第21話

「あーあ、ついに電池切れになっちゃった」

 向かい席に座っていた正美は、溜息をつきながら自分のスマホの電源を消した。

「いいんじゃない。さっきのオバさんからの電話以外もうかかってこないでしょ?」

 そう言うと花織は、両手で摑んでいたハンバーガーにかぶりついた。美味しそうに何度も咀嚼し、ごくりと胃に流し込む。 

 時刻は午後十二時四十一分。

 花織と正美は大通りの一角にある「ラクドナルド」の二階で昼食を取っていた。

 小奇麗に清掃された二階には、昼時ということもあり三分の二以上の席はすでに埋まっていた。私服姿の若いカップルや、日曜日なのにスーツを着ているサラリーマンや何故か学生服を着ている女子もいる。

 正美はスマホをバッグに仕舞うと、自分が注文したオレンジジュースのストローに口をつけた。チュウチュウと子供のように飲み干していく。

「失礼ね、花織ちゃん。これでも友達は多いほうなんだよ。もしかしたら、そのうちの一人から重要な電話がかかってくるかもしれないじゃない……多分」

 最後だけ微妙に歯切れが悪かったが、正美は花織の目を見据えながら強気に言った。一方、花織は「はいはい」と軽く流して持っていたハンバーガーをすべて平らげた。

「それよりも……」

 指についたケチャップを舐め取りながら、花織は窓から外の様子を窺った。正美も花織と同様に外の様子を見る。

 二人は一番奥の窓際の席に座っていたので、少し身を乗り出せば店の前の様子がはっきりと見下ろせた。

 店の前には円形に人だかりができていた。その円形の中心には黒い革ジャンを羽織っていた金髪の青年と木刀を構えていた剣道着姿の中年の男性がおり、今まさに苛烈な戦いを繰り広げていた。

「うわ~、痛そう」

 正美は思わず視線を外した。だが花織は眉一つ動かさず二人の戦いを凝視していた。

 今、剣道着の中年の放った木刀が金髪の青年の胴を激しく打った。金髪の青年はどうやらボクシングを使うようだったが、さすがに相手が悪すぎた。花織が見たところ、剣道着の中年は間違いなく剣道四、五段の腕前であった。

 俗に「剣道三倍段」という言葉がある。これは剣道に限らず、武器を持った相手に素手で立ち向かうには、最低でも三倍以上の実力がないと同等ではないという意味だ。

 しかしどう見ても、金髪の青年のボクシングテクニックは未熟だった。こうして上空から見下ろす形だと余計にはっきりとわかった。せいぜい週末にジムに通っている程度の腕前だった。だが剣道着の中年は違う。明らかに他人に教えるほどの腕前を持っている。

 金髪の青年は肋骨の部分を押さえながらうずくまると、剣道着の中年は一礼して腕章を奪い取った。しかしその場ではカメラで撮影せず、腕章を手に持ったまま人混みに紛れて姿を消してしまった。

 花織は颯爽と立ち去った剣道着の中年を見てニヤリと笑った。

 剣道着の中年が周囲のギャラリーに構わず姿を消したのは、思わぬ不意打ちを受けることを警戒したためだろう。もしあの場に他の大会参加者が潜んでいたら、勝利した直後の人間を狙わないとも限らない。それを剣道着の中年は警戒したのだ。だからこそさっさとこの場から立ち去り、周囲に誰もいない安全な場所で自分の勝利数をカウントする。戦いをスポーツではなく真剣勝負だと自覚している武人の考えである。

 花織はテーブルの上に置いていたスマホを手に持った。自分のスマホではない。【綾園異種格闘市街戦】の参加者に支給される特殊なスマホである。

 カチカチとボタンを操作しながら、花織は表示画面を切り替えていく。

「大会が開始されて二時間ちょっと……そろそろ雑魚は淘汰されてきたわね」

 花織が頬杖をつきながら見ている画面には、現在の大会生存者数が表示されていた。

 現在の生存者数は九十四人。確か大会参加者数は三百人あまりだったと思うので、この二時間で三分の二以上の人間が敗退したことになる。大会ルールの一つに二時間が過ぎても一勝も上げていない人間は自動的に敗北になるとあったが、この数字を見ればそんな臆病な人間はあまりいないことを意味していた。

