第2話:鍛錬開始
朝食を貪った後、ボクは早速行動を開始した。
向かった場所は、侯爵邸に隣接して建てられた訓練所。
ウィルゼスト家に雇われている騎士団や、父上、兄上たちも利用する。
そのため、騎士団用、魔法訓練用、剣術訓練用、自主訓練用などに区分した作りとなっており、とてつもなく広い。
ボクは自主訓練用の区画へと移動し中を見渡す。
パッと見た感じ、誰かが利用しているようには見えない。
ラッキーと思いながら、ボクはノーグの力を確認する。
「ステータス」
小さくそう呟く。
「ステイタス」
一文字だけ変えて再び呟いてみる。
だが、思い描いていたプレートは見えない。
「やっぱないか……」
ノーグの記憶にもステータスはなかったため、当然といえば当然だ。
しかし、ワンチャンあるのではという期待もあった。
実際は何もなかったが。
ボクは一息ついて、気持ちを切り替える。
とりあえず、筋トレと走り込みを重点的にやっていくことにしよう。
力を付けるためには、やはり筋肉と体力がなくてはならない。
まずは定番の腕立て伏せから。
手を硬い地面に置き、足を伸ばして上下運動を繰り返す。
20、30、40と続けていき、余裕をもって50を通過。
そのまま70まで疲労はなかったが、80を超えると少しずつ肩周りの負荷が目立つようになってくる。
歯を食いしばりながら上下運動を繰り返し、何とか100回に到達。
前世では3、40回が限界だったこともあって、軽い感動に浸る。
しかし、これはノーグが努力した結果だ。
ボクはこれを維持……いや、超えていかなくてはならない。
毎日頑張ろう。
「さて、次は軽く走ってみるか」
屈伸と伸脚で下半身をほぐした後、広大な訓練所を駆けていく。
体育の授業でやるような持久走を真似て、訓練場20周を目標に体力を調整する。
12周目までは一定の速度で走ることに成功し、体力にもまだ余裕がある状態。
しかし、13周を越してくると、身体が少しずつ重くなってくる。
結果、目標の20周はきっちり走りきった。
しかし、ボクは横腹の悪魔によって倒れた。
やはり食後の持久走は人類共通の敵だ。
仰向けの状態で、滝のように溢れ出る汗を拭い、潤いを欲して何とか立ち上がる。
その時。
「お疲れ様です、ノーグ様」
透き通った声と共に、目の前にタオルと水が出現した。
暑さにやられた幻覚……ということはない。
この声と見計らったかのようなタイミング。
この仕事ぶりは間違いない。
「ヘレナか」
「はい」
「なぜここにいる?」
「私はノーグ様の専属ですから」
「そうか」
「はい」
ボクはありがとうと一言伝え、タオルと水を受け取った。
「それにしても、いつから見ていたんだ?」
「ノーグ様が腕立てを始めたところからです」
「……つまり最初からか。こんなの見ても面白くないだろ」
「いえ、とても有意義な時間でした。ノーグ様の教育係としても、成長が見られて嬉しく思います」
んー、無表情+棒読みだから、本当に嬉しく思っているのかは謎だ。
「ではノーグ様、少し早いですが、休憩したら魔法の訓練を始めましょう」
「ああ」
ウィルゼスト家の子弟には、それぞれ家庭教師が宛てがわれている。
勿論ノーグにもいた。
しかし、今はいない。
これはノーグが見捨てられた、という訳ではなく、必要がなくなったからだ。
普通なら、剣術指南役、魔法指南役、座学の先生と、各分野ごとに一人ずつ教師がつく。
しかし、このヘレナとかいう超絶スペックのメイドが万能すぎたのだ。
剣術、魔法、座学、礼儀作法などなど、あらゆる分野でガレウスから太鼓判を押されているらしい。
歳は現在14歳らしい。
一体なにをどうしたらこんな怪物が誕生するのだろう……。
「では、いつものように魔力制御の特訓から始めましょう」
「分かった」
ノーグの記憶と感覚を頼りに、体内にある魔力を放出していく。
大きく、強く、高く。
ボクは両手を突き出し、その中心へと魔力を集中させる。
吹き荒れていた魔力は球体へと姿を変える。
この状態を維持。
ヘレナがノーグの専属となってから二年。
毎日魔力制御の特訓を行っていたようで、今のところ何も問題はない。
別のことを考える余裕すらある。
というわけで、いきなりだが魔法について整理しよう。
この世界で魔法とは、魔力さえあれば誰でも扱うことができるもの。
貴族や平民といった階級は関係ない。
どの分野でも言えることだが、己の才覚と努力が全てだ。
とはいえ、優秀な者同士で子を成していく貴族の方が、平民より才能に秀でた者が産まれやすいのは事実としてある。
ウィルゼスト家もそうだ。
代々優れた能力を持つ者を取り込み、少しずつ頭角を現していった一族。
兄や姉を見ていると、その血統はしっかりと受け継がれているのが分かる。
そして、ノーグもまたその一族の一人。
「……素晴らしい制御力です。そこから徐々に魔力も増やしていきましょう」
凝縮させていた魔力の球体に、さらに魔力を追加していく。
すると、少しだが球体に乱れが走る。
当然の事だが、扱う魔力が多ければ多いほど、その難易度は上がっていく。
しかし、流石ノーグと言うべきか、乱れた部分をすぐさま修正。
安定を図る。
この調子でどんどん魔力を増やしていく。
「──っ」
その時、一気に魔力制御が不安定になった。
球体は暴れるように動き、いつ弾けてもおかしくない。
ノーグの制御できる許容量を超えたということ。
