第十五章 閉幕
それから一年が過ぎた。
山路亭は、本当の意味での「案内人の宿」として定着していた。メディアの騒ぎは完全に収まり、口コミで訪れる人々だけが静かに滞在している。
慎一は案内人としての経験を積み、より多くの人を適切に導けるようになっていた。死者の声を伝えることもあれば、生きている人の心の声を聞くこともあった。そして何より、人々が自分自身で答えを見つけられるよう、優しく背中を押すことができるようになっていた。
健太は今では山路亭の常連客となり、時々調査の合間に立ち寄っては、慎一と情報交換をしていた。
「山路さん、今度新しい調査があるんです」健太がある日報告した。「また行方不明者の件で」
「どのような?」
「五年前に失踪した主婦の方です。家族が諦めきれずに……」
慎一は頷いた。
「もしこの辺りに関係する情報があれば、教えてください」
「もちろんです」
健太との協力関係は、慎一にとって心強いものだった。探偵としての論理的なアプローチと、案内人としての直感的なアプローチを組み合わせることで、より多くの人を助けることができる。
田村雅子も時々山路亭を訪れるようになっていた。息子の死を受け入れた彼女は、同じような境遇の人たちを支援するボランティア活動を始めていた。
「山路さんのおかげで、私は新しい人生を歩むことができました」雅子がある日言った。「今度は私が、他の人たちの支えになりたいんです」
「素晴らしいことですね」慎一が微笑んだ。
「失った息子の分まで、誰かの役に立ちたいと思っています」
雅子の言葉に、慎一は深く感動した。悲しみを乗り越えて、それを他者への愛に変えていく。それも、人生という旅の大切な一部なのだろう。
ミツばあさんも元気に過ごしていた。山路亭の賑わいぶりを見て、満足そうにしている。
「慎一、立派な案内人になったね」ミツが言った。
「まだまだです」
「謙遜しなくていいよ。お前の祖父ちゃんも父ちゃんも、きっと誇りに思っているよ」
松本老人は、その後認知症が進行したが、家族の支えで穏やかに過ごしていた。山路亭での最後の体験が、彼にとって人生の良い締めくくりになったようだった。
佐藤は刑務所で服役していたが、手紙によると、初めて心の平安を得ているということだった。罪を償うことで、ようやく霊たちとの和解ができたのだろう。
季節は再び秋になっていた。湯ノ里温泉の紅葉が美しく色づき、山路亭の庭も鮮やかに染まっている。
慎一は庭で落ち葉を掃きながら、この一年を振り返っていた。多くの人との出会いがあり、それぞれに貴重な学びがあった。
案内人としての役割も、徐々に理解が深まってきた。人を導くといっても、答えを教えるのではない。その人が自分で答えを見つけられるよう、環境を整え、きっかけを提供するのが案内人の仕事なのだ。
そして何より、人生に無駄な経験はないということを学んだ。悲しみも、迷いも、間違いも、すべてその人の大切な旅の一部なのだ。
夕方になって、一台の車が山路亭の前に止まった。中から降りてきたのは、若い夫婦だった。
「すみません、山路亭はこちらでしょうか?」
「はい、そうです」慎一が答えた。
「実は、赤ちゃんがなかなか授からなくて……何かお力になっていただけることがあるかと思って」
慎一は夫婦を温かく迎え入れた。
「ゆっくりお話を聞かせてください」
また新しい出会いが始まった。そして慎一は、この夫婦にも何かの気づきを与えられるだろうという確信があった。
夜になって、夫婦が温泉に入っている間、慎一は一人で山路亭を見回った。
三代続いたこの旅館で、数えきれないほどの人たちが人生の答えを見つけてきた。そして今も、その伝統は続いている。
慎一は父の写真を見つめた。
「父さん、僕は案内人として、まだまだ歩き続けます」
写真の中の康雄が、優しく微笑んでいるように見えた。
裏山から風が吹いてきて、山路亭の古い木造建築を優しく包んだ。この風は、これからも多くの迷える人たちを山路亭へと導いてくるだろう。
慎一は明日の準備を始めた。新しい客のために部屋を整え、心を込めて料理を作る。それが山路亭の主人として、そして案内人としての日常だった。
人生は旅であり、目的地ではない。
その言葉の本当の意味を、慎一はようやく理解できるようになっていた。
大切なのは、どこに向かうかではなく、どのように歩むかなのだ。そして時には、道に迷った人の手を取り、一緒に歩いてあげることなのだ。
山路亭の灯りが、今夜も静かに人々の心を照らしている。
最後の案内人として、慎一の物語は続いていく。
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