#02 朝陽会

翌朝、夏海はいつもの待ち合わせに来なかった。

メッセージを送っても既読がつかない。電話も繋がらない。胸の奥で小さなざわめきが膨らみ、喉の奥に金属片でも引っかかったような感覚が残る。だが、その日は診察日だった。


「顔色が悪いようですね、春さん。昨夜は眠れませんでしたか?」

今井が訪ねる。


「……ぁ、はい」


「気分の波は?」


「まぁ、悪くないです。普通です」


「例の日記は続けていますか?」


「一応……ろくなことは書いていませんが」


今井は短くうなずき、カルテに何かを書き込む。


「春さん──近いうちに、頭のチップを詳しく調べましょう。……念のためです」


淡々とした口調の裏に、微かな緊張が混じっていた。


診察を終えると、その足で夏海の家へ向かった。インターホンを押すと、髪を無造作に束ねた夏海の母親が顔を出す。


「あら春くん、いらっしゃい。夏海? 今日は出かけたままよ」


「……警察には届けたんですか?」


「えー? してないわよ。あの子、すぐフラッといなくなるし。それより春くん、あの子とどうなの〜?」


あまりにも軽い口調に、返す言葉をなくす。礼を言って玄関を出ると、不安が冷たい霧のように胸を覆った。


夏海を探して街を歩く。商業区は、空中を走る透明スクリーンが途切れなく広告を流し、加工された人々の笑顔が人工的な光沢を放つ。ドローンが一定間隔で通りを巡回し、高所からの視線が肌を刺すように感じられる。


交差点の巨大なホログラムは、青空をさらに青く、花の香りを風に乗せ、通行人の脳に直接信号を送っていた。音も匂いも、すべてが調整された「完璧な現実」。


しかし右の道を通り、旧区画に入った瞬間、景色も空気も変わる。色は褪せ、看板の光は途絶え、遠くで金属が軋む音がかすかに響く。舗道のひび割れからは湿った土の匂いが立ち上り、耳が詰まったように周囲の音が消えていく。ここだけが、時代から切り離された島のようだった。


その奥、木製の掲示板に一枚の紙が貼られていた。黄ばんだ紙に、墨で書かれた文字──


『朝陽会(あさひかい) 会員募集中』


傍らには、真空管と金属のプラグと配線が絡み合う奇妙な紋章。指先でなぞった瞬間、頭の奥で低く鈍い音が鳴った。そして一瞬、視界が暗転する──


……雨音。赤く染まった舗道。泣き叫ぶ声が遠くから響き、冷たい水が頬を伝い落ちていく感覚だけが、やけに鮮明だった。


「まただ」


自分の声で我に返ると、胸の鼓動が早鐘のように響いていた。朝陽会──その名が、理由もなく胸をざわつかせていた。

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