第12話 夜祭り



濃紺の夕暮れに、灯りをかかげた店がひしめいている。これは年に一度の夏の祭りだそうだ。

“どうぞご一緒に”とユミルに言われて、用意されたさらりと心地よい藍色の伝統衣装に袖を通した。確かに、ウエストしか留める部分がないので湿度のあるこの世界の暑さをしのぐにはぴったりだ。


――カノン様は、楽しそうだな。


可愛らしい花火の模様が入った着物を着て、カノン様が屈託くったくなく笑っている。結い上げて着物と同系色の花簪はなかんざしを挿し、細く白いうなじがあらわになっているのが、徹をドキリとさせた。

まだあどけなさの残る顔に、大人っぽい襟や胸元。濃い色の着物に淡い金色の髪が似合っている。


親友の紺ちゃんと居る楽しさもあるだろうけれど、カノン様が「お父さん」とトルキアのほうへ近づいてきて腕を取り、夜店のほうへ引っ張って行った。

その仕草しぐさに、徹は緊張のない笑顔の理由を思い知った気がした。


――親だと思っていたのだから、信頼はひとしおだろう。


そう思うけれど、彼らも本当の両親ではないと知られている。それでもなお、あの二人への信頼と安心感は損なわれていないのだ。


自分は、そういう信頼関係を築けていない。まだこちらの世界に来て日が浅いのだから仕方がないのだと理屈で考えてみるけれど、残念さとともに、胸の中が空虚になる。


――カノン様は、あんな笑顔もできるのだ……。


ああいう笑顔を見ると、可愛いと心から思う。けれど、あの笑顔は決して自分には向けられないものだ。


「……」


いつも、彼女と目があうと警戒したような表情をされる。緊張をはらんだ沈黙と、眉間にわずかに寄った皺を見ると、嫌われていることをひしひしと感じて心が痛んだ。


――仕方がない。


自分だって、カノン様にいい顔はしていない。内心で責める感情を持っていることは察知されていると思う。自分が嫌っているのに、相手が険しい顔をすることに傷付くなんておかしい。


――だが……。


このままずっと、お互いに険悪な顔ばかり付き合わせていくのだろうか。そしてカノン様がもし帰国する気になってくれたら、その時自分が婚約者だと知って、どんな気持ちになるだろう。そう考えると気持ちが沈む。


トルキアはカノン様に引っ張られて人込みに消えていった。見失わないように付いて行くべきだと思ったけれど、足が進まない。


行ったところで、仲良く盛り上がっている三人の後ろでポツンと眺めるだけだ。そのポジションを想像すると、見るのも嫌になった。


――今なら、私がいなくても大丈夫だろう。


トルキアが付いているなら、カノン様の安全は問題ない。彼らは楽しく盛り上がっているから、一人くらいいなくても気付かない気がする。

どこか投げやりな気持ちになって、徹はその場に留まった。


――この世界は、賑やかだな。


自分としては、祖国のランタン祭りのほうが夏らしくていいと思うのだが、こちらで育ったカノン様にとっては、このうるさいくらいの賑やかさがお気に召すのだろう。

自分も、カノン様の護衛で付いていく駅ビルや量販店などを見るのは、興味深くて面白いと思っている。


――でも……。


王女と言葉を交わすことはほとんどない。


《花冠とティアラ、どっちが似合うと思う?》


紺ちゃんが気を遣って問いかけてくれた。あの時、もっと即答するべきだった。それだけは今でも後悔している。


――だが、ティアラは特別なものだから……。


祖国の女性は皆そう言った。王侯貴族の娘たちは、宮廷への初登城の時に身に付けるティアラを一生大切にとっておく。親も、娘の社交界デビューを飾る品に、特別な思い入れを持った。


ユミルの作っているドレスにはティアラのほうが似合う。それは、いずれあちらの世界に帰る際にこのドレスを着て戻ってほしいという願いを込めて作っているからだ。

けれど、だからこそ王女の髪を飾るティアラは適当なものではなく、それなりに由緒ゆいしょある宝石があしらわれたものにすべきではないかと思ったのだ。


花冠よりティアラにすべき。けれどそれはこの世界で適当に選ぶのではなく、王女の風格にふさわしいティアラであるべき……それをどう説明したものかと考えているうちに、話題を変えられてしまった。


――カノン様は、複雑そうな顔をされていた。


少し悲しそうに見えたのは気のせいだろうか。


ティアラが似合わないというわけではない。どちらでもいいというのも間違いだ。けれど、そのあたりを誤解されたような気がした。けれど、それきり彼女たちは髪に何を飾るか一切口にしなくなって、訂正の機会を失ってしまった。


「……」


けれど、今しがた「ティアラが……」とトルキアを引っ張っていった。こんな場所に宝石屋が出店しているとは思えないが、もしかしたらお気に召した何かが見つかったのかもしれない。


王女はどんなティアラに心惹かれたのだろう。


決して自分に微笑みかけてくれない王女の心の内が、少しでも理解できるのではないかと考えて、徹はようやく歩き出した。




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