第26話 あまのじゃくと夜明け

環とノエルが2人で話をしている間、玖狼は建築資材置き場の陰に座り込んで、特異事件対策本部の美琴に連絡を入れていた。


今日は、ひどい1日だった。

寝不足と疲労で頭がうまく回らない。

欠伸を噛み殺しながら、車の手配と簡単な状況説明を終える。

ノエルを連行する必要があったが、大人しく投降するか不明だった。

だから、抑止力として念の為同じ吸血鬼であるシエラも連れてくるように伝えた。



そして、しばらくして十三課の車が数台、建築資材置き場の前に停まった。


車から降りたシエラが周囲を見渡すなり、

「派手にやったな」と声をかけてきた。 

適当に返事をして誤魔化す。

玖狼も、ここまでひどい有様になるとは想像していなかった。


美琴が玖狼の方に鬼の形相で歩いてきた。

「…あんたってやつは!

上になんて報告すればいいのよ」

きたきた。美琴には絶対に文句を言われるだろうと想定していた。

「いや~、俺めちゃくちゃ頑張ったんだぜ」

玖狼は疲れた身体に鞭を打って、今回の事件の顛末を説明した。


連続通り魔事件の犯人は、ノエルに恨みを持つ吸血鬼だったこと。

環はその吸血鬼に襲われ、瀕死だったところをノエルに吸血鬼に変異させられ救われたこと。

その吸血鬼が再び襲いかかってきたこと。

吸血鬼が何かの錠剤を持っていたこと。

それを飲んだら巨大化したこと。

ベヒーモスを喚び出し、吸血鬼を処分したこと。


「だから、今回死者が出なかったのは俺のおかげ」

美琴は尊大な態度の玖狼を睨みつける。

そして、腕を組みながら思案する。

「その錠剤、もしかしたら裏で流行ってる人外用の違法ドラッグかも…」

「ああ、俺もその可能性は高いと思うぜ。

でも、今回の犯人がどこでそれを手に入れたのか、少し引っかかるんだよな」

吸血鬼が話しているのを見た感じ、そんなに頭の切れるやつではなかったと思う。

誰かに唆されて、あの錠剤を使った…?

やつに詳細を聞くことはもうできない。

今頃やつは地獄で無限に続く苦しみを味わっているだろう。


玖狼はポケットに手を突っ込みながら欠伸をした。

そういえば、誰かさんのせいで、ここしばらくまともに寝ていない。

眠気が限界だった。



玖狼がふと目を向けると、遠くで環とノエルが何かを話しているのが見えた。


環が涙を流して、ノエルが連行されるのを引き止めているようだ。

彼女の泣きそうな顔は何度も見たが、実際に涙を流しているのは初めて見た。

玖狼の前ではずっと気を張って、気丈に振る舞っていたのかもしれない。

美琴が環を見ながら呟いた。

「環ちゃん、可哀想だけどこればっかりは仕方ないわね…」



ノエルが車に乗り込む直前、環が何か声をかけた。

するとノエルが環の側に戻ってくる。


そして、ノエルが環の額に口づけた。


「は?」


玖狼は片方の眉をぴくりと上げた。

眠気が吹っ飛んだ。

美琴は2人の様子を見て、口元に手を当て「ええ!」と息を呑んだ。

そして、玖狼の肩をバシバシと叩く。

「青春してるわねえ!」

「いて」

美琴も深夜に呼び出され、テンションがおかしくなっているのかもしれない。


***


環は一人残されて、額に手を当ててぼーっと立っていた。

まだそこにノエルの温もりが残っている気がして、動けなかった。


不意に、肩がずしっと重くなり、環はびくりと驚いた。

横を向くと、眠そうな顔の玖狼が、環の肩に気だるげに腕を乗せ、体重をかけていた。

美琴に環とノエルの関係について質問攻めにされるのが面倒で、逃げてきたのだ。

そして、環の耳元でぼそりと呟く。

「見せつけてくれるじゃねーか」


それを聞いて、環の顔がさらに真っ赤になり、顔を背けた。

玖狼はからかうような笑みを浮かべた。

そして、

「ちょっと、こっち向いてみろよ」

と言い、彼女の頬を手で挟み込み、無理やり自分と目線を合わせた。

「ぶ」

手で押し潰された環の顔が、むぎゅっと潰れる。

それを見て玖狼が吹き出した。

「ぷっ、…ははっ。ぶっさいく」

その顔は今まで見てきた玖狼の表情の中で、一番毒気のない、年相応の笑顔だった。


環はぽかんとその顔に見入っていたが、

はっとして、玖狼の手を押しのけながら怒鳴った。

「何すんの、馬鹿くろー!!!」

そして玖狼から距離をとる。

「そういえば、肩撃たれたの忘れてないから!すごい痛かったんだから」

まだ治りかけの肩の傷口を突き出す。

玖狼は「そんなこともあったなー」と適当な相槌を打った。


「でも俺のおかげで、あいつに言いたいこと言えただろ?」

偉そうに腕を組んでにやついている。

「う、それは……そうだけど!やっぱりむかつく!」


苛立ちの収まらなかった環は、顔を真っ赤にしながら、玖狼の頭に拳骨を振り下ろした。

「いってえ!」

「これでおあいこ!」



しばらく口喧嘩をしていると、美琴に声をかけられた。

「そこの二人、そろそろ帰るわよ~」

2人は顔を見合わせると、疲れた様子で十三課の車に乗り込んだ。


後部座席で、玖狼は肘を車窓について、環は背筋をピンと伸ばして。

2人は互いに別々の方向を向いて座っていた。


そのうち、玖狼は眠そうにうとうとし始めた。

たぶん、ここ数日まともに寝ていないのだろう。


環は横目でちら、と玖狼を盗み見る。

瞼が落ちて、今にも寝落ちしそうだ。

(デリカシーなくて、ほんとむかつく奴だけど)

視線を落とし、小さな声でつぶやいた。

「…ノエルに会わせてくれて、ありがと」

玖狼は一瞬こちらを見たが、すぐにまたそっぽを向いた。

「あ?聞こえなかったわ」

そして大きな欠伸をした。


窓ガラスに映ったその顔は相変わらずの不遜な笑み。

けれど、環はなんとなく、さっきの言葉は玖狼にちゃんと届いたような気がした。



夜明けが近い。

空はかすかに白み始め、冷たい風が街を撫でていく。


長い一日が、ようやく終わろうとしていた。


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