第15話
「そういうこと。銃器、刃物以外の武器なら何でも使っていいのよ。木刀、特殊警棒、鉄パイプ何でもござれ。でもそんな素人が使うような武器は別に怖くない。むしろ怖いのは刃物以外の武器を得意とする人間の存在よ」
むすっと頬を膨らませた花織は、スマホを仕舞うと再び歩き出した。
そうである。参加者の中には、ルールの裏に隠された意図に気づいている人間もいるだろう。そういった人間は大会前より情報を収集し、万全の準備を整えてくるはずである。勇二の話によれば、大会の詳しい情報は一ヶ月も前にインターネットのHP上に公開していたらしいから時間は十分にあった。
「……ったく、その点こっちが知ったのは今朝なのよ。お陰でまともに準備できなかったじゃない」
ぶつぶつと独り言を囁いていた花織だったが、足取りは思いのほか軽快だった。確かに万全の準備はできなかったが、それでも何も対応策を講じてこなかったわけではない。
花織はウェアの両ポケットに手を突っ込むと、中から漆黒のグローブを取り出した。
オープンフィンガー・アルティメット・グローブ。
総合格闘技の選手が装着する指出しグローブであり、素材は本革仕様なのでとても丈夫で柔軟。それに手首の部分にはベロクロテープがついているので固定しやすい。しかしこのグローブは最初こそやや硬くて使いづらい。が、花織が取り出したグローブは所々薄汚れており、よく使い尽くされていた。そのため、グローブ全体がまるで手に吸い付くように軟らかくなっている。
ギュッギュッと花織はグローブを両手に装着した。最後に右拳を左手の掌に打ちつけて感触を確かめる。パンッ! と乾いた良い音が鳴った。
「よし! そろそろ気合入れて戦いますか!」
グローブの感触を何度も確かめながら花織は歩いていくと、ふと後ろにあるはずの気配がないことに気がついた。顔だけをちらりと振り向かせる。先ほどの場所で呆然としたまま正美が立ち止まっていた。
「どうしたの、正美! 置いてくわよ!」
その花織の叫びで正美は我に返ったのか、小走りで追いかけてくる。十メートルほど空いていた二人の距離があっという間に縮まった。
少し息を切らせていた正美に花織は声をかける。
「ちょっと、どうしたの? やっぱり帰りたくなった?」
「ううん。ただね、どこからか声が聞こえるの。それも大勢の声……多分、戦ってる」
「え?」
花織はすぐさまじっと耳を澄ました。遠くの道路を走っている車のエンジン音。木々の上で羽を休めている鳥の鳴き声。そんなごく日常の雑音に混じり、確かにどこからか喧騒が聞こえてくる。だが、相当小さな音である。距離にしたら何十メートル離れているかわからない。
花織は苦笑しながら正美に顔を向けた。
「さすが竹ヶ峰学園一の地獄耳。その気になれば一キロ先の針の落ちる音も聞き分けられるんじゃないの?」
「さすがにそこまでは無理よ」
両手を振って否定した正美だったが、その気になれば本当にできるのではないかと花織は思っていた。とにかく正美は小さい頃から異常に耳が良かった。そればかりか雑音の中から正確に一つの音を拾えるという特技も持ち合わせていた。
花織は正美の背中に瞬時に回ると、両肩を摑んでぐいっと前に押し出す。
「え? え? 何、花織ちゃん」
戸惑う正美を無視して、花織は正美の身体を固定したまま歩き出した。
「何って道案内よ。この時間帯に戦ってるってことは大会参加者に間違いないわ。だったらこれは千載一遇のチャンスよ。静かに近づいて不意討ちができる」
「でもそれって何か卑怯じゃない?」
「甘いッ! 実戦に卑怯なんて言葉はないのよ。それに不意討ちなんて笑って対処できるほどでないとこの大会で優勝するなんて到底できないわ」
何て無茶苦茶な理屈なんだろうと思いながらも、正美は花織に身体を拘束されたまま歩く速度を駆け足の速度にまで高めていった。
五分後、花織と正美は喧騒の中心地点に到着した。