「正美、もう食べ終えた?」

「お、終わったけど……いきなりどうしたの?」

 ジュースを飲み終えた正美に、花織は早速本題を切り出した。

「今まで付き合ってくれてありがとう、正美。唐突だけどここで解散しましょう」

 目の前にいる正美にそう告げると、隣の席に置いていたグローブを装着した。何度も手を開いたり閉じたりして感触を確かめる。

「どうしたの急に? 私がいると迷惑だった?」

 花織は小さく首を左右に振った。

「とんでもない、むしろその逆よ。これ以上私といると正美に迷惑がかかるわ。正美には理解できないと思うけど、お祭り騒ぎだったこの大会もそろそろ本格的にヤバくなってきそうなの」 

 真剣な表情で花織は答えると、正美は何となく花織の言いたいことを理解した。

 花織が参加している【綾園異種格闘市街戦】は、言ってしまえば街頭の喧嘩と変わらない。若干ルールも存在するが、そんなものは雀の涙程度のものである。何せ最大のルールは銃器、刃物の使用禁止程度で、その他は時間制限や勝利の確定方法が特殊なことくらいであった。つまり、銃器、刃物以外の武器は使い放題であり、徒党を組んで参加者と戦うのも自由であった。そしてこれらを許すということは、下手をすると参加者の親しい人間を人質に取られかねない危険性も孕んでいる。だがそれは参加している間、付きっきりで傍にいない限り起こらないだろう。

 だからこそ花織は、正美にここで解散しようと告げたのである。

 考えたくはないが、参加者全員が人並みの常識を持っているとは考えにくい。中には人質を取ってまでも勝利しようと企んでいる姑息な輩もいるはずである。

 正美はにっこりと笑みを浮かべると、こくりと頷いた。

「わかった。じゃあ私は本戦トーナメントが行われる場所で花織ちゃんを待ってるわ」

「……え?」

 てっきり家に帰ると言うのだと思った花織は、レンズの奥にある目を拡大させた。 

 本戦トーナメントとは、ベスト16まで勝ち残った人間たちが一対一で綾園市役所の目の前にある広場で戦うトーナメントのことである。

 そしてこの広場には前もって特設リングが建てられ、大通りから場所も近いことから大多数のギャラリーに注目される本格的なイベントとして知られていた。

 花織は自分が頼んだジュースを一気に飲み干すと、もう一度正美に問うた。

「本当に帰らないの? 別にそれでもいいけど、多分本戦トーナメントが開催されるのって夕方よ。それまであんなとこで待ってなくてもいいのよ」

「あ、それもそうか」

 人差し指を顎先に当てた正美は、視線を彷徨わせながら思案した。

 一分後、ようやく答えが出た正美は顎先から人差し指を退けた。自分のトレーを持ちながら立ち上がる。

「じゃあ一度家に帰ってまた夕方になったら行くわ。そうすれば万事OKだよね?」

 花が咲いたような正美の満面の笑みに、う~んと花織は唸った。

「一つ訊いていい? 正美は私が途中で負けるとは思わないの?」

「思わない。だって花織ちゃんが誰かに負けたなんて今までなかったじゃん。それに花織ちゃんには絶対に負けられない理由があるじゃない?」

 きっぱりと答えた幼馴染の言葉を聞いて、花織は含み笑いをした。

 すでに正美には、この【綾園異種格闘市街戦】に参加した理由を教えていた。この大会に優勝しなければ借金を返すアテがなくなり、あの勇二の言うことを聞かなければならない羽目になることを。

 そして真相を告白した直後、正美は普段通りに接してくれた。それだけでなく、「じゃあこの大会に参加して優勝すればいいだけなんだね」と簡単に言った。

 信じているのである。正美は、弓月花織という人間のことを心底信じていた。だからこそ簡単に言ったのである。花織ならば絶対に優勝できると。

(喜んでいいんだか悪いんだか)

 最後にふっと鼻で笑うと、花織も自分のトレーを持って立ち上がった。すると正美は花織が持っていたトレーを奪い取り、自分の分のトレーに上乗せした。

「正美?」

 キョトンとした花織に、正美は拳を握った状態から親指だけを突き立てた。

「頑張ってね、花織ちゃん。私は絶対に花織ちゃんが優勝するって信じてるから」

 一拍の間を置いて花織は、気恥ずかしそうに笑った。

「ふふ、ありがとう。せいぜい借金返済のために頑張るわ」

 花織は拳を握った状態で親指を突き立て返すと、そのまま正美に後片付けを任して入り口のほうに走っていった。

 二階から花織の姿がいなくなると、正美はポツリと呟いた。

「頑張ってね、花織ちゃん」

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