第3話 転校初日
「おい、ゆきんこ」
「えっ!!」
パンを頬張ったまま振り向くと、昴がすぐ後ろにいて心臓が跳ねた。
サーッと血の気が引いていく。
(ゆきんこって、雪女の子供のことだよね。え、まさか……バレた!? 私が雪女だって)
「遅刻するから早く食べろ。って、何固まってるんだよ」
「だ、だって、今、私のこと、ゆきんこって……」
心の底から焦ったのに、昴はいつも通りの涼しい顔をしている。
「……嫌か? いつまでも『お前』呼びしてるのも良くないかなって思ったんだけど。『雪だるま』の方がいいか?」
なんてことない顔して首を傾げる昴に、ようやく気付いた。
(あ、ああ、あだ名ってこと!!)
「えええ、やだ!! 『雪だるま』はやだ。『ゆきんこ』の方がいい!!」
バレていなかったことにほっとしながら、勢いよく返事をした。
瞬間、昴がすっと顔を近づけてきて、私の瞳をまじまじと覗き込んだ。
(え、ええ!?)
息がかかるほどの距離。昴の瞳が、私の瞳をまっすぐ射抜いてくる。
「しっかし、白いし細いし、目だって色素薄いし、本物のゆきんこみたいだよなぁ。クォーターかなんかなのか?」
(ちょ、近い近い近い近いっ近いってえええええええ!!)
まつ毛の一本一本までが繊細に整った昴の顔が、目前に迫ったその距離に、息が詰まりそうになる。
本当に、この人は無自覚に人をドキドキとさせる天才なのかと思ってしまう。けれど耐性のない私は、パンを喉に詰まらせてしまった。
「うっ!!」
慌てて胸元をトントンと叩いていたら、昴は顔色を変えずにスッとお茶を入れて私に差し出してくれた。
「あ、ありがど……」
濁音全開の声で受け取りながら、もらったお茶を一気に飲み干した。
スーッと、雪が解けるみたいに喉のつまりが消えていく。
「大丈夫か?」
「うん、死ぬかと思ったけど……なんとか生きてる」
(……ああ、もう、私ってば。ドキドキさせられた上にパン詰まらせて可愛くない声出して、完全に敗北感。もう、こんなんじゃ昴を落とす前に私の方が落ちちゃうじゃん!!)
「それはよかった。ところで……遅刻しそうなんだが。急げるか?」
昴の言葉にハッとして、私は慌ててコーンスープに口を付けた。
「――あっつ!!」
あまりの熱さに身体がびくっと跳ねる。
「ふっ。もう、そこまで急がなくていいって」
昴は私の慌てっぷりに、目元だけでふっと笑った。からかうでもなく、ただ静かに、優しく。
(うう、恥ずかしい……また、変なところ見せちゃった)
違うのに。私が見たい昴の笑顔は、こういうのじゃないのに。
なのに……ちょっと嬉しくなっちゃうのは、なんでなんだろう。
私は俯いたまま、そっとまたカップに口をつけた。
◇
「はじめまして! 雪里ユキです! よろしくお願いします」
朝ごはんの後、急いで身支度を整えて、昴に連れられてなんとか間に合った初登校。
私は、朝のホームルームで緊張する心臓を抑えながらみんなの前で自己紹介をした。
「うわーめっちゃ可愛い子転校してきたー!」
「よろしくね、ユキちゃん!」
わっと上がる歓声と笑顔。あたたかい言葉。
教室中に広がる歓迎ムードに、私は嬉しくなってしまう。
なのに、ちらっと昴の方を見てみたら――
昴はそっぽを向いたまんま、そっけなくて。
(なによ。同じクラスになってちょっとくらい喜んでくれてもいいのに。……私だけじゃん、喜んでるの)
思わず少しだけ唇を尖らせてしまった。
「ねぇねぇ、ユキちゃん。昴君と一緒に住んでるって本当?」
休憩時間にひょいっと声をかけてきたのは、
「うん。本当だよ」
「えー!! やっぱり本当なんだ。いいなぁ。昴君ってかっこいいよね。彼のこの学園内での呼び名、知ってる? 『氷の王子』って呼ばれてるんだよ。いつもクールで女の子に全然なびかないのに、ふとした時にさりげなく優しいのが王子様っぽくて、人気なんだよね」
楓ちゃんは頬杖を突きながら言う。
「へぇーそうなんだ」
私は相づちを打ちながら、ふいに昴に視線を向けた。
昴ってばやっぱり学校でも人気あるんだ。『氷の王子』なんて、まさに昴のイメージ通りじゃん。見た目クールなのに、時々びっくりするくらい優しいもんなぁ……
なんて思いながらずっと視線を送っているのに、昴はぜーんぜんこっちを見てくれない。
(おい、昴! こっち向いて!! こっち!!)
バチッ――
(えっ!?)
私が念じていたからか、視線を送り過ぎていたからか、ふいに昴と目が合ってしまった。
(きゃあああああ。なんで急にこっち見るのよ、バカ!!)
カーッと顔に熱が込み上げて、たまらずに目を逸らしてしまった。
(ああ、私のバカバカバカ、恋愛講座では、『目が合ったらそっと微笑みを送るのが鉄則』って習ったのに!! ……次目が合ったら、その時こそ!!)