そこは四方をフェンスで囲われた公園であった。外周に沿ってシーソーやブランコ、砂場やジャングルジムなどの遊具が設置されている。今日は日曜日なので、公園内には元気ではしゃぐ子供たちの姿があった。
「何なの……あれ?」
正美の両肩を後ろから摑みながら、花織は公園の入り口付近で固まっていた。
公園内に高らかな声が響く。
「地球の平和を守るため、天の海からやってきた! この世にはびこる悪を討つため!」
全身が真っ赤に染まった人間が走る。その先にはプロレスラーのような体格をしたスキンヘッドの男がいた。だが、スキンヘッドは顔に無数の青痣が出来ており、両鼻からは夥しい血を垂れ流していた。もしかしたら鼻骨が折れていたかもしれない。
「ふ、ふざけんじゃねえ!」
スキンヘッドが迫り来る全身赤色の細身に大振りの拳を放った。体重が乗った中々鋭い打撃であった。
「プラネット・ダイナマイト・ニイ――ッ!」
全身赤色の細身が何やら叫ぶと、スキンヘッドはそのあまりにもでかい声量に一瞬動きが鈍った。全身赤色の細身はまさにその瞬間を狙った。
スキンヘッドの拳を絶妙な体捌きでかわすと、全身赤色の細身はスキンヘッドの懐に潜り込み、伸ばした両手をスキンヘッドの後頭部に回した。
瞬間、全身赤色の細身は地面を蹴って身体を浮かせた。その反動を利用して渾身の力を込めた膝をスキンヘッドの顔面に突き刺した。
メリッと嫌な音が響くと、全身赤色の細身が地面に着地した。続いてスキンヘッドの男が後方にどうと倒れる。
「悪は滅びたり!」
全身赤色の細身が握った拳を天高く突き上げた。すると、公園内に異常な熱気と歓声が沸き起こった。歓声を上げた人間はほとんど子供である。
花織と正美はその一部始終を克明に目撃していた。
「ねえ、花織ちゃん。私はよく知らないんだけど、あれって今流行のコスプレってやつ」
物珍しそうに正美が花織に尋ねた。花織はかけていた黒縁眼鏡の体裁を整える。
「それも相当年季が入ってるわね。初めて見たわ、特撮ヒーローのコスプレって」
子供たちの人気を一心に手中に収めていた人物は、全身赤のタイツに身を包んでいた人間であった。両手には手袋をはめ、足にはブーツを履いている。
それだけではない。頭には明らかに自作したと見えるヘルメットを被っていた。目元は透明なプラスチックケースで覆い、他の部分の材質は多分ダンボールだろう。
花織と正美は子供たちに囲まれている全身赤色の細身をしばらく眺めていた。というより珍しい人種を発見したことにより思考回路が上手く働かなかったのだ。
しかし、いち早く思考回路を働かせたのは花織だった。
全身赤色の細身は子供たちの頭を撫でながら地面に倒れているスキンヘッドに近づくと、何やらズボンのポケットを弄りだした。
花織は見逃がさなかった。全身赤色の細身はズボンのポケットから黄色い腕章を取り出すと、その腕章を裏返して黒いスマホのカメラで撮影したのだ。
決定的だった。この全身赤色の細身も大会参加者の一人に間違いなかった。
「さあ、正美。どっか他に行こうか」
ぼそりと花織は呟いた。
「え? あの人とは戦わないの? あの人も大会の参加者みたいだよ」
それがわかったからこそ花織は他の場所へ移動しようと思った。はっきり言ってモチベーションが上がらない。それどころか徐々に低下していく。
「ああいう手合いの人間とはあんまり関わりたくないの。ヒーローショーならイベント会場かデパートの屋上辺りで観られるしね」
花織は正美の両肩を摑みながら一緒に回れ右をした。相手に気づかれる前にこの公園から姿を消そうとしたのだ。
しかし振り返った瞬間、二人は口をポカンと開けて固まった。自然に顔が上を向く。
「リ~ダ~、今、帰ったよ~」
「帰った帰った!」
花織と正美の目の前には身長二メートル、体重百キロはあろう巨漢の人間と、その巨漢の人間に肩車をしてもらっている小学生のような体型をした少女がいた。
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