第14話 夜祭りⅢ



しまったと思った時には、もうはぐれていた。


――どうするべきか……。


はじめは、ただ追いかけていけばよいと思っていた。

石畳は一本道だ。まっすぐ奥のやしろに向かっている。だから道なりに進んだのだが、王女たちに遭遇そうぐうできなかった。そして会えなかったばかりか、ティアラが売っている夜店を見つけることができなかった。


――食べ物屋ばかりだ。


もしかして……と思って少し端に寄り、灯篭とうろう台座だいざ台に足をかけて少し上から見てみると、自分が通ってきた道は、途中で二か所分岐しているのがわかった。人混みで見えなかったが、石畳ごと道が枝分かれしているのだ。


「……」


むやみに動かないほうがいい。そう思って元の場所に戻ろうと歩き出す。

けれど途中でふいに王女と同じような柄の浴衣姿を見て、声をかけようとして人違いに気づく。


「あ……すみません」


いえ、とはにかんで微笑まれ、また人波で視界が悪くなる。


――こういう場合は、どうすればいいか打ち合わせていなかった……。


トルキアは気を揉んでいることだろうと思う。彼らは王女の警護という任務のほかにも、暫定ざんてい政権の王の息子である自分の世話という職務を負っている。

確かに、王女の身を守るという警護の必要性はあるのだが、彼らにとっては自分という存在も充分負担になっていると思う。


一刻も早く合流せねばと思うのだが、手だてがなかった。いざという時の連絡用に、と言われたスマートフォンも、家に置いてきてしまっている。


――こういう時のためのものだったのか……。


この薄い浴衣一枚で、ポケットがない。

自分の生きて来た世界では、夜間に外に出るなら狼煙のろし用の発砲材は携帯しておくのが必須なのだが、こちらの世界は明るくて、そういう装備の必要性がなかった。スマホが、そうした連絡部分を担うのだと、わかっていたのに置いてきてしまったのだ。


――軽くて薄いというのも、考えものだな。


あまりにも持運びに負担がないので、持って歩くのは楽だが、逆に忘れても気付きにくい。


「……」


もし、どうしても彼らに合流できなかったら、単独であの家に帰るしかない。道順は車窓から確認しているから帰れるだろうけれど、捜してくれているであろうトルキアたちとすれ違いになる危険がある。


――この祭りは、何時に終わるのだろう。


こちらの世界は灯りが無限に点くからからかもしれないが、よい宵っ張りだ。「コンビニ」は昼夜店を閉めることなく販売を続けているという。この祭りが夜通し行われる可能性は消せない。


とにかく合流を目指すしかない。

もう一度少し高い場所に登って見渡してみようかと考えたとき、ふいにカラフルな面を並べた屋台で、ティアラが売られていることに気付いた。


600円と書かれている。そう値が張るものではない。

スマホは忘れてしまったけれど、実は紙幣を持っている。屋台はスマートフォンに入っているアプリでは決済できない店もあるから、その時は現金を使ってくれと渡されたのだ。出がけに小さな和風の財布ごと手渡されて、無造作に帯に挟んでいた。



指輪や腕輪と一緒に並んでいるティアラを手にしてみると、それはとても軽くて、子どものおもちゃだとわかる。けれど屋台の照明の下できらきらとイミテーションの宝石が反射して、徹はつい王女の様子を想像した。


