第17話 隠し事の代償
環が目を覚ますと、仮眠室の天井が目に入った。
瞼の裏には、夢で思い出したノエルの姿が残っていた。
――やっぱりノエルは…。
環は額の上に手を当てて、ため息をついた。
「おい、二度寝すんじゃねえ」
「は?」
環は驚いて飛び起きた。
環のすぐそばに、腕を組んだ玖狼が立っていた。
「起きたらさっさと次のとこ行くぞ。」
「いや、なんでここにいんの」
「お前がどんなアホ面で寝てるのか見に来たんだよ」
環は迷わず玖狼のみぞおちにストレートを食らわせた。
本当にデリカシーのない男だ。
みぞおちを押さえながら玖狼が話し始めた。
「新しい連続通り魔の被害者がでた。のんびりしてらんねえ」
「そんな…また」
環は俯き、ノエルの顔を思い出してしまう。
ねえ、ノエル。君じゃないよね…?
そして、まだ思い出せないノエルの言葉
『僕を許さなくていい、ただ――』
なんて言おうとしてたの…?
「今日は情報屋のとこに行くぞ」
環は、ノエルの懐中時計をポケットの中でぎゅっと握りしめた。
「…わかった」
ふたりは黒塗りの車に乗せられ、とある雑居ビルの前で降り立った。
3階にある隠れ家的なバーが情報屋らしい。
時刻は夜の9時だった。
「お前に合わせて行動してると完全に昼夜逆転生活だよ」
玖狼は欠伸をしながらビルの階段を登っていく。
バーの扉を押し開けると、クラシックが静かに流れていた。
客はまばらだ。
カウンターの奥で、初老の男性が黙々とグラスを磨いていた。
玖狼が軽く手を上げる。
声を落として、男性に話しかけた。
「よお、マスター。連続通り魔事件を追ってる。この近辺に吸血鬼の登録ってあるか?」
「……数件あるな」
マスターは棚の下からファイルを取り出し、差し出した。
日本人名も外国人名もあった。
吸血鬼ってこんなにたくさんいるんだ、と環が何気なく目を走らせた時―――
――ノエル。
『ノエル・ブランシェ』
という名があった。
息が詰まった。
胸を冷たい手で鷲掴みにされたような衝撃。
目が縫い付けられたように離せなかった。
そういえば、名字は聞いたことがなかった。
だから、きっと違うはず。あのノエルなわけない。
玖狼は文字の上で指を滑らせながらリストを見ていた。
その一つで指を止め、横目で環をちらりと見る。
環は視線を逸らし、唇を噛み締める。
その名前を指先で軽く叩きながら、玖狼は言った。
「こいつの詳細な情報を」
マスターは頷き、奥へと消えていく。
残された空気は、やけに重い。
「……お前、隠してたな」
玖狼の低い声が、環を刺した。
環の心臓が跳ねた。
答えられない。
コートの裾を、無意識に握りしめた。
やがてマスターが戻り、数枚の書類をカウンターに置いた。
「こいつは喫茶店をやっていたらしい。表向きは普通の店だが、情報屋の側面もあった」
環は思わず息を呑む。
玖狼は顔色一つ変えずに続けた。
「犯罪歴は?」
「データにはない」
マスターと玖狼のやり取りが続く中、環の耳には言葉が遠く霞んでいく。
ノエルの声が、記憶の奥から蘇る――見知らぬ客と通り魔事件について語っていた夜。
冷たい不安が胸に広がっていった。
夜風が肌を刺す。
バーの扉を背に、二人は無言のまま路地を歩いた。
ふいに玖狼が足を止める。
低く、感情を押し殺した声で呟いた。
「……なんで黙ってた」
振り返った玖狼には、いつもの軽薄な笑みは微塵もない。
その目は、真っ直ぐ環を射抜いていた。
環は思わず息を呑み、肩を震わせる。
「ノエルってやつを……庇ってるのか」
「ちが、う…わからな――」
「わからない、じゃねえ」
一歩詰め寄られ、環の言葉が喉で詰まる。
怒鳴っている訳ではないのに、威圧感があった。足が竦んだ。
「明らかにこいつが怪しいだろ」
「違う!」
環は声を張り上げた。
「……なんだよ」
「ノエルは、人殺しなんかできる人じゃない…!」
自分でも驚くほど声が震えていた。
違う、違う。そう言い続けなければ、玖狼の言うことを認めてしまいそうだった。
玖狼はしばらく黙って環を見つめたまま、深く息を吐く。
乱れた前髪をかき上げ、わずかに眉をひそめた。
「……知ってること、洗いざらい話してもらうぜ」
その声音には、拒否を許さぬ硬さがあった。
環は声を震わせながら、ぽつりぽつりとノエルとの記憶を語りだした。
全て話し終えると玖狼は淡々と自分の考えを話した。
「なるほどな。とりあえず、お前の話が本当なら、ノエルってやつが連続通り魔事件に関与してる可能性は高い。ついでにお前を吸血鬼にしたのもこいつだろう」
腕を組みながら、無感情に続けた。
「お前に近づいたのも、他の被害者同様、血を吸って捨てるか、気に入れば手元に置いて吸血鬼にするつもりだったのかもな」
「……」
ノエルは最初から私の血を吸うつもりだった?吸血鬼にするつもりで近づいたの…?
環はショックで声が出なかった。
そんな環に、さらに玖狼は追い討ちをかける。
「言っとくけど、お前の話を全部信じたわけじゃねえ。
そもそも、お前が早く情報を寄越せば、新しい殺人は防げたかもしれない」
その言葉は環の胸に、ずしりと響いた。
「私の、せい…?」
寒くないはずなのに、震えが止まらなかった。
玖狼は短いため息をついた。
「お前が通ってた喫茶店に連れてけ。
そいつの手がかりを探しに行く」
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