第4話 虎の影

夜の帳が、都市の輪郭を曖昧にしていた。


ミエン人民共和国の大統領官邸、その奥にある書斎の窓からは、かすかなネオンの光すら遮断されている。


カーテンは閉じられ、外界との接点は切られていた。

それでもリューの胸中には、外の喧騒がじわじわと染み込んでくるような感覚があった。


彼はいつものように、専用回線のパソコンを立ち上げた。

起動音が部屋の静寂を破る。


最初に開いたのは、やはり検索エンジンだった。

エゴサーチ──その行為は、今や彼の習慣であり、嗜癖に近かった。


だが、今夜は様子が違った。


画面のほとんどを、あの虎が埋め尽くしていた。


──青いTシャツ。痩せた体。笑ったような目。

──“プーア”だった。


静かに、ゆっくりとスクロールする。

SNS「センドゥ」は、もはや“プーア祭り”と化していた。


プーアの顔が、至る所に貼られていた。


──プーア in 人民服。「ニュー社会大改革を実施せよ!」

──プーア on 戦車。「草食系でも戦える(?)」

──プーアがマイクを握り「汚職撲滅と言えばプーアです!」と叫ぶコラ画像。

──「プーアは私腹を肥やしている」「プーアが経済を壊した」「ミエン・ドリームって、プーアの夢オチでしょ?草」


さらに、リューの顔写真とプーアを合成した画像まで現れはじめていた。


──「似てるとか言ったやつ、マジ天才!」

──「違いがわかんないw」


リューは無言で画面を見つめた。

指先は、マウスを掴んだまま震えている。


怒りではない。

冷たい不安が、血の代わりに彼の中を流れていた。


誰かが、意図的にこのキャラクターを使って彼を風刺している。

それは単なる偶然の一致でも、子どもの冗談でもない。


──これは、攻撃だ。


情報戦。

認知戦。

風刺という名の心理操作。

プーアは今や、**“無害の皮をかぶった弾丸”**となって彼を撃ち抜こうとしていた。


リューは、口元をピクリと動かしながら画面を閉じた。


代わりにスマートフォンを取り出し、広報宣伝部長と内務長官の番号を並べて入力する。


明朝、執務室に来なさい。

お話があります。


命令は、声ではなく無言のメッセージアプリで行われた。


画面を暗転させ、リューはしばし書斎の天井を見つめていた。


国家を愛する指導者の心が、なぜこんなにも軽んじられるのか。

民はなぜ、プーアという名の虎の背に乗って、人民の父を笑おうとするのか。


「……でしたら」


低く、かすれた声でリューは呟いた。


「消すしかないですね」


虎を。

その愛嬌を。

そして、その背後にある嘲りと風刺の文化を。


今夜、リューの中で明確な決意が形を取った。


プーアは“かわいい”だけでは済まされなくなった。

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