第2頁目 トカゲって泳げるの?

 晴天。俺は骨の山に伏せり、一指たりとも動かさず思案していた。


 死ぬ……。それでも頭に浮かぶのは死にたくないという望み。だが、身体が訴えているのはそろそろ死んでしまうという感覚だった。


 ここ数日、この巣に雨は降っていない。前世の知識では、水は生命を維持する為に必要不可欠な物だった。この世界の生き物も恐らく同じはず。当然、俺も例外じゃない。ならばドラゴンも遠い昔に母なる海から生まれ、陸に上がった生き物なのかもしれない。じゃあ、翼が生えてるだけのワニが正体ってのも可能性としてはあり得るのだろうか?


 ……はぁ。そんな事を考えている場合ではない。水を飲まなければ俺は死ぬんだ。だけど勿論、俺は死にたくない。


 周りを見渡しても目に映るは大樹たいじゅと土壁と骨の山と腐りかけの肉片。あと、それにたかる蝿みたいな虫とうじみたいな虫。朽ちた骨の窪みには臭くよどんだ水が溜まっちゃいるが、そんなものを飲んだら恐らく病気まっしぐらだろう。水を飲むにしたって得体の知れない水は避けたい。そして、できれば水の溜め方も考えなければ……。


 空に浮かぶ光る球。拙い語彙力で恨めしい恒星こうせいを精一杯安っぽく表現したつもりだが、微かに残る神聖感が鼻に付く。鱗が焼け付くような暑さでは無いが、奴は目じゃ捉えられない程の微量の水分を、少しずつ少しずつ俺の身体から奪っているのだ。


 どうしようか。真面目に試行錯誤して色々試せる程、身体を動かす力もない。



 水……。



 水をどう手に入れる。この世界でも生き物なら体内に水を含んでいるはずだ。だとして、目に入るのは……蝿、蛆虫、苔、茸。そのどれかを口にしたところで、病になっては意味がない。蝿や蛆虫が毒を持ってないという確証は? 苔と茸もそうだ。この中で前世のイメージ的に一番毒を含んでいなさそうなのは苔だが……苔はなんか、浄化作用があるとかなんとかテレビで聞いた事があるような無いような……。でも苔が毒を取って自分に蓄えるとかなら意味がないんじゃ……。それに苔を食べるなんて聞いた事も無いし。あぁ……ただ只管ひたすらに生きる手段を否定している気になる。でも、死にたくは無いんだ。得体の知れない物が入ってない水。毒を含んでなくて病気にならない……そんな……。


 ――あった。


 どこかで聞いた事がある。遭難して水が無い時は尿を飲んでしのいだと。臭い。汚い。不味そう。だが、死ぬよりはマシだ。


 安易な方法だが、水を溜める為に取っておいた色んな動物の頭蓋骨がある。水が無いから洗えたりはしてないが、今はそれも贅沢な望みだ。俺は心を決めると、ゆっくりと四本足で立ち上がり頭蓋骨を一つ咥えて振る。気持ち程度でも埃を払っておきたいからだ。そして落ちている小骨で上手くうろが上を向くように設置し、そこに力みフンを出した。


 ドラゴンの身体は人間と違う。そこに出された物は大便と小便が混ざったものだ。ドラゴンは鳥類の様に大と小が纏まって出るのだ。少量の湯気を発しながら存在感を放つその汚物から、どうにかして水分を摂取できないだろうか。茶色い部分は間違いなく大便の部分だ。顔を近づけたくも無い。だが、それにひっついている白い部分は違う。おそらくこれが……尿。


 これを……これを……。


 無理だ。


 俺に刻まれている前世の常識と、本能的嫌悪感によりこの凌ぎを到底受けいれられそうにない。ちくしょう。俺は早速また次の人生を歩む事になるのか? そもそも次はあるのか? なんで俺はこんな事になってるんだ。なんでこんな辛い目に遭わなきゃならない。


うあうんあふざけんなっ!!!」


 俺は幼子が癇癪かんしゃくを起こしたかの様に糞の入った頭蓋骨を遠くの土壁に投げつけた。拙い口で言ったはずの言葉は日本語で『ふざけんな』だ。骨の山の向こうで土壁にぶつかった頭蓋骨は壁に糞をぶち撒けて下に落ちる。


 ボシャンッ。


 その小さい音は希望の音だった。今のは水っぽい便がぶちまけられた音じゃない。便が水にぶち撒けられた音だ。そうだよな?


