ポンコツ教師としっかり生徒 01

 熱心な野球部も、そろそろ切り上げるかと片付けを始めた、そんな逢魔が時。

 眼鏡越しに赤く染まる世界に、その美しさからか、それとも血の錯覚からか、少年は軽くめまいのようなものを感じながら、手にした文庫本をなんとなしに撫ぜつつ、視線を校庭から『彼女』へと移した。



「先生、僕、そろそろ帰りますよ?」


「ううう、この資料作成の〆切、明日までなのー。終らないのー。今日見たいドラマあるのー」



 彼女――本来は教師として少年を指導すべき存在は、スンスンと鼻声でそんな泣き言をあげる。


 

「知りません。だいたい、先生、昨日まで『ドリャクエの新作だー』って真っ先に帰ってたじゃないですか」



 立ち上がって並べば頭一つ分は小さいはずの少年は、眼の前の彼女を大きな子供を叱る親のように言った。


 実際、童顔な彼女は、ともすれば子犬のような印象を受ける。

 彼女のポニーテールが「馬」ならぬ「犬」のそれに見えると、彼女が担当するクラスではいつも言われているほどだ。 

 そして叱られたその子犬は、きゅーんと恐る恐るといった様子で、少年のほうを見る。


 差し込んだ夕日によって赤く染まる少年の顔は、照れで赤くなっているとはお世辞にも言いがたい。

 どうみても、怒りで赤くなっているとしか思えない。

 少年の、めがねの向こう側の細目は、まるで笑っているかのようににこやかだったが、それが素の顔であることを知っている彼女には、般若に見えていた。



「……忘れてたのー。まだレベル21なのー。装備をえっちくして遊びたいのー……だから手伝ってよぅ」


「果てしなく知りません。だいたい、手伝って僕に何のメリットがあるんですか」



 ジト目で正論を言われて、女教師は「う」と軽くうめいた後、「ううううう~」と頭を抱えて言い訳と懇願の代償を考える。

 そんなことで悩むぐらいなら手を動かせ、と少年のメガネの光具合が言っているが、彼女は必死にそれをスルーした。



「先生のドキドキ生写真@大学時代」


「いりません」


「じゃあ高校時代のを」


「撮影時期の問題じゃないです」


「テストの点の水増し」


「犯罪です。ついでに、僕は成績はそれなりに良いです。知ってるでしょう?」


「お金? お金なのね!」


「貴方、給料日前で、バイトしてる僕よりピンチのはずでしょう」


「先生とデート」


「それは、先生がしたいだけじゃ?」


「…………てへ」


 次々出てくる、どうしようもなく駄目な提案。

 そろそろ切れたといわんばかりに、ばし、っとひざの上の文庫本を閉じる少年。



「てへ、じゃありません。さっさと手を動かしてください」


「……キミ、いつからそんなに先生に冷たくなっちゃったの?」


「先生が僕に甘えすぎなだけです」



 キッパリと言うと、教師はスンスンと拗ねだして、少年は頭痛をこらえるように額を押さえた。




「わかりました、先生がちゃんと頑張るのなら…」


「頑張るなら?」


「この小説を読み終わるまでは、ここに居てあげます」


「それだけ?」


「帰った方がいいですか?」


「イテクダサイ……」




 寂しいのはイヤー!と叫んだ後、再びスンスンと拗ねながら作業に戻る彼女を、少年は横目で見ながら――

 

 

 



「さて、あと何分たったら手伝ってあげようかな?」


 思わずほころんだ口元を、少年はそっと文庫本で隠した。

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