇妙な仮面をつけた長身の人物が立っている。仮面からわずかに覗く藍色の瞳は妖しい輝きを帯びており、彼に見つめられたごろつきたちは蛇に睨まれた蛙のように、その場から一歩も動けずにいる。
「ダナモス様。貴方がなぜここに……」
「ティフォードから、きみが可憐なお嬢さんと連れ立って出かけていったと聞いてね。野次馬根性を働かせて町へ繰りだしてみたら、彼女が働く店の女将さんが諸々の事情を教えてくれたので、こうして助太刀に馳せ参じた次第さ」
話している間にも、瞳の輝きはさらに増していく。やがてごろつきたちは白目を剥き、その場に崩れ落ちる。
「さて」
仮面の男は、茫然とした様子のライラとタファンに目を向ける。瞳の妖しい輝きは、いつのまにか消え失せている。
「我らが隣人、帝国からの御客人。王都に住まう馬鹿どもがご迷惑をおかけして、誠に申し訳ありません。たいしたもてなしもできませんが、ひとまず我が主の城までお越しください」
ダナモスはサイラスのほうに向き直り、床にへたりこんだライラを示してみせる。
「ほら、さっさと彼女に手を貸してさしあげろ。きみはいつも、こういう肝心要のところが抜けているんだよ」
城で治療を受けたタファンはほどなくして回復し、翌日には帝都へ向けて出立する運びとなった。
「それじゃあ、気をつけて。どうせなら、もう少し王都でゆっくりしていけばいいのに」
「お父上に報告せねばなりませんので。……王都をくまなく探したが、お嬢様を見つけることはできなかった。今は、そういう風に伝えさせて頂きます」
「うん。ありがとう、タファン」
「願わくは」
タファンは顔を上げ、ライラの背後に控えるサイラスと視線を交わす。
「いつかお嬢様が、大事な方と帝都を訪れる日が来たらんことを」
ライラは、徐々に小さくなっていくタファンの後姿に手を振り続ける。その背後で、サイラスが静かに呟く。
「今ならまだ間に合います」
ライラは首を横に振る。
「もう決めたことです。私の気持ちは変わりません」
「しかし……」
まあまあ、と彼らを遠巻きに眺めていたダナモスが暢気な声をかける。
「こんな良い日に言い争うものじゃない。ライラさん、どうか勘弁してやってください。彼も彼なりにあなたの身を案じているのですよ」
「はい。それは私もわかっているのですけど……」
「だけど、ライラさん。これは実際真面目な話ですが、この町で帝国人が、それもあなたのようなうら若き女性が暮らしていくのは決して簡単なことではない。もちろん我が主や、及ばずながら私も努力しておりますが、それでもまだまだこの町は、あなたにとって住みやすい場所ではありません。それでもあなたはこの町で生きていくことを選びますか?」
ライラは淀みのない声で「はい。それが私の選んだ道です」と答える。
「たとえどんな困難に見舞われようと、私はサイラス様とともに歩みたいです」
「……私は貴方に相応しくない」
「そんなの勝手に決めつけないでください。それか、もし私が傍にいると邪魔になるようなら、はっきりとそうおっしゃってください」
「そんなことは言っておりません! 私はただ……」
「まあまあ」
ダナモスはふたりを仲裁するように手を叩く。
「雁字搦めに考え抜くのはきみの美徳でもあるが、今はもっと単純に考えてみては如何かな? つまり―きみは彼女と一緒にいたいのかい? 手を取り合って昼間の賑やかな通りを、あるいは夕暮れどきの穏やかな通りを歩きたいと願うのかい?」
サイラスはほとんど真下を見るように俯き、消え入るような声で「……願います」と告白した。
「だったら、今きみのやるべきことはひとつだ。ほら、今朝渡したあれの出番だぞ」
ダナモスはそう言い残すと、すたすたと何処かへと去っていった。
ライラはきょとんとした様子で、俯いたままのサイラスを見つめる。やがてサイラスは観念した風に、二枚の紙切れを取り出す。
「それって……」
「この前見た歌劇を、今度は原典に忠実な内容でやるそうです」
「最後はふたりとも死んじゃうやつですね」
「はい、なんでも五十年ぶりの興行だとかで。ライラさんの好みではないかもしれませんが、もしよろしければ」
サイラスの白い顔が、初めて少女を誘った少年のように真っ赤に染まる。少なくとも、ライラにはそのように見えた。
ライラはくすりと笑みを浮かべる。
「ええ、喜んで。サイラス様と一緒なら、どこへでも」
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