5 〜銀髪の乙女はあしたを想う〜
婦人用の部屋に戻ったカリナは、簪もなく染め粉もない鏡台に腰掛けて、櫛で髪を梳いていた。
「ファング様は、この銀色の髪を……普通に撫でてくださったわ」
父にも使用人たちにも忌まれ、……母なき後は人に触られたことのない髪を。
長袖で首も詰襟のデイドレスを着て、銀の髪も結い上げる。
一番質の良い簪は妹のものになったので、2年前に妹とお揃いで買った、当時の流行の意匠の簪を挿した。
「朝食にしようか、カリナ嬢。身支度ができたら食堂へ来なさい」
軽いノックの音とともにファングの声がして、カリナはいそいそと食堂へ向かった。
食卓には、それぞれに食事が出されていた。
カリナには魚の燻製の散らされた麦粥が深鉢いっぱいに。
ファングの皿には、硬そうな焦げ茶のパンが乗っている。
皿にはチーズの入った柔らかいスクランブルエッグと、炊いた青豆。
果物は、新鮮な生のものから蜜漬けや干したものまでさまざま出てきた。
牛乳で煮出した紅茶には蜂蜜まで添えられている。
特に会話もなく、二人で黙々と、もぐもぐ食事に勤しむ。
王都の貴族も朝は、粥やパン、そして卵や焼き野菜を一皿に山盛りに摂るのが倣いだ。
だからこのローヌルフ卿の朝食が質素なわけではない。むしろ品数が多いぐらいだ。
それに、どれもこれも、王都で食べるものよりも美味い。
塩気が薄い分、素材の味が引き立っている。
蒸した青豆がこんなに甘いなんて、カリナは知らなかった。
麦粥に入った魚の燻製も、煙の匂いがきつすぎず、また、少し
食材を燻すのは、風味付けとか味をよくするとかではなく、あくまでも保存のためだ。
燻蒸には大きな窯が必要で、薪や火の加減,熱の入れ方が難しいので、長期保存処理であれば塩蔵が一番簡便だ。
だから美味しい燻製というのは期待できないし、肉に比べて風味の薄い魚なんて、燻製にしたところで正直煙たいだけだとカリナ思っていた。
だのに
「おいしい……」
カリナはついつい魚の身ばかり先に食べてしまった。
美味い朝食をたっぷりと食べ、体が温まる。
……たっぷりというか、ファングの皿よりもカリナの皿のほうが一回り大きいのはなぜなのだろう。
でも、ぺろりと入ってしまう自分の食欲とお腹が少し悔しいカリナだった。
ファングは早々と食べ終わって、食後の果物を手に取った。
柑橘の皮を丁寧に剥き、小さく割って、一欠片を小皿に乗せている。
ファングはカリナが料理を食べ終えるのを待って、
「カリナ嬢。大市に出かけるから、……正装のドレスではなくていい、なるべく動きやすい衣類に着替えて、裏玄関に来るように」
そう言うと、その果物の小皿を片手に食堂を出て行った。
残りのミルクティーを急いでこくこく飲んでいるカリナのもとへ
「カリナ様、おはようございます」
小間使いのミディが食器を下げに来た。
空っぽの粥鉢をみて笑顔になっている。
「朝ごはん、お魚の燻製はお口に合いましたか?」
屈託なく話しかけられて、カリナは少し戸惑った。
使用人というのは、主人に呼ばれて初めて口を利くことが許されるものなのだが。
それに。
自分はまだ、
「……はい」
まごつきながらカリナが応じると、嬉しそうにミディは言った。
「旦那さまがきっとお喜びになります。……この世で一番美味しいお魚の燻製は、やっぱり旦那さまのお作りになったものですから」
カリナはびっくりした。
領主自らが、調理するなんて。
それも、燻製などという面倒なものを。
……全く、この屋敷ではカリナの今までの常識が一つも通用しない。
それは、カリナを困惑させるけれど。
きっと、慣れていける。
慣れて、ファングの妻としてこの屋敷の者たちに認めてもらえるように。
奥さまと呼んでもらえるように。
頑張らねば。
カリナは自分にそう言い聞かせた。
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