「魔力量を少し減らして抑え込んでください」
ヘレナが指示したのは、限界点の魔力量でも暴走しないようコントロールすること。
ギリギリの状況を繰り返すことで、制御力は向上する。
暴発しそうになる魔力を、丁寧に、確実に、抑え込んでいく。
その状態でしばらくすると、徐々に制御が楽になってきた。
「次に、その魔力を身体強化へと変換してください」
手のひらに集めた魔力を体内へと戻していく。
その魔力を循環させる。
乱れなく、強固に、隙間なく。
「ではノーグ様……」
その声と共に──ドスっ! という音が響き、木剣が地面に突き刺さった。
「どこからでもどうぞ」
そう言ったヘレナの身体からは魔力が満ちており、まさに臨戦態勢といった状態。
彼女の手にも木剣が握られていた。
走り込み、魔力制御、実践訓練。
この流れが、ノーグとヘレナの毎日のルーティンらしい。
さて、この世界に来てから初めての戦闘訓練。
不思議と緊張感はなかった。
どうすればいいのか、ノーグの記憶が教えてくれる。
目の前にある木剣を掴み取り、ボクは駆け出した。
身体強化を施した肉体の全力疾走。
景色が変わる。
目の前には振り下ろされた木剣があった。
それに合わせるように、ボクは木剣を振り抜く。
木剣同士がぶつかり合い、重い衝撃が身体にのしかかる。
鍔迫り合いの中、瞬時に身体の力を抜いて受け流す。
ヘレナの体勢が崩れたところへ一撃を──と考えたが、彼女はそれを読んでいたようで隙を見せない。
反撃が来る。
迫る剣の嵐。
その一撃一撃が重い。
一瞬でも反応に遅れれば、そのまま押し切られるだろう。
だが、追い込まれる程、感覚が研ぎ澄まされていくのを感じる。
剣の軌道、視線、重心の変化。
見切れる。
ボクは身体へと迫るヘレナの剣を紙一重で避け、後ろへと回り込む。
背を目掛けた薙ぎ払い。
悪くないタイミングだった。
しかし防がれる。
足、腰、胴、首、頭。
それらを狙いつつ、動きを観察する。
隙はないか。
誘導は可能か。
ノーグの感覚と記憶を総動員して、勝ちに繋がる道筋を模索し構築。
……組み上がる。
全身に回していた魔力を足に集中。
一気に加速し背後を取る。
足へと集中させていた魔力を、木剣と腕に持ってくる。
「──ふッ!」
上段からの振り下ろし。
ヘレナは少し目を見開くと同時に、初めて回避行動に移る。
分かっていたボクは、回避先へ距離を詰めて懐に入り込む。
目の前には、木剣の切っ先が置かれていた。
ヘレナの顔に変化は無い。
突っ込んでくることを読んでいたらしい。
しかし、体勢が崩れかけている。
ボクは顔を傾けて木剣を躱し、こちらも最速の突きを放つ。
これによって回避場所を限定。
足に魔力を集中させ加速。
ヘレナの移動先へと攻撃を───
「───っ!?」
視線の先には、既にヘレナがいた。
しかも、迎撃の態勢が整っている。
勝利までの道筋を修正。
攻撃を続ける。
二合、三合、四合と攻撃を続ける。
しかし、ボクの剣は届かない。
むしろ遠ざかっていく。
ヘレナの動きも鋭さを増している。
だが、それよりも……
──身体が追い付かない。
感覚と思考を用いて導き出した勝利。
そこへ辿り着けない。
瞬時に理解した。
この現象がなんであるのか。
単純に、この身体を使いこなせていない。
感覚についていけてない。
「雑念が出ましたね」
「───ッ!?」
それは決定的な隙。
既に振り下ろされた木剣が、ボクの頭の上で停止する。
「はぁ……。ボクの負けだ」
やっちまった。
ワンチャン勝てるかもと思ったが……。
いやそれより、もっと深刻な問題が出てきたな。
憑依ものの欠点だろうか……。
どうしてもボクの思考が混じってしまう。
それが些細な身体の動きに影響を与え、致命的な遅れに繋がってしまっている。
「ノーグ様」
「何だ?」
「部分強化を使っていましたね?」
「へ?」
「身体全体に魔力を循環させて強化するのではなく、足や腕などの各部位ごとに魔力を集約させて強化する技術です」
あぁ、ヘレナが一瞬驚いていた時のヤツか。
「それがどうかしたのか?」
「いえ、今までのノーグ様の戦い方と違っていたので少し気になってしまって」
え。
あの時は無我夢中で、感覚の
今までのノーグと違う……?
つまり、ボクの感覚によって導き出された戦闘スタイルということか。
でも、圧倒的なスピードを出すなら、足に魔力を集中させようとするのは自然な気が……。
ノーグの魂と溶け合ったのか、ボクが乗っ取ったのか知らないが、感覚に
「あの魔力の使い方はダメなのか?」
「いえ、そんなことはありません。使いこなすことができれば、あらゆる局面で無類の強さを発揮します。魔法でも、近接戦闘でも、瞬間的に相手の出力を上回ることができ、魔力効率も良い。しかし、使いこなせていないと、強化している部分以外の強化が疎かになるため、弱点にもなり得ます」
「なるほど」
「本来であれば、もう少し魔力制御が上達してからお教えするつもりでしたが、独学で習得されていたとは……。ノーグ様には、さらに先の訓練に進んでも問題なさそうですね」
「よし、ならさっそく稽古をつけてくれ」
「かしこまりました。では、魔力が無くなるまで何でもありの戦闘訓練にしましょう」
「面白い、絶対に勝ってやる」
意気込みは十分。
でもめっちゃ負けた。
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