彼女が見たのはこれだろうか。



「買うかい? 最後の一個だよ」


手にして眺めていたら、店主に声を掛けられた。


「はい。ください」

「あいよ、600円だ」


煽られて、つい買ってしまってから自分の衝動買いが恥ずかしくなって、袂にしまい込んでしまう。そしてしまい込んだタイミングで後ろから浴衣を掴まれた。


「徹君!」


――カノン様……。


心配そうな顔をして、王女は「大丈夫だった?」と聞く。頷くと両ももに手を付いて息を吐いた。走っていたらしい。


「よかった~」


周囲にトルキアはいない。それぞれバラバラになって捜してくれたらしい。王女はスマホを取り出して連絡している。


「もしもし? お父さん? 徹君、見つかったよ!」


本当にほっとしたように報告している王女を見て、徹は申し訳ない気持ちになった。

楽しむために来たお祭りで、人探しに奔走ほんそうさせてしまった……。


「うん、うん……いや、人が多いとこだとまた見つけるの大変だから、境内のほうにしようか。そう。お賽銭入れる箱と、大きい鈴があるとこ」


先に行ってるね、と言い残して通話を切り、王女が振り向く。


「おやしろのとこで合流することにしたから、そっちに行こう」

「はい……」


はぐれないでね、とカノン様はこちらを見ながら歩いてくれる。うなじには汗が流れていて、たぶん、ずっと探してくれていたのだと思う。


「すみませんでした」

「え?」


人でごったがえしている参道で王女が振り向く。人は行き交うのに、私たちだけが立ち止まって向き合っていた。


「ご迷惑をおかけしました」


失態を詫びて頭を下げると、王女は顔をプルプルと横に振って止める。


「……そんな、大げさな」


「護衛者が捜索されるなど、あってはならないことです」


「そりゃ、スマホがないのにはぐれたら、自力で合流は難しいでしょ」


「あれを持ち忘れた私のミスですから」


再び頭を下げる。王女のやわらかな声がした。


「こっちの世界の人でも、必ず一度はやらかすことだよ。ないと大変だってわかってても、絶対忘れるやつなんだから、気にしなくていいと思う」


「……」


意外な言葉に頭を上げると、カノン様がにこっと小首をかしげていた。


「わたしもさ、こんな完璧な人でもウッカリをやらかすことはあるんだ、って、むしろほっとしたよ」


「カノン様……」


「こっちの世界に来たばっかりなのに、なんでも出来て、しっかりしてて……なんかもう近寄りがたい感じだったんだけど、親近感が沸いたというか」


――笑っている…………。


実は、王女の言葉は半分上滑りしていた。ただ自分に初めて向けてくれた微笑みに釘付けになってしまって、瞬きを忘れた。


返事もできずにいたら、カノン様は慌てた顔に戻る。


「あ、ごめん……別に馬鹿にしてるとかじゃなくて」

「はい」

「……ご、ごめんね?」

「? 何故謝られるのですか?」

「いや、だって…………なんというか、き、気分を害したかなとか」


――え?


予想外の言葉だった。何故王女がそんなことを気にするのだろう。

――そもそも、私は別に……。

王女の言葉で気分を害することなどあるわけがない……そう言おうとして気付いた。


「もしかして……私の顔が不機嫌そうに見えたでしょうか」

「……」

王女は特に肯定はしなかったが、否定もしていない。


――もしかして、私の態度がよくなかったのか?


徹は努めて穏やかに尋ねた。今なら、王女の態度の理由がわかるかもしれない。


「私の態度が、もしカノン様にとってご不快に思えるようでしたら、具体的におっしゃっていただければ直します」


耳に痛い話でも、黙っていられるよりはましだ。そう思って覚悟したのだが、王女は慌てたように手を振る。


「い、いや全然、そんなんじゃなくて………その、なんというか…わたしのほうこそ、ほんとはあんまり怒らせたくないというか。そう思ってたんだけど」

「……?」

「あの……色々と、いじわるしてごめんなさい」


――意地悪?