 骨の山に足を取られつつ音がした方へ歩みを進める。着いた場所は土壁の麓。そこには骨が沢山沈むよどんだ浅い水溜まりがあった。澱み過ぎていて先程投げた頭蓋骨がどこにあるかもうわからないが、俺の糞はぷかぷかと水に浮いている。それはまさしく最低な光景だが、今の俺には最高の光景だった。


 水溜りとは言え水だ。今後いつ飲めるかもわからないので計画的に消費していきたいが、あの水を飲んで身体に害が無いとは思えない。表面には灰汁あくの様なものも浮いており、虫まで集っている。ただ、希望は現時点でこの水溜りにしか宿っていない。


 俺は躊躇ためらいがちにその水溜りへ足をおろしてみた。


 すると残念な事に、とても浅い水溜りだと気付く。ぬめっとした汚れを摘んでみると臭いが凄まじく、やはり安全な水とは思えない。気落ちしながら、可能性を求めて糞と水底にある骨を退けていく。俺の翼は飛べはしないが、物を掴めるくらいの指が2本程前の関節部分についている。それも駆使して手早く退けていくと意外にも底が深い。まだ、まだいける。少し水が減ってしまうかもしれないが、それどころではない。この水溜まりはかなり深い。というかこれは窪みなんかじゃない。穴だ。


 喉の渇きに突き動かされるまま、汚水に手を入れて骨があれば掴んで除ける。それを繰り返すと、気付けば自分の足が全て水に浸かっていた。急いで適当な頭蓋骨を捜す。そして、灰汁を出来るだけ除いた部分の上澄みをすくい、更にその上澄みに恐る恐る口をつける。口内に広がる臭みとエグ味、だが……。


 美味しい……!。


 指先にまでうるおいが染み渡っていくような錯覚を覚える程だ。ここを掃除すれば、今後安定した水分を得られるのではないか? 頭蓋骨を幾つも固定しておく必要もなくなる。そして、色々整備すれば水も綺麗になるかもしれない。生きられる。生きられるんだ。


 心の底からじんわりと広がっていく希望に後押され、少しずつ骨を除ける。


 休み休み。体力を使い過ぎない程度に、適度な休憩を挟んでは骨を遠くへ投げた。そして、隣接している骨の山の斜面から骨が雪崩れ込んでくるので周りの骨も取り除く。


 下からカシャンカシャンと聞こえる音が気になるのだろう。大樹たいじゅの上から2匹のドラゴンがこちらを不思議そうに覗いている。だからと、それに対し何かする気はない。気にせず骨を退け、疲れたら寝て、親ドラゴンが来れば肉がこびり付いた骨が降るのを待った。2匹の子ドラゴンからすればありの巣作り観察と似たようなもんなんだろう。


 わかっちゃいたが、骨はとんでもない量だった。それに、どうしても除けた側から周りの骨が崩れてくる。2本の後ろ足で立って、翼を含めた4本の腕を使って骨を除けても地面は見えない。そして、骨の下の方は湿気とも毒気とも瘴気しょうきとも言える臭い何かがもっていて、思うように作業進まない。ただ水はちょっとずつ綺麗になっている気がする。少なくとも変な灰汁の様な物は既にそこまで浮いていない。それと、この穴は想定以上に深い。水底の骨を取り除けば完全に潜る事も出来そうなのだが、何分中途半端な深さなので骨を取り除く作業が捗らない。なので、今は水溜りの周囲の骨を除けているという訳だ。


*****


 それから数日後、雨が降った。既に俺の努力により水溜りの周りからは骨が殆ど無くなっている。今は水底の骨を撤去していく段階だ。底にある骨はまだまだ無くならないが、ヘドロみたいなのは取り除いたので上澄みがより綺麗になっている。そして、俺はこの日の為に集めていた頭蓋骨を全て雨水で洗い流し、結局そこにも水を溜める。水はどれだけあっても苦労しない。それに澄んできたとは言えど、やっぱり濁ってない水の方が美味しい。だからこそ、今日は水を沢山溜めようと思ったんだ。


