紅百合の咲く森

琲音

1章 帰郷

プロローグ:帰郷の支度

「……本当に行くの?」


 そう言って少し眉をひそめたのは、

 橘遊梨たちばなゆうり


 東京の小さな1LDK、午後の日差しがフローリングに長く伸びていた。

 住吉結芽すみよしゆめ

 は、ソファの前で鞄に服を詰めながら、曖昧な笑みを浮かべた。


「……うん。さすがに今回は、ね。村長さん、優しい方だったし。」


「へえ。村長の孫が、幼馴染?」


「そう。小さい頃は、三人でずっと遊んでた。

 竜見和香たつみわか

 彼女のお祖父ちゃんが村長さん。

 もう一人、

 那鳥美幸なとりみゆき

 って子もいて……まあ、2人とはもう何年も会ってないけど。」


 遊梨はカップをテーブルに置き、結芽の背中をじっと見つめた。


「その村って……名前なんだっけ?」


天ヶ女村あまがめむら。……地図には載ってるけど、行き方説明するの面倒なくらいには、田舎。」


「大学入ってからほとんど帰ってないんでしょ?

 最後行ったのが成人式って、もう4年も前じゃん。ご両親なんにも言わないの?」


「…うん。でも連絡もほとんど取ってない。あの人たちそんなに私に干渉しない人だから。」


 結芽は服を詰める手を止め、少しだけ遠くを見るように目を伏せる。

 遊梨はソファに腰を下ろし、少し唇を尖らせた。

「前に話してたじゃない、昔、あんまり帰りたくないって。」


「まぁ........人と距離が近すぎて若干面倒だったかな。プライバシーなんてほぼないもん。」


「ふーん……。でも、その幼馴染たちとやらに会うんでしょ?美人?」


「ふふ、どうしたの遊梨、ヤキモチ?」


「それもあるけど……。なんか、直感的に、嫌な予感がしただけ。」


 遊梨は笑ったが、その目はどこか鋭かった。

 けれど結芽はその視線に気づかず、静かにバッグのファスナーを閉じた。

「大丈夫。行って、線香あげて、帰ってくるだけ。」


 遊梨は立ち上がり、結芽の背にそっと手を添える。

「……約束して。何かあったら、すぐに連絡して。」


「何も起きないよ。」


「……それでも。」


 結芽はふと、遊梨の瞳を見た。その奥に、不安そうな陰を感じた。

 だが次の瞬間には、彼女はいつもの明るく優しい恋人の顔で笑っていた。

「わかった、約束する。」


 遊梨は頷くと、結芽の横に座り、ほっぺにキスをする。

「今日は早く寝よ。明日の朝、私も駅まで送るし。」


「いいよ、遊梨、仕事あるでしょ。」


「休み取ったから。あんた一人で行かせたら、余計帰ってこなそうじゃん。」


 ・

 次の朝、結芽を駅まで送る遊梨。

 手を振ったあと、改札を潜っていく遊梨の背中を見送った遊梨の唇が、わずかに歪んだ。

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