「あんなことしたら、怒った顔になるのもしょうがないと思う……」


どんな悪意的な行動があったのだろう。

なるべく威圧的にならないように尋ね返すと、王女はごにょごにょと言う。


「徹君は、まだこっちの世界に来たばっかりなのに、わたし……あんまり親切じゃなかったなって……」


電車の乗り換えや、買い物途中での休憩のことを言われて、やはりあれは王女の配慮だったのだと知る。

徹はすっと肩にかかっていた力みが抜けて、笑みを刷いた。


「いえ、ご配慮は感じていました」


ぎこちない、紺ちゃんを挟んだ遠まわしな提案も、時々心配そうに振り返って待ってくれていたのも、ちゃんとわかっている。


「私のほうこそ、ご提案いただいたのにお茶のお招きにも応じず、失礼いたしました」


「と……徹君」


改めて深々と頭を下げると、王女は大慌てでそれを止める。


「ちょと、やめてよ、大げさな」

「いえ、こういうことは礼節を弁えませんと」

「そうじゃなくて、ほんと、注目浴びるから!」


そう言われて周囲を見渡すと、立ち止まっているふたりを除けるように人の流れが分かれているだけでなく、行き過ぎる人々が興味深そうにこちらを見ていた。


「と、とにかく境内のほうに行こ! お父さんたち、待ってるから」

「あ……」


浴衣の袖が捕まれる。

直接腕を取られることはなかったけれど、袖を引っ張って歩き出してくれる王女に、徹は心が満たされていくのを感じた。


拒絶されていないというのは、こんなにも心を穏やかにしてくれるのだ。


歩きながら人知れず頬が緩み、慌てたように袖を持ったまま進む姫君の後ろ姿を見るのが嬉しい。


――カノン様……。


袖を掴んだ指先がまごついているのがわかる。離されそうになって、徹は横に並んだ。


「また迷子になってしまうとご迷惑をおかけするので、失礼ながら並ばせていただきます」

「……っ」

横を振り向いた王女の顔が真っ赤だ。それでなくても大きなペールブルーの瞳が全開で開かれている。


「?」


何か、おかしな挙動だっただろうか。

――そういえば、最初にタクシーにお乗せした時もこんな感じだったか。


あまり近寄られるのが御嫌いなのかもしれないと、あれから少し後ろを歩くようにした。

王女のお気持ちはどうなのだろう……そう思ってなるべく怖い顔にならないように気を付けながら聞く。


「もう少し離れたほうがよいですか?」

「い、いや……はぐれたら大変だから」

「……」

――緊急事態だから、今はいいということか……。


そういうことか……と少し残念な気持ちになっていたら、俯き加減になった王女がぼそっと追加した。


「ちょっと、緊張するだけなんだよ」

「緊張?」


王女は目線だけ少しこちらを向く。


「そりゃあそうでしょ……男子と並んで歩くとか……ふつうに緊張するわ」


今度はこちらが驚く番だった。だが確かに、祖国でも王侯貴族の娘は、みだりに男性と並んで歩いたりはしない。


「し、しかしこちらの世界はだいぶ普通に男女が並んで歩いておりますが」

「それはカップルの場合ね」

「カップル?」

「お付き合いしてる人ってことだよ」


指摘されてよく周囲を見ると、肩が触れ合いそうなほど親密な距離感で歩いている男女は、友人というより恋人同士のようだ。


――ああ、そうか。


故国でも、男女の距離感は同じだ。だが自分は心のどこかで“自分は護衛でもあるけれど、本当は許嫁なのだから近くても問題ない”と思っていた。


――カノン様はご存じないのに……。


それに、確かにわが父は現在国王の座にいるが、正当な王位はカノン王女のものだと思っている。結婚はスムーズに政権を移行させるのと同時に、父と自分が王女を生涯支えるという意思表明だ。女王として即位された場合の、自分の身分はあくまでも“王配おうはい”であって、身分はカノン王女のほうが上だと思っている。


かしずきつつ距離が近い……これでは姫君だって混乱するだろう。


「それは……失礼いたしました」


徹は半歩後ろに下がるように歩調をゆるめる。振り向く淡いブロンドの髪が揺れ、不思議そうに見るのに微笑みで返した。


「カノン様の御姿を見失うことはありませんので、並ばなくても大丈夫です」


護衛者としての立場でそう言ったのに、王女は立ち止まってため息をつく。


「その、カノン“様”っていうの、やめられないかな?」


――え……。


「ユミル母さんに聞いたんだけど、徹君も同い年なんでしょ?」


王女が再び歩き出し、徹も言われた通りに横に並んだ。

婚約者本人であることは、どうやら明かされていないらしい。


「向こうの世界だと身分とか、そういうのがあるんだと思うんだけど、こっちの世界は建前上、身分差ってないし……わたしは王女とか、そういう柄じゃないし」


同じ年なんだから、せめて敬語はやめてくれと頼まれてしまう。


「しかし、そういうわけには……」

「紺ちゃんの時は、ちゃん呼びにしてって言ったらすぐ変えてくれたじゃん」


少しふくれっ面になった王女が可愛い。こんな風に言われたら逆らえない。

苦笑気味に承諾した。


「では、おそれながらこちらの世界ではお名前で呼ばせていただきます」


「“カノン”じゃないよ? “華乃”だよ?」


「はい。では“華乃ちゃん”ですか?」


頬を染めて固まっている。


「あ……“かのちん”ですか?」


「…………か…………華乃、呼び捨てでお願いします」


消え入るような“お願いします”とモジモジした仕草が胸を射抜いてくる。


――カノン様は、こんな可愛い人だったのだ……。


半月もそばにいて、自分は何を見ていたのだろう。

横にいるのは、見知らぬ人に緊張しがちな、心根の優しい17歳の女性だ。

徹は、ユミルが言っていたことを思いだした。


《あの方のよさを、お感じ戴ければと思います》


――そうだな。私は、何も見ていなかった。


自分が王女に幻滅したり不満を持っていたように、彼女もまたこちらに言い出せない気持ちを抱えていたのだ。お互いに距離を取って睨み合っていても、わかりあうことはできない。


――もっと、お気持ちを知っていこう。


そうしたら、王女が本当は故国をどう思っているのか、口にしない許嫁の存在をどう考えているのかも、わかる日が来ると思う。


「わかりました。ですが、さすがに呼び捨ては私も言いにくいので、さん付けでもよいですか?」

「……ハイ」


まだ昼の余韻を残した暑さで、夜空には軽快な音楽が響いている。

徹はこわごわと隣を歩く華乃と一緒に、待ち合わせ場所に向かった。




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