 しかしだ。雨が止まない。身体の汚れはうに落ちた。頭蓋骨の水は幾つか完飲したのにまた満杯まで溜まっている。明滅めいめつする空、鼓膜こまく穿うが霹靂へきれき、水面を叩きつける飛沫しぶき。それは生まれて初めての豪雨だった。


 水が地面を覆っている。それはつまり、この大穴の底に水が溜まり始めているという事だ。俺は骨の無い大樹たいじゅの根元に居る。大樹たいじゅの上には、親ドラゴンが雷の音に怯えて震えている子ドラゴンを覆うように翼を拡げていた。体温を冷やさない為だと思う。だが、俺にはそんなに優しい親など居ないので、大樹たいじゅの陰に隠れ凌いでいる。水はどれだけあっても苦労しない。そんな事を少しでも思った俺を殴りたい。


 ちょっとずつ、着々と水嵩みずかさは増していっている。俺が一生懸命除けた骨の屑が水に流されてばらけていないか心配だ。それに、このまま溜まり続けたら俺は溺れ死んでしまう。でも、そんな雨が降る訳ないか。豪雨で沈む巣なんて欠陥建築だろ。ん? そうか。ここは巣じゃないのか……。


 ……。


 悪い予感というのは常々当たる。流石に大樹たいじゅの下である地面には、水が溜まり過ぎて居られなくなった。今、俺は掃除の副産物で出来上がった骨山の上にいる。ここ以外は殆ど沈みきっていた。他の骨山の頂上は見えるが、まともとは言えない水量だ。幸い、雨の勢いは弱まってきているが、不安はまだ残っている。それに今雨が止んだとして、溜まりに溜まったこの水はどうなる?


 俺はただ、時間が過ぎるのを待つ事しか出来なかった。なす術も無く、ただ緊迫感のつのる光景を前に……。


 寝ることにした。


*****


 気持ちの良い陽気を感じて目を覚ます。巣の中には止めない水滴の音が響いていた。水位は寝付く前と然程変わらない。だが、既に水の深さは深い所だと俺が後ろ足だけで立っても頭が出ないくらいだ。


 ふと巣を見上げると、子ドラゴン達が餌を貪っている。親ドラゴンは外出中のようだ。新鮮な肉を口に出来るのは羨ましい限りである。俺がありつける肉はあいつ等が今、水の中にポイ捨てした骨についている生ごみだ。どうやら俺は泳ぎを覚えなきゃならないらしい。ここの水捌みずはけの良さによって俺の泳ぎの技術の上達具合が変わるだろう。これからは当分、泳いで餌を確保しなければならないのだから。


 まず試すのは犬掻いぬかきだろう。普段は四足歩行なのだから、これを試すのは必然的だ。だが、前足より発達した大きい後ろ足を前に出す時、足の甲に強い水の抵抗を感じる。これではとても非効率的だ。現に余り前に進んでいない。


 それと大きな問題はこの背中にある邪魔な翼。しかし、この翼膜は上手く使えれば水を押すのに有効的である気がする。試しに翼を広げて水を抱き込むようにして動かす。水を押したら流れに逆らわないように水から翼を出して、また同じように水を押す。おぉ……これは中々良さ気だ。試行錯誤しこうさくごしていると、むしろ普通の前足の方が邪魔なのではないかとも思えてきた。


 そして、意外にも推力すいりょくの大きな補助となったのが尻尾という存在だった。クネクネさせて泳ぐのは少しコツが必要だったが、身体がそれを可能にするのに無理の無い構造なのか、割りと無意識で行えるようになった。


 爬虫類はちゅうるいって泳げるんだっけか? あっ、ワニは泳げるか。


 泳ぎを練習する時間は幾らでもあった。そして、ポイ捨てされた肉を拾いに行くという義務も毎日あった。その結果、足が着く程水がける前に俺の泳ぎはみるみる上達していく。そんな俺の様子も、子ドラゴン達は飽きずに毎日眺めていた。


 因みに、大きく翼を広げて水を抱き込むように押し出すこの泳法はドラゴンバタフライと名付けたい。

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