「……ねぇ? ユキちゃん? 聞いてる? 何顔真っ赤にしてるの?」
私が心の中で決意していると、楓ちゃんに声を掛けられた。やだ、昴と目が合って顔赤くなってるとこ見られちゃった!? 恥ずかしすぎる!!
「あっ。ご、ごめん、今日暑いなーって思って!! で、なんの話だったっけ」
私はわざとらしく手で自分を仰ぎながらごまかした。
「えーっと。昴君が氷の王子って呼ばれてるって話! でね、うちのクラスにはもう一人王子って呼ばれている人がいて……それがあの人、
楓ちゃんは教室の入り口近くで談笑している輪の中心にいる男の子を指差した。
光をふんわりとまとったかのような柔らかな髪に、くりっとした瞳が印象的な男の子。笑うたびに空気が明るくなるような雰囲気をまとっている。
「陽向君はね、明るくって穏やかで、目に見えて優しいから『陽だまりの王子』って呼ばれてるんだよ。2人ともすっごくモテるんだけど、なぜか一向に彼女を作らないんだよねぇ」
その時、私達の視線に気付いたのか、陽向君は談笑していた輪の中からふらりと抜けて、私たちの方へと歩いて来た。
「ユキちゃん、だっけ。俺は春野陽向って言うんだ。このクラスのクラス委員長をしてる。よろしくね」
陽向君はふんわりと笑って、まるで陽だまりのような柔らかな声であいさつをしてくれた。
「う、うん。よろしくね」
昴とは違うタイプだーと思う。昴もこんな風に話しかけに来てくれたらいいのに。
「昴とは家が一緒なんだっけ。あいつああ見えていいヤツだから、頼ったらいいと思うよ。もちろん、何かあったら俺にも遠慮なく言ってね」
そう言って、陽向君はまた優しく微笑むとみんなの輪の中に戻って行った。
(ふわー。まさに陽だまりの王子って感じ。昴も……仔猫にはあんな優しい笑顔だったのになぁ……)
「ね、まさに陽だまりの王子って感じでしょ?」
私が余韻に浸っていると、楓ちゃんは私の顔をちらりと見て、眉を上げながら同意を求めるように言ってくる。
「う、うん。そうだね。人気があるのも分かる気がする」
「でしょー? だけど二人の王子は決して誰のモノにもならないっていう安心感があったの。なのにこんな可愛い子が転校して来ちゃったら、これはもう事件だよね」
楓ちゃんは急にぐいっと顔を近づけて私の顔を覗き込んで話を続けた。
「しかも昴君は一緒に住んでるわけじゃん? さすがの昴君だって、ユキちゃんのこと好きになっちゃうかもしれない。ねぇ、ユキちゃんは昴君のこと、好きなの?」
「えっ! ないないないないっ!! ないよっ」
私は慌てて否定した。私はあくまで落とす側なんだもん、私が好きになってどーすんのよ。そう思って否定したのに――
「へーえ。ユキちゃん、やっぱり昴君のこと好きなんだあー。まぁ、そうだよね。昴君、かっこいいもんね」
楓ちゃんはにやにやしながらわざとらしく大袈裟に頷いてみせた。
(否定したはずなのに、なんで私が昴の事が好きってことになってるのよ!?)
「ち、ちがうってば!! 別に昴のことなんてなんとも思ってないし……!」
「ふう~ん? だけどユキちゃん、さっきからチラチラ昴君のこと見てるし、目が合った時なんて真っ赤になってたじゃん♡ それに、私が『昴君だってユキちゃんのこと好きになっちゃうかもしれない』って言った時、ユキちゃんの口元、ゆるっゆるになってて嬉しそうだったよ?」
名探偵が推理を言い当てる時のように、楓ちゃんは嬉しそうに私に詰め寄る。
「ち、ちちちち、ちがう、もんっ」
「ほんとかなー? ねぇ、ユキちゃん、想像してみて?」
楓ちゃんは、私の耳に顔を近づけると、囁くように言った。
「昴君が……『ユキ、好きだ』って言うところ♡」
「うっ!!」
その瞬間、カーッと顔が熱くなって、反射的に手で顔を隠したくなってしまった。
「ほらあああ。また赤くなったぁああああ♡」
楓ちゃんは満面の笑みで、嬉しそうに叫んだ。
「ち、違うもんっ!」
ああ、もう、楓ちゃんって苦手だ。昴はあくまでターゲットなだけであって、落とす側の私が昴のこと好きなわけないじゃん。
でも……もしも昴が『ユキ、好きだ』なんて言ってくれたら、嬉しいな。だってそれは、ターゲットが私に落ちたってことだもん。それ以上でも、それ以下でもないもん。
え? ……それ以上でも、それ以下でもない? つまりはそこで、終わり? 私はまた次のターゲットを探すってこと?
それは……寂しいな。胸が、チクチクしてきた。
でも、その時の私には、なんで胸がチクチクと痛むのかも、もしも昴に好きって言われたら、その後どうしたいのかも、全然分からなかった。
だから恋愛講座で赤点ばかりだったのかな。
私には、恋はまだまだ難しいみたい。
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