第2話 “人気者”の影
書斎の扉は、防音材でしっかりと密閉されていた。
リューはその中に、まるで国家という演劇から切り離されたような静寂にいることを好んでいた。
この部屋だけには、誰も立ち入らせない。
特注のデスク、革張りの椅子、壁に埋め込まれた大型の本棚。
そして、通信傍受が不可能とされる軍規格の専用回線。
パスコードを三重に解除して立ち上げたパソコンに、リューは指を滑らせる。
検索窓に、自らの名を打ち込む。
「リュー大統領」
数秒後、画面には称賛の言葉がずらりと並んだ。
──「強き指導者、人民の父」
──「メー初代大統領に並ぶ国家理念の体現者」
──「ミエン・ドリームの実現者として歴史に名を刻む男」
リューはうっすらと笑った。
歴史が認めるのを待つまでもない。既に現実が、彼を偉人として記していた。
ふと、カーソルが画面の隅にあるアイコンに移る。SNSのリンクだった。
“センドゥ”。
若者たちに今もっとも人気のSNSで、画像や動画、短文投稿が多くを占めるこのサービスには、国家の公式アカウントも存在していた。
リューはそこにログインせず、閲覧専用の裏アカウントで静かにアクセスした。
タイムラインが次々と更新される。
猫の動画、料理の写真、愚痴めいた投稿、風景……そして、あるキャラクターがやたらと目に留まる。
──「プーア」
画面に映し出されたのは、アニメ調にデフォルメされた虎だった。
直立歩行、青いTシャツ、白い首回りの毛、優しげな細い目、細身の体型──
どこか、自分に似ている。
最初は笑って流した。偶然に過ぎない。
しかし、プーアはただの人気キャラでは終わっていなかった。
──「プーアかわいい!癒される~」
──「争いごとが嫌いとか、ガチ草食系じゃんw」
──「プーアってさ、どことなくウチの大統領に似てない?……」
──「あ、わかる。目つきとか、体型とか……顎髭?いや毛並みか」
リューの眉がかすかに動いた。
額に汗が滲むほどではない。
ただ、心の奥に見えない針のようなものが刺さった。
どこか、**自分という存在が“変形されて笑われている”**ような、曖昧な不快感。
──だが。
彼はそれを振り払うように目を閉じ、小さく息を吐いた。
「……気のせいでしょう」
元はフィッチ連合王国の古い絵本の主人公で、世界的に有名なキャラクター。
現在覇権を競い合っているフラワー連邦共和国のアニメ制作会社であるネズミー社によって再生産され、全世界で愛されているマスコット。
それに自分が似ていると誰かが言ったからといって、どうなるというのか。
プーアはただの偶然。
指導者が民の目に親しみやすく映るのは、むしろ良いことだ。
リューはPCの電源を落とした。
モニターが暗くなり、自分の顔がぼんやりと映った。
そこには、目尻にかすかな皺をたたえ、白い顎髭を蓄えた男の顔。
老いを隠せないが、まだ十分に鋭い目をしている。
虎ではない。
人間の目だった。
誰も並ぶ者の無い最高権力者の目だった。
照明を落とし、背を椅子に預けながら、彼は誰にも聞こえぬ声で呟いた。
「……問題はないでしょう」
けれどその口元は、いつものようには笑っていなかった。
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